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Bentley Azure ‘98

ブログのタイトルを「室長の速ければよいカーライフ」としているが、実は私の車選びの条件はもう一つあって、それは美しい車であることだ。

私の車遍歴の中で言えば、モーガン+8、アストンマーチンDB24,フェラーリマラネロ、コーニッシュⅡ、ベントレーコンチネンタルⅣなどは美しいと思い、殆ど一目ぼれで、占有欲が湧いて買ったものだ。その系列の最後がアズールである。
コンチネンタルⅣは気に入った車であったが、ドロップヘッドでオープンにした時、幌が車体内に収納されず、スピードを上げると風でバタつくのが唯一の難点であった。それを気にし始めたときに、アズールに出会ってしまったのである。
 
アズールとは南仏コートダジュールの紺碧の空を意味するそうだが、個体はそれを象徴するかのようなロイヤルブルーで、幌は全自動で車体内に収納され、幌を収めるリアのサイドラインが何とも艶めかしいのであった。

同時に自動思考的に頭に浮かんだのは、まだ若い頃に見たカ―グラフィックに掲載されたアズールの特集写真だったのだ。`何という美しい車か`と羨望の目でもっぱら眺めていた自分がフラッシュバックされたのだ。それが10年の時を経て目の前に現れ、私の手の届く価格になっていては、もう買わないという選択肢はなかったのである。
  
全長5342mm,全幅2057mm,全高1476mmの二ドアコンバーチブルの4人乗りとガタイは大きく、エンジンは6.75L V8 OHV ターボチャージャーつきで、スペックは発表されていないが、実感ではポルシェ並みの加速である。

ライトウエイトではなく重厚で大きな車のオープンカーは珍しく、迫力も半端でなく実に美しく恰好が良いのである。
もちろん人が車を選ぶのであるが、時には車が人を選ぶこともあると思う。
この手の車は助手席に喜んで乗る人はそうそういない。やはり目立ちすぎるのである。
実際スポッと嵌るように似合う子もそうはいない。
またオープンカーというものは、夏は無論のこと、春秋でも陽射しが強くなると日中はそれほど快適に乗れるものではない。
そんなかんだでオープンで走れる機会は、自己愛にふけって一人で乗る以外は実際にはそうそうあるものではなかった。

杉並区の一戸建てから港区のマンションに引っ越す時に、マンションの駐車場は一台分しかなく、車を一台にしなければならなかった。当時持っていたSUVのマカンとアズールの二者択一となった。駐車場の出し入れ、日常の使い勝手、山小屋へ行く際の利便性、など総合的に考えると合理的にはマカンであったが、考えあぐねた末、結局アズールを残した。次世代マカンが出るまでアズールを思う存分に足にしてみようと決心したのだが、マンションのパーキングのシステムが前入れ,前出しであったことも後を押した。アズールでも駐車に少しも苦労しなかったからである。

この手の車は税金も高いし、燃費も悪くメンテナンスに金がかかるなどその経済性を他人事ながら良く心配された。確かにリッター4、5kmと昨今の高性能ハイブリッドと比べれば絶望的に悪いし、重量税も高い。しかし車にとって大事なのは本当に経済性が第一なのだろうか。そうであるなら車を所有すること自体が既に不経済なのではないか。その車に愛着が持てるかどうかが価値の判断基準ではないだろうか。つまり趣味に近い領域のことは、金銭の多寡には左右されないのが鉄則だから、決して不経済ではないのだ。
それに現実的な経済の話をすれば、10年たってもアズールの車両価格は少しも下がっていない。もちろん新車で買えば大きく下落するが、程度の良い中古車なら殆ど価格は下がらない。
アズール98年はフォルクスワーゲンに吸収される以前の、ピニンファリーナデザイン、マリーナ・パークウッドによる最後の純正ハンドクラフト車であり、2006年以降の2代目アズールとは根本的に違うのであるが、それでもオートマ、パワステ、エアコンが装備され、幌の開閉も全自動と快適性も備えているので、ヴィンテッジカーの風格と装備の近代性のバランスが非常に良いと思われ、これからおそらく値が上がって行くのではないかと予想している。
ちなみにかつて所有していた1954年のアストンマーティンDB24は購入5年後に1.5倍で売却し、その後現在は20倍くらいまで高騰している。
減価償却を考えればアズール‘98は超お得な車ということになる

そこまで言うなら持っていればいいではないかという話にもなるが、私の人生はエンディングに向けてダウンサイジングのただ中にある。人生には身の程を知り断腸の思いで切らねばならないことだってあるさ、所詮は車の話ではないか、と負け惜しみを言っておこう。

そしていよいよ、この5月にはリニューアルされたニューマカンの第一号車が日本に入ってくることになった。10年に渡るアズールともお別れの時が来たのである。
それがまたこのブログにも登場するタイミングとなったのである。

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