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Car Life

Bentley Azure ‘98

ブログのタイトルを「室長の速ければよいカーライフ」としているが、実は私の車選びの条件はもう一つあって、それは美しい車であることだ。

私の車遍歴の中で言えば、モーガン+8、アストンマーチンDB24,フェラーリマラネロ、コーニッシュⅡ、ベントレーコンチネンタルⅣなどは美しいと思い、殆ど一目ぼれで、占有欲が湧いて買ったものだ。その系列の最後がアズールである。
コンチネンタルⅣは気に入った車であったが、ドロップヘッドでオープンにした時、幌が車体内に収納されず、スピードを上げると風でバタつくのが唯一の難点であった。それを気にし始めたときに、アズールに出会ってしまったのである。
 
アズールとは南仏コートダジュールの紺碧の空を意味するそうだが、個体はそれを象徴するかのようなロイヤルブルーで、幌は全自動で車体内に収納され、幌を収めるリアのサイドラインが何とも艶めかしいのであった。

同時に自動思考的に頭に浮かんだのは、まだ若い頃に見たカ―グラフィックに掲載されたアズールの特集写真だったのだ。`何という美しい車か`と羨望の目でもっぱら眺めていた自分がフラッシュバックされたのだ。それが10年の時を経て目の前に現れ、私の手の届く価格になっていては、もう買わないという選択肢はなかったのである。
  
全長5342mm,全幅2057mm,全高1476mmの二ドアコンバーチブルの4人乗りとガタイは大きく、エンジンは6.75L V8 OHV ターボチャージャーつきで、スペックは発表されていないが、実感ではポルシェ並みの加速である。

ライトウエイトではなく重厚で大きな車のオープンカーは珍しく、迫力も半端でなく実に美しく恰好が良いのである。
もちろん人が車を選ぶのであるが、時には車が人を選ぶこともあると思う。
この手の車は助手席に喜んで乗る人はそうそういない。やはり目立ちすぎるのである。
実際スポッと嵌るように似合う子もそうはいない。
またオープンカーというものは、夏は無論のこと、春秋でも陽射しが強くなると日中はそれほど快適に乗れるものではない。
そんなかんだでオープンで走れる機会は、自己愛にふけって一人で乗る以外は実際にはそうそうあるものではなかった。

杉並区の一戸建てから港区のマンションに引っ越す時に、マンションの駐車場は一台分しかなく、車を一台にしなければならなかった。当時持っていたSUVのマカンとアズールの二者択一となった。駐車場の出し入れ、日常の使い勝手、山小屋へ行く際の利便性、など総合的に考えると合理的にはマカンであったが、考えあぐねた末、結局アズールを残した。次世代マカンが出るまでアズールを思う存分に足にしてみようと決心したのだが、マンションのパーキングのシステムが前入れ,前出しであったことも後を押した。アズールでも駐車に少しも苦労しなかったからである。

この手の車は税金も高いし、燃費も悪くメンテナンスに金がかかるなどその経済性を他人事ながら良く心配された。確かにリッター4、5kmと昨今の高性能ハイブリッドと比べれば絶望的に悪いし、重量税も高い。しかし車にとって大事なのは本当に経済性が第一なのだろうか。そうであるなら車を所有すること自体が既に不経済なのではないか。その車に愛着が持てるかどうかが価値の判断基準ではないだろうか。つまり趣味に近い領域のことは、金銭の多寡には左右されないのが鉄則だから、決して不経済ではないのだ。
それに現実的な経済の話をすれば、10年たってもアズールの車両価格は少しも下がっていない。もちろん新車で買えば大きく下落するが、程度の良い中古車なら殆ど価格は下がらない。
アズール98年はフォルクスワーゲンに吸収される以前の、ピニンファリーナデザイン、マリーナ・パークウッドによる最後の純正ハンドクラフト車であり、2006年以降の2代目アズールとは根本的に違うのであるが、それでもオートマ、パワステ、エアコンが装備され、幌の開閉も全自動と快適性も備えているので、ヴィンテッジカーの風格と装備の近代性のバランスが非常に良いと思われ、これからおそらく値が上がって行くのではないかと予想している。
ちなみにかつて所有していた1954年のアストンマーティンDB24は購入5年後に1.5倍で売却し、その後現在は20倍くらいまで高騰している。
減価償却を考えればアズール‘98は超お得な車ということになる

そこまで言うなら持っていればいいではないかという話にもなるが、私の人生はエンディングに向けてダウンサイジングのただ中にある。人生には身の程を知り断腸の思いで切らねばならないことだってあるさ、所詮は車の話ではないか、と負け惜しみを言っておこう。

そしていよいよ、この5月にはリニューアルされたニューマカンの第一号車が日本に入ってくることになった。10年に渡るアズールともお別れの時が来たのである。
それがまたこのブログにも登場するタイミングとなったのである。

カーナビの恐怖、再び―ナビに車幅制限はないのか?

前に北信州の野沢温泉に行った時に、ナビに軽自動車専用道路に誤誘導されて、とんでもない坂道を走らされ死ぬ思いをしたことを書いたが(カーライフ2016.1.13)、また冷や汗をかいた思いをしたので報告しようと思う。

昨秋のことだが、愛知県奥三河の湯谷温泉に行った時のことだ。もう3度目の訪問なので、多少の気の緩みがあったのかもしれないが、ナビが右折を案内した時に、右折路が見通しが悪い上に極端な鋭角であったので道を見逃してしまったのだ。
するとナビは戻るように案内するのではなく、先を迂回して行く道を案内したのは良いのだが、その道が徐々に細くなり、とうとうサイクリングロードを走るように指示したのだ。

左側は飯田線が走り、右側は宇連川の崖である。ガードレールは付いているものの、車幅はおそらく20cmの余裕はなかったと思う。それで約2km走らされたが、いつ擦るかとひやひやものであったし、万が一対向車が来たらと思うと生きた心地がしなかった。
未だ陽あるうちで良かったが、暗くなっていたらおそらく、車を何度となく擦っていたであろう。車はマカン(車幅192cm)で特別大型ではないし、ナビはポルシェ純正のクラリオン製ものである。
ナビというものは、もともと車のサイズを一切考慮しないで規格されているものなのだろうか?
早い話、軽自動車と10トントラックが同じナビで走れるわけがないだろうということだ。車のサイズ別に作られるか、あるいは案内時に車種別に設定できるようになっていないとすれば余りに不合理というものではないか。
小生が経験したような不都合な話はあまり聞かないから、小生が無知なだけで、既にサイズ別に案内路が変わるサービスがあるのかもしれないが、、、。
今まで何台となく車を変え、ナビも変わったが、そのような説明は受けたことがなかったし、不思議と言えば不思議だが、この様な不都合を感じたこともなかった。

野沢温泉の「村のホテル住吉館」のスタッフも、今回行った「はず合掌」のスタッフも「同じようなお客さんが時々おられますよ。」とのことだから、やはり小生だけが呪われたわけでもなさそうだ。
貴兄の経験は如何なものであろうか。

ところで湯谷温泉は、最近は母親を見舞いに帰省する度に帰りに寄ることが多く、「はず合掌」も3度目になるお気に入りの宿である。部屋数が5室と少ないので、お風呂は貸し切り制でも他の宿泊客とかち合うこともまずないし、合掌作りの建築も趣があるが、設備もサービスも今風で洗練されている。

食事も地産に拘り山の珍味も優れて旨い。酒は銘酒「空」が置いてある。
新東名が出来て、足の便も悪くはないから、関東からでもお薦めの宿である。

SUV系④957型(2009年)カイエンターボーカーナビの罠にはまる

カイエンターボ957

カイエンターボ957

私にとって、2代目のカイエンターボである。1代目の955型カイエンは事故車になった上に走行距離が8万kmを超えたので、買い替えのタイミングと思っていたところに、3年落ちで走行1万kmの出物の957型カイエンターボがポルシェ浜田山の中古車センターにあったので買い替えた。前の955型に比べると、排気量が300cc増え、車重が軽くなったせいか、加速が見違えるほど良くなり、軽快さが明らかに違っていた。かつての955型カイエンは、911カレラを代表とするポルシェのイメージからすると鈍重という感じは否めなかったが、957はかなりポルシェらしいというかスポーツカーの感じが備わってきたというのが第一印象であった。0-100などのスペックも911と遜色のないものになった。リアゲートはオートであり、その便利さを初めて知ることになった。ナビはもちろん、キセノンライト、電動シート、シートヒーター、オートクルーズ、レーダー探知機や後部座席にもテレビモニターなどのオプションが付いていた。

 これは小生の持論であるが、ポルシェのように品質が安定し安心感があり、かつ、頭初の設定価格が「かけそば]状態で、乗り出しには種々のオプションが必要になるような車は、中古車で買うに限ると思うのである。外車は登録するだけで半額になるという位、中古車の値落ちは大きいし、オプションは基本的に査定に影響しないから、距離の出ていない中古車はお買い得感が強いのである。新車にこだわる人は仕方ないが、拘らなければ新車との価格の格差は歴然であり、新車のメーカー保証の付いたような日の浅いものは、特に狙い目だと思う。大体、全体、ポルシェは提示されている新車価格と、実際の乗り出し価格差が大き過ぎるのである。(オプション無しでは走れない)
今回小生の購入したものは、3年目の車検が付いて、タイヤは新品にして、距離は1万キロ強で価格は新車の約半額であった。928も911カレラ4も911ターボも新車で買ったが、前回、一代目のカイエンターボを中古で買ってみて、その様に考えるようになった。始めが中古であれば、下取り価格との落差も少なく、経済性には富んでいるのである。

 少なくとも週一で、東京―高崎間を往復し、乗る機会が多く、また気持ち良く走ったせいでもあるまいが、関越自動車道では、覆面パトカーにしばしば捕まった。あまりに露骨に狙い撃ちされるものだから、家族の提案で、車両ナンバーを1番に変更した。理由は警察も面倒なことは嫌だろうから、面倒で嫌な相手が好むような番号をつければ、お目こぼしの機会も増えるのではないかという、根拠のない推測に基づくものである。さてそれで検挙率が下がったかというと、見事に下がったのである。警察官も人の子である、と言っていてはいけないのだが、警察という合法的権力は、非合法の権力には弱いというのは、どうやら事実のようである。

 ボディカラーは、先代は黒であったが、今回は白となった。新車ではないから、色は自分の好みが最優先されることはないが、白であれば無難だろうと判断した。カイエンは黒が第一人気らしいが、車の維持には、実際は白が断然楽である。黒はちょっとした汚れでも目立つが、白は目立ちにくい。黒では僅かなパラパラと降る程度のにわか雨でも見事な斑点模様を描いてしまうが、白ではあまり目立たないから気楽に乗れるのだ。

 以前にアーデンジャガー40ビトルボに乗ったことがあるが、漆黒であった。車の形に良くマッチし素敵な雰囲気を醸し出してはいたが、その風格を保つためには小生は始終車を磨いていなくてはならなかった。段々、車に使われているような気分になったものであった。

 さてこの車の記憶に残るエピソードを一つ。
 ある夏休みに、長野県北信地方に旅行に行った。栗と北斎で有名な小布施に寄り、野沢温泉の評判の温泉宿を訪ねた。「住吉館」という、決して高級ではないが、モテナシの良さで、予約の取れない宿として常に上位にランクされる宿である。
 野沢菜で有名な野沢温泉は、温泉街のご多分に漏れず、坂の多い街である。山の斜面に温泉旅館が貼りつくように建っている。私たちはナビを信じて、その指示通りに行ったのだが、最後に狭くて急峻な登り道になった。中央が階段状になっていて、その両側が平な斜面でタイヤが走れるようになった急坂であり、少々ためらったが、ナビは繰り返し指示するからハンドルがのけ反るようにして登っていった。すると、最後は本当の神社の参道の石段に繋がっていた。その手前に直角にクロスする細い道があり、ナビは左折して野沢温泉源泉場の方向へと指示したが、とても左折できる余裕は無く、何とか曲がれそうな右折路を思わずとった。その先には神社の敷地があったので、停車して旅館に電話して尋ねると「その坂を戻って、00の先の商店街を進んで、、、。」と教えてくれ、同時に「ナビが間違えることが、よくあるみたいですよ。」と付け足した。

狭くて急な登り道

狭くて急な登り道

急な階段のついた道に変わった

急な階段のついた道に変わった

その先は石段になっに

その先は石段になっに

 仕方ないからUターンして、問題の交叉したところを左折しようとしたが、右側が崖になっており、右前輪が脱輪したらとの恐怖感が先に立ち、左後輪を置き石に当ててしまった。かなり抵抗があったが、曲がるしかないと思い強行したら、フェンダーがへこんでハズレかかった。後で冷静になって考えれば、右前輪にはモニターカメラが付いていたし、一人が外に出て、目視して誘導すればギリギリ左折できたのではないかと思えたが、その時は登攀して来た時の恐怖感が先に立ち、感動錯覚を起こしていたのではないかと思う。

フェンダーが外れた

フェンダーが外れた

 それにしても、こんな死ぬかと思うような恐慌状態に陥る客が時々いることを承知しているのなら、旅館の人は、予約時に、「車で来るなら、最後はナビが間違えることがあるから、道を確認して来るように、」くらいのアドバイスは出来なかったものだろうか、と痛切に思ったものである。
 評判のいい、「日常的な最高のおもてなし」を誇る旅館の気遣いがこの程度ではなあ、という思いがバイアスになってか、果たして、住吉館の部屋も設えも風呂も料理も、持て成しも平凡なものであり、前評判の高さが一体どこにあるのか私達には皆目理解できなかった。

 JAFを呼んで、この先走行に支障はないかを確かめるなど、思わぬ無駄な時間使ってしまい、楽しかるべき旅行もちょっとしたトラブルで気分を壊すところであったが、この時は年の功で、きっぱりと気分転換を図り、車は100キロを超す高速では走れなかったが、それでも、それなりに楽しみながら帰ることが出来た。

 この車には、何の不満もなかったが、走行距離が5万キロ近くになったので下取りの良い内にと、かねて評判のマカンに替えることにした。
 こうして私の2代目カイエンは我が家での役割を終えることになりました。


 

車の未来を思う

996carerra4

996carerra4

Bentley continental Ⅳ

Bentley continental Ⅳ

Rangerover

Rangerover

 車をとりまく環境がこうも急激に変わろうとはだれも思わなかったのではないか。

 僕たちの世代は、多くは車好きで、スーパーカーに憧れて大人になり、長じては、カッコイイ、速い車を持つために働いてきたようなものだ。
憧れだった車を手に入れることで、仕事のやりがいすら覚えたのである。

 僕が若い現役の頃は、孔雀が美しい羽根でメスを誘うように、車が無ければ羽根のない孔雀のようなものだという強迫観念すらあったような時代であった。

Morgan plus4

Morgan plus4

Cayen turbo

Cayen turbo

Carerra 996turbo

Carerra 996turbo

Ferrari mallanero550

Ferrari mallanero550

 僕もご多分にもれず、父親の払い下げから始まり、スポーツカーはフェアレディから、モーガン、ポルシェ、フェラーリと乗り継ぎ、SUVはレンジローバー、カイエン、セダンはアウディ、メルセデス、ジャガー、ロールス、ベントレーと乗り(いずれも中古車であるよ。)、時には1954年製アストンマーチンDB24に乗ってクラシックカーラリーのミッレミリアにも参加したりした。

Millemilia 2003

Millemilia 2003

 車はまさに速さと美しさ(カッコよさ)のみが命と思って来た。

 ところが、地球規模の環境汚染の問題から、CO2規制が強化されクリーンエンジンの時代になり、あのカッコ悪いプリウスがもてはやされる時代が来た。今は世界中でハイブリットは当たり前になり、時代は電気自動車の時代に突入しようとしている

 電気自動車も、トルクも馬力ももはやガソリンエンジンンに遜色なく、EVのF1レースも行われる時代になった。残る問題は連続走行距離の延長と充電時間の短縮とスタンドのインフラの整備だけとなってきた。
 トヨタを代表とする日本のメーカーの技術力の優秀さを考えれば、それらの問題も早晩解決されると思われる。
 あのトヨタが、今までの政治に関与しないという社訓、伝統を打ち捨てて、安倍政権にすり寄ってまで、水素燃料電池自動車社会の実現を目指す本気度をみれば、もはや勝負はついたようなもので、ガソリン自動車はもう風前の灯と言えるだろう。

 一方で旧車の人気は高く、ヴィンテージカーは急激な値上がりであるという。特にスポーツカーに人気が集中していて、フェラーリのディーノでさえ今は数千万はくだらないというし、デイトナにいたっては数年前には2,3千万からあったのが今はゆうに億は超えるという。アメ車ですらスポーツカーには高値がつき,すぐにさばけると、旧知の中古外車ディーラーは言う。

 これからのガソリン自動車の運命やいかに?

 私の意見はこうである。
 自動車のエンジンは、早晩ガソリンから電気に変わるだろうと思う。それも水素を使った究極のクリーンエンジンになるだろう。
 しかも運転は自動運転になり、自動車は、私達をまるで荷物のように運ぶ運搬手段、人間主体に考えれば、移動手段になっていくのではないか。自動運転車と自主運転車の共存が難しくなり、下手をすると将来は、車を自分で運転することが禁じられる時代が来るかもしれない。
 そうすれば飲酒運転も自然に無くなることになっていいのかもしれないが。

 かつて馬は、人間の単なる移動手段として、あるいは労働の使役としてあったが、やがて特権階級の愛玩物として名馬が珍重されるようになったり、娯楽として競馬が行われるようになった。乗るものから見るものに変ったのだ。

 ガソリン自動車も、一部の好事家の趣味として残り、新車は性能をあげて行くだろうが、数が出ないから価格は無制限に上がっていくだろう。それらがレースとして見世物になるか、あるいは自らはサーキットで運転して楽しむ愛玩物になっていくのではないか。

Astonmartin DB24,1953

Astonmartin DB24,1953

Bentray Azur

Bentray Azur

 既存の車の一部はコレクションの対象として残るだろうが、そうなるとスピードだけでは生き残れなくなるだろう。電気自動車は速さも進歩して行くだろうから(自動運転になれば、世の中はもう過酷なほどのスピードはもう求めなくなるだろうが)、早いだけのガソリン車では価値が低くなり、結局美しい芸術性の高い手作りのような車のみが珍重され生き残っていくのではないか。もちろん数が多い量産車では駄目だ。

 電気自動車が普及すれば、政府もガソリン自動車の走行禁止などを言い出しかねないから、そうなると自家用ジェット並みになり、自分でサーキットを作ってしまうような超富裕層しか持てなくなるのかもしれない。

 ま、僕の生きている内はなんとかガソリンも手に入るだろうから、今の車を大事に乗っておれば、我が人生はそこそこ運転も愉しめそうだが、その先は全く不確定だ。

 ひょっとして今の若い人の車離れは、直観がもたらす彼等の無意識の心理が、車の未来を見通して、そうさせているのかもしれないね。

そうなると、自動車各社がやっているfun to driveのキャンペーンも効果がないということか。

 時代は、自分達が意識しているより、確実の早く進んでいるのかもしれない。

 

スポーカー系その5― PORSHE 911Turbo(996型)

911ターボ(996型)

911ターボ(996型)

911ターボ(996型)2

911ターボ(996型)2

911ターボ(996型)3

911ターボ(996型)3

 ポルシェカレラ4に乗って、2,3年たち、いよいよ最後の車の頃かなあと思い、当時、まあ一般的に乗れるスポーツカーでは垂涎の的であったポルシェ911ターボに乗ることにした。カレラ4が気に入っていたこともあり、ポルシェの最高峰に挑戦したのである。

 大体、身の丈を越えた無鉄砲な決断が出来るのは、大概大きなストレスを抱え冷静な判断力を失っている状態に、若さゆえのまだ未来への不確定要素が残っている場合である。

 多分、僕の場合も、若くはないが、そうであったのだろう。

 この車の性能は、僕の運転能力をはるかに超えており、車を完全に制御しきれず、911ターボ本来の性能を十分生かせないままで終わったような気がする。20年前の928sや直近のカレラ4のように、自分の手足のように振り回し、飛びまわせる、という感覚が得られなかったのである。

 つまり、己の肉知的な衰えを、初めて実感することになったという訳である。
 この車を最後に、僕の車を見る視点も変わった。
 速ければ速いほど良い、というものから、実用本位か、審美的に気にいるかが、判断の中心になっていく。

 もっとも、これが最後の車というはずではあったのですが、、、(家人との約束は破られる為にある?)

911ターボ(996型)4

911ターボ(996型)4

911ターボ(996型)5

911ターボ(996型)5

911ターボ(996型)6

911ターボ(996型)6

 ただ911ターボにも問題は有った。

 ターボラグである。

 首都高への侵入とか、高速道での追い越しなど、ここぞという加速時に、肩透かしを食らう訳である。

 これはかなり危険でもあった。

 そんなこともあり、この車も2年ほどで手離すことになった。

 この車で思い出す事は、日本のミッレミリアかな。

 ミッレミリアの4日間の走行が終わると、翌朝表彰式がある。僕の参加した時は最終到着地点の箱根の「山の上ホテル」であった。

 僕は最終日は走らず、東京に戻っていたので、そのセレモニーには、東京から911ターボで出かけた。
帰り道で、皆がクラシックカーで東名を連なって走る中を、僕だけが、最新のポルシェで走るという違和感の経験だ。

 それと、クラシックカーを探しに、いろいろな車屋(当時はまだ、本物のビンテージカーを扱うところが幾つもあった、今はほぼ壊滅したが。)を訪ねた時、新車の911ターボで行くのだが、見向きもされなかったということだ。
 彼らは、新しい車には徹底して興味を示さない。錆びたMGやオースチン・ヒーレーの方が遥かに価値があるらしい。

 クラシックカーファンというものはそういうものらしい。

 僕も一時ではあるが、アストンマーチンDB2/4,1954製を持っていたが、結局持て余し、4,5年で譲ってしまった。
 今となっては返す返すも惜しいことをしたと思っている。
 (悔しくて眠れない夜もあるくらいだ。)

アストンマーチンDB24と並べて至福の時期

アストンマーチンDB24と並べて至福の時期

 今のように車の価値を美しさに置くようになると、骨董趣味も加味して、あれほど美しい車は無かったと思うようになった。(カーライフ2013.01.11,2013.01.25

 もう二度と手に入れることが出来ないものほど価値が高まるのは、骨董や、なんかの拍子で失った女性と同じことだ。(ろうと、想像します。)

 

 

 

ラグジュアリー系その4―ロールスロイスコーニッシュ―

ロールスロイス、コーニッシュ?

ロールスロイス、コーニッシュ?

東名高速の油井辺り-大胆にも路駐でパチリ

東名高速の油井辺り-大胆にも路駐でパチリ

先に載せたベントレーコンチネンタル?の前に乗っていたのが、ロールスロイスコーニッシュ?である。
コーニッシュは、ロールスロイス・シルバ―シャドウのクーペまたはコンバーチブルモデルを言い、名の由来は南仏のリゾート地の道路の名前から来ているという。1971年から 1995年まで生産された。
コーニッシュ?は1986?1989年の間の生産されたモデルを言うらしい。
ちなみにベントレーでは、コンチネンタルの名前で売られていた。
エンジンは水冷8気筒OHV,6750cc、トランスミッションは3段オートマ、車重は2223kgとある。

懐かしいコラムシフトです

懐かしいコラムシフトです

クラシックなリボンタイヤ

クラシックなリボンタイヤ

コーニッシュの幌がキャンパス地のものが、前にいた大学病院の駐車場にたまにあり、また時々、青山通り辺りでちょい悪オヤジがオープンで走っているのを見かけ、とてもかっこよく見えて、いつかは乗りたいものだと思っていた。今では地方の結婚式場などでよく見かける通俗的な成金趣味になってしまっているが。
当時の僕は、2年間の運転待機が明けて、とにかく車に乗りたい、コーニッシュが欲しい一心で、サイトで探して、横浜の小さな外車中古屋で買った。ベンツ、ポルシェの古いものとか、若者向きの比較的安い物を無定見に何でも扱っているような所であった。
(当時はシーザートレーディングの存在を知らなかったのだ。)
それでも、ボディの塗装、シート、マットとかのリペアやウォールナットの再塗装とか、いろいろ修理して、結局、買値に400万位追加することになった。
それでも、多くのトラブルが絶え間なく続いて、所有していた1年の半分以上は修理工場のガレージに入っていたような気がする。買った、その日にエアコンが効かなくなったのは愛嬌にしても、ホイールキャップは外れて飛んで行ったし、時々ドアが開かなくなるのには困った。幌の立てつけが悪く風切音がすごく100キロで走るのはかなり我慢が要った。
それでも一応はロールスではあった。乗り心地は今までに経験したことのない味わいであったし、加速も重い車重を思えばかなり良かった。

オープンで(霧ヶ峰)

オープンで(霧ヶ峰)

オープンで(霧ヶ峰ニッコウキスゲ)

オープンで(霧ヶ峰ニッコウキスゲ)

? でかいオープンカーは初めての経験であり、それなりの未体験の快適さはあった。車はボロだが、押し出しは良くて、目立つのである。鼻で風切る、とはこの事かと思ったほどだ。
それにしても、ガソリンとラディエターの水は良く喰った。リッターで2、3キロしか走らないし、100キロも走ると、ラディエターには水の補給が要った。まるで高速道路のような間隔でガソリンスタンドが必要になるのである。
恰好つけて、お店に乗りつけてもドアが開かず、ドア越しに飛び降りるなんて不格好なことが何度かあり、とうとう我慢できずに手離した。(にもかかわらず、懲りもせず、また同類のベントレーコンチネンタル?にしたのは、その黄門様の印籠効果の魔力に負けたのかもしれない。)

 形、見てくれで買った典型のような車であり、私の車歴の中でも断トツの失敗例である。
教訓!車は、焦らず、良く見て買うこと、車のことが良く分からないなら、信用出来そうなディーラーを探すことである。そして不安に思ったら勇気を出して途中でもキャンセルすることである。「安物買いの銭失い」と言うように、結局、高い買い物になる。

 そういえば、昔、中古外車屋で、合法的にキャンセルしたにも拘らず、手付金を返してくれず、争ったことがあった。
この領域の商売人は、いろいろな種類の人が居るので気を付けましょう、と言うのが最後の教訓です。
非合法を趣味にしているような人達が世の中には居て、彼等の好む生息地の一つが中古外車販売圏であることを認識して、お金を払うのは、慎重にした方がいいですね。
これが高い月謝で学だの唯一の学習効果でした。

 


スポーツカー系その4―フェアレディ 280Z

フランス留学から帰ったら、田舎に預けてあったアウディ100クーペが動かなくて、通勤用に、とりあえずフェアレディ280Zの2年落ちの中古を買った。色は赤であった。

学生時代に、東京が実家の友人が親に買ってもらって乗っていたのが羨ましくて、その思いがどこかに残っていたのかもしれない。

新車を買う余裕はとてもなかったのである。

フェアレディ280Z(イメージ)

実はこれが、今までに自分で買った唯一の、最初で最後の国産車になるのである。

当時とて、それに今に至るまで、国産車の性能がひどく悪いわけではない。(当然のことではありますが。)ただ、 何となく買う気にならなかっただけである。

丁度日本のブランドの洋服を好きになれないのと同じで、深い意味があるわけではない。単に趣味、趣向の問題であり、僕にとって車選びはライフスタイルのファッションの一つに過ぎず、洋服や家具を買うのと同じ目線で選ぶからである。

家人の常云言うところのキリギリス生活をしてでも、どうしてもトヨタ、日産を買う気にならなかったのである。(今後はどうなるか、分かりませんが、、。)

それだけのことである。

フェアレディZは、当時はプアマンズポルシェと言われていたが、どちらかといえばデザインは、ジャガーEタイプの真似ではなかったかと思う。

走りが、ポルシェと比べてどうかは、当時はポルシェなんて触ったこともなかったから何とも言えない。

とりあえずZは、良く走ったと思う。振り回すと自分の思いのままになるというような、小回りが利き、小気味の良さがあった様に思う

息子が一才くらいで、片言に「ふぇあれでぇぜっと」と言って、祖父母を喜ばせていた記憶がある。

子供はすぐに大きくなる。家人の膝の上ではおさまらなくなって1,2年ほどで、ベンツ450SLCにしたように思う。(この経緯はベンツ450SLCの所に書いてあります。)

この時代は、個人的に、ともかく仕事が忙しい時期であり、この車の思い出というか、記憶も殆ど無い。

多分、人生で一番働いた頃で、走っていたのは車ではなく自分自身だったのである。

家族で出かけることも殆ど出来なかったし、従ってZの写真も残っていない。

自分の興味が、目の前の仕事だけであり、やりたいことも山ほどあり、車なんかどうでも良かったような時期であったように思う。

母親が子供に没頭する時期があるように、男は仕事に没頭する時期があるのかもしれない。子供にとって母親の没頭的愛情時期がとても大事なように、人生にとって仕事没頭時期も大切ではないかと思う。

おかげで、当時の留学を挟んだ数年間の学問的貯金で、その後30年間に及ぶ、大学での形成外科生活を余裕で送ることが出来たように思う。

僕にとって、Zは陰画のような車だ。

その車を思い出すことで、車よりも印象深い、その頃の実生活を思い出すのである。

長いモラトリアムから抜け出て、好きな事がようやく見つかった時代。10代後半から15年くらい続いた自分自身の混迷の時代から抜け出た、解放感に満ちた充実した幸福な時代であったのだろう。

哲学者の木田元によれば、人は本当に好きなコトが見つかるまでは待つが良い、好きでなければモノにならぬ、という。

ものになった例として、木田元先生の教え子で、大学の哲学科を卒業してから、輪島塗の塗師になった人が居ると、「哲学は人生の役に立つか』(PHP新書)に書いてあったが、それが、なんと僕の好きな赤木明登のことのようである。

木田元

木田元

 

赤木明登には、「美しいこと」(新潮社)と言う装丁も美しい素敵な著書があり、折に触れ再読しているのだが、職人にしては、ずいぶん哲学的な思考をする人だなあと思って読んでいたが、納得である。

内容は「モノ」の本であるが、タイトルは「こと」となっているのも、それらしい。

赤木明登:美しいこと

木田元によれば、待つと言っても、ただボーと遊んでいては駄目で、見つけたいものが何であるかと飢えた獣のように、悶え苦しんで待たねばならないのだそうだが、僕は呑気に遊んで待っていたから、見つかるまでに、徒に時間がかかったのだろう。

あのころは「美しさ」なんて、女の子以外には、興味もなかったし、求めてもいなかった。

今思えば、僕のモラトリアムは、能天気な分、お気楽な人生を送っていたように思う。

その分、その後、いやというほど人生の苦しみを味わうことになるのだが。

だから、お気楽に遊べるときには、遊ぶが良い、というのが僕の人生観であり、息子もその様に育ててきたし(バイトをする暇があるなら遊びなさい。小遣いのためなら、小遣いはやるから、バイトはするな、というようなデタラメというか、つまりは全くの親の責任放棄で。)、今でも、常々その様に生きるように薦めている。

放っておいても、時期が来れば没頭すると思うからだ。

息子は、丁度今がその時期のようで、親としては喜ばしく頼もしくも,相変わらず無責任に唯、見ているだけなのである。

追記:僕の買った国産車は2台でした。先に書いた、三菱ジープが最初でフェアレディは2台目でした。大変失礼しました。

番外編―McLaren MP4-12PC SPIDER

友人Y氏が昨年の春に注文していた、マクラーレンMP4-12PCスパイダーが昨年11月中旬に空輸されてきた。

人の褌ながら、あれほど期待して待っていたのに、彼我の事情で延び延びになり、先日ようやく試乗することが出来た。

そこで今回は、自分の所有した車ではないが、番外編として、マクラーレンMP4-12C Spiderの話をします。

なんと言ったってマクラーレン、助手席に乗っただけだけど、その興奮をお伝えしたい。

2月某日朝、12PC Spiderは地響きのような排気音を轟ろかせて、我が家近くにお出ましになった。

でかい!車幅2,093mmとはこの幅なのかと、まず驚いた。

車の雑誌GENROQなどで何度も見た姿が現実となって現れたのである。

MP4-12C

MP4-12C

 

MP4-12C

 

ここはエポケーして、現象学的還元しなければと、最近、勉強し始めた現象学の一節を寝ぼけた頭で一瞬考えたけれど、Y氏のちょっと照れ笑いした笑顔で挨拶されると、どうやらこれは客観的現実らしい。

マクラーレンMP4-12PC Spiderは車好きには蛇足であるが、新生マクラーレンが、最初に出したマクラーレンMP4-12PCのオープンモデルでエンジン、足回りがリファインされ、馬力も600から625psにアップデートされている。

Y氏の12-PC Spiderはボディカラーは白、インテリアは黒とシックにまとめられていた。

オヤジ2人で

ガルウイングを上げて

 

今回の試乗ドライヴの目的地は熱海で、MOA美術館でタイミング良く展示されている尾形光琳の紅白梅図屏風を見て、昼ご飯は「寿司処美旨」で食べようというプランである。

東名から厚木小田原道路、できればターンパイクを抜けて熱海に入る予定である。

スパイダーだから当然オープンで乗るのが正しい姿である。

昨日は雪が降り、今朝は僅かに雪の残る寒気の中、私達はオープンで出発した。

用賀インターに行く前に、まず、友人のイエスジョージ氏のお店のある赤坂見附、紀尾井町に向かった。

今回、「美旨」の予約で世話になった礼を言う為を表向きの理由に、本音は自慢がてら車を見せに行き、写真を撮ってもらおうという僕の魂胆なのであった。

外苑から東宮御所、赤坂離宮というお気に入りのコースを走り、途中で浴びせられる視線を“オヤジ二人で悪かったな”と、軽くいなしつつ、まずは20分足らずのドライヴであった。

Y氏の話によると、夫人と一緒に乗っていると、遭遇する車のドライバーは必ず、同乗者をチェックし、“なーんだ,ババアか”と言うそうである。

聞こえないまでも唇がそう言っていると夫人は怒り、最近は同乗を拒否されるとのこと。

「Y氏夫人よ!男とはそんな程度の生物です。」いい車の隣は、若いいい女という呪縛から抜け切れず、車で負け、女でも負けるという二重の敗北感を日頃味わうので、若くはない女性が助手席にいるとホットして溜飲が下がるのでしょうね、きっと。

彼らは、いつもは“あれは車がいいから、いい女もついてくるんだ”、といって自らを慰めている、どっちにしてもカイショウのない、女の価値を年齢と美貌でしか量れない発達途上のSTAP細胞レベルの男達ですよ。

幼稚なのは男です。

再び、「Y氏夫人よ!また、堂々と、マクラーレンの助手席にお乗りください。」

そして羨望の視線を投げかける男たちに、“あなたも男なら、こんな車に女房とお乗りになったらいかがです?”と語りかけたらいかがでしょう。

そう唇の動きだけで。

首都高・霞が関から東名へ向かった。風は思いの外、巻込まず、足元のエアコンの暖気もよく効き、寒くはない。

これはオープンカ一般にいえることであるが、オープンは見かけより、実際は寒くはない。

僕がかつて持っていたオールドファッションのモーガンでさえ、そうであった。

要は炬燵に入りながら走るようなもので、風さえ来なければ平気なのだ。

おまけに12PC Spiderは、シートの背中にリトラクタブルリアガラスがついており、これをあげることで、風の巻き込みがぐっと減る仕掛けとなっており、全く問題はない。

たとえ雪、雨が急に降ってきても、ハードトップルーフがあっと言う間に、(信号の待ち時間内に)装着できる。もちろん全自動であり、高速でなければ走行中でも開閉出来る。

クローズしクーペ風

クーペスタイルも美しい

 

平日ということもあり、東名、厚木小田原道路は渋滞もなく、何の問題もなく小田原、早川に着いた。

それにしても625馬力ツインターボは凄まじい。背面に何GかわからないがGを強烈に感じ、ニュートン力学を実体験したのでした。なんせ最高速度は329km/h、 0-100km/hは3.1秒であるよ。

ターンパイク入り口辺りの山を見ると、箱根は前日の雪が,僅かだがまだ一面に残っており、ここは大事を取ってターンパイクは断念して、ビーチラインで熱海に向うことにした。

空は快晴で、海も抜けるように青く、マクラーレンサウンドも耳に心地よく、今までに、ビーチラインをこれほど快適に走ったことはなかった。

途中で、私達のお気に入りのヴィラ・デル・ソルの下を通ったが、あのスープ・ド・ポアソンは健在であるか気になった。

‘星のリゾート’に経営が移ってから、平日のランチの営業は休業になったと聞くと、少し気になる人も少なくないと思う。

スープの味が変わり、最近シェフが変わったのではないかというのが、Y氏の意見であったが、、、心配ではある。

昼食の予約時間45分前に熱海に着いたので、先にMOAに行くことにした。市街からMOAへの道路は狭く、急峻で急カーブが多いと3重苦であるが、Y氏のFuji Speed Wayで鍛えた卓越した運転技術と12PC Spiderの性能の高さで難なくMOAの駐車場に到着した。

12PC Spiderは油圧で車高が50mmほど上げ下げ出来、前輪からのオーバーハングの短い設計も相まって、坂の変曲点でのフロントの当りは、フェラーリほど気にしなくて良いのである。

車高は50?上がります。

熱海の気温は、やはり数度は暖かい、あちこちに見える梅も、今を見頃に咲いていて、熱海に来たことを実感した。

MOAでは、光琳の紅白梅図屏風だけを一直線に駆け抜けて見て、

紅白梅図屏風

すぐに鮨屋に直行した。

それでも少々遅刻になったが、主人は自分のガレージを空けて待っていてくれた。

「美旨」は、知る人ぞ知る全国区の鮨屋の名店で、僕は20年ほど?前に、雑誌「四季の味」の森須滋郎氏の紹介記事で知った。

僕は10年ぶりの再訪であったが、変わることなく居心地のいい店であった。

料理はおまかせで、僕はビールと日本酒三千盛を温燗で1本、Y氏はノンアルコールビールと我慢して頂いた。

おつまみで、数種の刺身の他、鮑の酒蒸し風、キンキの焼き物、フグのアラのチリ鍋仕立てなどが出され、あとは握りであった。

僕は脂ののり具合のいいキンキの焼きものと、握りでは、炙り加減の良いサイ巻海老、肉厚の太刀魚が、とくに美味しく感じた。

満腹になり、再訪を約束して、帰途に就いた。

Y氏はシャリの具合が今一つか、との感想であったが、それには僕も同感であった。

それに今回は少し expensiveであったような気がした。マクラーレンで行ったせいかもしれないなあ。

帰りに小田原の名物のウイロウ屋(お菓子の)に寄ったが休業日で空振りであった。

車はそんなことは気にせず、あくまでも忠実な下部の様にひたすら快調に飛ばした。

4号線の渋谷のジャンクションの螺旋では、横Gが2くらいかかるグリップの良さを見せつけてくれた。

時々強いトルクで後輪がスライドするが、電子制御で難なく回復する。

マクラーレンと言う名車、スーパーカーの素晴らしさを体感した一日になったが、自動車と言う近代技術産業のマクロな将来を思うと、こんなにも完成された、素晴らしいガソリン車の明日はどうなるのかと少々、寂しい気持ちにもなった。

マクラーレンは、僕にとっては、どんな観点からも“雲上車”であるけど、買える力のある人は躊躇せず買うべきであると思う。

本当に好きで、欲しいと思うものを、自分のお金で買うのに、何の気兼ねも遠慮もいらないし、12PC Spiderはそれだけの価値、CPがあると思う。

大体、昨今の、浪費を避ける‘サトリ世代’の若者の縮こまり精神が、不景気の元なのだ。

それを思うと、やはり我らが三河のオヤジは、男らしい。

そう言うお前はどうなんだ?と言われれば、こう答えるしかない。

‐気持ちはあるが、単に、見合う力が無いだけなのだよ、と。

「いつかはクラウン」、そんなキャッチコピーが年金生活者の今の僕には身近である。

運転席でオーナーのふり

 

それに、郷土の誉れ、トヨタの始祖、豊田佐吉翁の辞世の言葉が好きである。

『障子を開けてみよ、外は広いぞ』

これは、我が息子へ、そして若いfollowerの皆さんへ,なかんずく若い形成外科医の諸君に捧げたいと思う。

ラグジュアリー系―その3―ベントレーコンチネンタル―

ロールスロイスコーニッシュのかっこ良さにひかれて、よく調べも、勉強もせずにコーニッシュ?のひどいものを買ってしまい酷い目にあった事があった。

そのストレス解消のためにベントレー版コーニッシュ、コンチネンタル?の極上物に乗り換えた。

走行距離2万キロの、1993年製、10年ほどの旧車であったが、内装、外装とも全く経年変化は見られず、美しく維持されており、一目惚れに近かった。

V8OHV 6747cc 4速コラムÅTのベントレーの今や伝説となったエンジンを載せており、1992年からコンチネンタル?から?となり、ミッションは3速から4速になり、幌はフル電動オープン化しリアスクリーンはガラスになりなった。

これはロールスのコーニッシュ?と同じである。

ちなみにコンチネンタル?は92年から95年までに76台のみが生産されたに過ぎないという。

マリーナパークウォードのコーチビルドで、車体の隅々まで職人の魂が宿る手作りの重厚さに溢れていた。

ウッドには象嵌細工が施され、オプションのピクニックテーブルもバーウォールナットが左右対称に張られるという凝りようであった。

外装がシルバーサンドカラー、シートはコノリー社製でパーチメントレザーにベージュのパイピングとシックなまとめ方も気に入った。

現行のフォルクスワーゲンのベントレーとは全く別物である。

洗練された趣味で、かつ重厚で豪華、小生では、乗り手が明らかに車に負けてしまう感じではあったが、努めてオープンにして乗った。

スペックは公表されないのが、ロールス、ベントレーの習いだが、停止からの加速も、高速域からの加速もポルシェ並みに良く、かといって跳ねるように振る舞う訳でなく、静粛に、まるで船がエンジンを切って港に入ってい行くがごとく滑るように走った。

分に余る車であったが、人目はともかく、本人はヨーロッパの貴族にでもなった気分になれて、いたく満足したのである。

ただ問題と言えば、時速100kmを越えると、ドロップヘッドの幌がバタバタ風にあおられることであった。

それでは今や、高速では、軽に抜かれてしまうのである。

  

  

 

スポーツカー系その3―Ferrari550 Maranello

フェラーリ550マラネロ

フェラーリ550マラネロ?

車好きは、いつかはフェラーリと思うらしいが、ご多分に漏れず小生もその誘惑に勝てず12気筒のフェラーリ550マラネロに乗った。

もちろん中古であるが、フェラーリの中古は一般に距離が出ておらず、きれいなものが多く、中古でも新車のような気分で乗ることができる。

ただタイミングベルトの消耗が早いので、その点は注意を要するが。

日本では12気筒は人気が無いらしいが、フラッグシップは12気筒である。

とにもかくにもデザインが美しいのである。

個人的にはカテゴリーはヴィジュアル系に入れたいくらいである。

ferrari550maranello

ferrari550maranello?

マラネロは発売当時、車雑誌で華々しく取り上げ得られ、羨望の眼で見ていた記憶がある。

その気持ちがコンプレックスとして、無意識下に残っており、数年後に現物を見た時に、その思いが意識下で投影され誘惑に勝てなかったのだと思う。

色は品のいいグレー系で、内装はタンであった。

フェラーリといえば、なんといってもエンジンサウンドであるが、12気筒エンジンは意外に静かで物足りなく、仕方ないからクライスジークのマフラーを付けた。

これは音質の切り替えが出来るので、自宅周辺ではOFFにして静かにして走り、高速道路ではサウンド全開で走るという寸法なのである。

ミッションはマニュアルで、クラッチはあの1954年アストンマーチンDB2/4に比べれば数段軽く、運転はどうということはなく、工具のようなシフトレバーはカチンカチンと気持ちよく入った。

なぜかペダル位置が悪く、ヒール&トゥはアストンに比べやりにくかった。

街乗りは、さほど特徴のない走りだが、3000回転を越えてからの、要するに高速域からの加速はアドレナリンが飛び散り、そのサウンドにはエンドルフィンが洪水のように溢れ出るのである。

運転をする、という目的だけのために乗ってもいいと思わせるのはさすがフェラーリと思ったものだ。

ただ最大の問題は、走り出したら止められないということだ。

車高が低くフロントスポイラーは道路から僅かしか離れておら、ず、ちょっとした段差、スロープでも当たってしまい、駐車場を選び過ぎるのである。路面からの距離はポルシェと大差ないが、フロントノーズが長い分、接しやすくなるのである。これはアーデンジャガーも同じであった。

もちろんデパートなんて行けやしない。

結局安心して停められるところが無く、ひたすら走り続けることになってしまうのである。

フェラーリはまるでマグロのような回遊魚ならぬ回遊車なのである。

つまり知った場所しか安心して行けないのである。

初めての所に行くのに持ち出すのは、気が重くなるのである。

中古フェラーリの距離が出ていない一番の理由はここにあったのか、と妙に納得したのである。

結局大して距離も走らず、手放した。

いったい1キロ当たり幾らについたか、想像するだけでも恐ろしい。(これは家人には絶対言えない話です。)

それでも、いつかもう一度フェラーリに乗りたいと思うのは、あなたが美し過ぎるせいなのか。

    

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