ポルシェカレラ4に乗って、2,3年たち、いよいよ最後の車の頃かなあと思い、当時、まあ一般的に乗れるスポーツカーでは垂涎の的であったポルシェ911ターボに乗ることにした。カレラ4が気に入っていたこともあり、ポルシェの最高峰に挑戦したのである。
大体、身の丈を越えた無鉄砲な決断が出来るのは、大概大きなストレスを抱え冷静な判断力を失っている状態に、若さゆえのまだ未来への不確定要素が残っている場合である。
多分、僕の場合も、若くはないが、そうであったのだろう。
この車の性能は、僕の運転能力をはるかに超えており、車を完全に制御しきれず、911ターボ本来の性能を十分生かせないままで終わったような気がする。20年前の928sや直近のカレラ4のように、自分の手足のように振り回し、飛びまわせる、という感覚が得られなかったのである。
つまり、己の肉知的な衰えを、初めて実感することになったという訳である。
この車を最後に、僕の車を見る視点も変わった。
速ければ速いほど良い、というものから、実用本位か、審美的に気にいるかが、判断の中心になっていく。
もっとも、これが最後の車というはずではあったのですが、、、(家人との約束は破られる為にある?)。
ただ911ターボにも問題は有った。
ターボラグである。
首都高への侵入とか、高速道での追い越しなど、ここぞという加速時に、肩透かしを食らう訳である。
これはかなり危険でもあった。
そんなこともあり、この車も2年ほどで手離すことになった。
この車で思い出す事は、日本のミッレミリアかな。
ミッレミリアの4日間の走行が終わると、翌朝表彰式がある。僕の参加した時は最終到着地点の箱根の「山の上ホテル」であった。
僕は最終日は走らず、東京に戻っていたので、そのセレモニーには、東京から911ターボで出かけた。
帰り道で、皆がクラシックカーで東名を連なって走る中を、僕だけが、最新のポルシェで走るという違和感の経験だ。
それと、クラシックカーを探しに、いろいろな車屋(当時はまだ、本物のビンテージカーを扱うところが幾つもあった、今はほぼ壊滅したが。)を訪ねた時、新車の911ターボで行くのだが、見向きもされなかったということだ。
彼らは、新しい車には徹底して興味を示さない。錆びたMGやオースチン・ヒーレーの方が遥かに価値があるらしい。
クラシックカーファンというものはそういうものらしい。
僕も一時ではあるが、アストンマーチンDB2/4,1954製を持っていたが、結局持て余し、4,5年で譲ってしまった。
今となっては返す返すも惜しいことをしたと思っている。
(悔しくて眠れない夜もあるくらいだ。)
今のように車の価値を美しさに置くようになると、骨董趣味も加味して、あれほど美しい車は無かったと思うようになった。(カーライフ2013.01.11,2013.01.25)
もう二度と手に入れることが出来ないものほど価値が高まるのは、骨董や、なんかの拍子で失った女性と同じことだ。(ろうと、想像します。)