ホームへ戻る

もっと速く、もっと高くーそう鼓舞させるものは何か?

ロンドンオリンピックが終わり、日本はメダル数が史上最多となったそうで、
ご同慶の至りです。

選手たちも、同じように努力しメダル圏内と言われながらも、
手にした人と、出来なかった人では、空港の出口まで違うそうで、
選手たちは悲喜こもごもであろうかと思います。

選手の皆さん、とりわけ結果が出せず、メダリストが連日テレビでもてはやされるのを悔しい思いで見ているであろう皆さん、本当にお疲れ様でした。

陸上競技や水泳では100分の1秒を、トラック競技では1?をかけた、正に熾烈な
戦いが展開されました。人間にとって100分の1秒早く走り、泳ぐことに、1?高く
飛ぶことにどれだけの意味があるのか、不思議に思われる人もいるだろうと思う。

中学生の頃、尊敬する理科の教師が、授業中に、何の経緯かは忘れたが、
こんなことを言った。

「人間はどんなに速く走れてもチータには絶対かなわないだろう。どんなに速く泳げたとしても、イルカにはかなわないだろう。鳥より高く飛べる人間がいると思うか?
人間がどんな動物にも勝てることは知能しかない。知能こそが人間が磨くべく、努力するべき事である。」と。

僕は運動音痴で、足も遅かったし、水泳もクロールは上手く出来ず、50m泳ぐのがやっとだったので、その言葉には随分救われたような気がしたものだ。事実、人間は
頭脳を使って、どんな動物もかなわない時速300km超の車を創り出したし、(あのベンソンでさえ時速50kmまでは走れない。)飛行機も作った。しかし、なぜ人は、たった100分の1秒、1?のために血の滲むような努力が出来るのか不思議ではないか。
単に名誉と富のための功利主義だけか?また競技を見ていて、その姿には多くの
人が感動を受けてしまうのはなぜか?晴れの大舞台に至るまでの血を吐くような
精進、努力を想像するからか。同じような努力をしても、勝者がいれば、必ず敗者がいるという不条理に同調し涙するからか。

私はそこに人の本性でもある自律機能を見るのである。
たとえわずかでも高みに這い上がろうと必死に努力する姿に、人は自分の持っている自律機能の極限に近い形を見るから感動するのではないかと思う。
走るなら少しでも速く、飛ぶのなら少しでも高く、理解出来なければ理解しようと、
困難であるなら解決しようと、そうするのが人の姿として自然なのではないか。
事実、たとえ自分がそうしなくとも、必ず誰かがそうして来たではないか。
面倒な性と言えばその通りだが、それが人の持つ自律機能ではないかと思う。

また、自律機能は、謂わば、心の幹細胞システムの様なもので、普段は表に出ず
眠っているが、困難に直面したり、ストレスで心が損傷を受けると、眠りから醒め、
活性化し、ストレスに対応して修復的に作用し、肯定的に、向上的に人を支えてくれる。

そして身体の幹細胞と心の幹細胞システム・自律機能を触発的に上手く働くような
状態(謂わば励起状態)にするのが量子学で説明してきた、人の細胞の内外の
水分子の量子場の波動のリズミカルな秩序であると私は推測する。

波動の秩序、リズムの乱れは幹細胞や自律機能の発現を遅らせ弱体化させる。

プラチナコロイドは波動のリズム、秩序を保持し、励起状態にさせる事で、
あるいは、時に修復的に作用することで、これまで説明できなかった身体的、
精神的作用を示すのではないかと私は考えている。

ログイン