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新年に漠然と考えたこと(1)ー日本はこのまま新自由主義を突っ走っていいのだろうか?

 年末の選挙で,自公が圧勝し、安倍政権は精力的に企業や富裕層に金が回るような、持論の新自由主義(新資本主義)の政策を進めようとしているが、本当にそれでよいか年頭に考えてみた。

 トマ・ピケティの「二十一世紀の資本:Le Capital au XXⅠe siecle」が、2013年8月にフランスで発刊され、翌年4月には英語版が出ると世界中で大ベストセラーになり、我が国でも12月に翻訳本(「21世紀の資本」山形浩生等訳、みすず書房、2014)、が出ると各界で大きな話題になり、相次いでその評論本も出ている。
 内容は、ざっくり言えば、新資本主義の限界と終焉の始まりを膨大なデータで示しているものだ。
 現在のように資本の収益率が経済成長率を上回る限りは理論的に格差社会の拡大は必然の帰結であり、中産階級は今後消滅せざるをえないという。資本主義社会の崩壊を防ぐには、特権的な富裕層に累進課税をグローバルに協調して課すなど、政治が干渉する必要性があるというが、それは実現されないだろうと予想している。
 ノーベル経済学賞を受賞したような権威のある経済学者の間でも、この精緻だがシンプルな理論には賛否両論であるが、この本が世界に衝撃を与えたのは、新資本主義が、このままでは世界の社会構造を維持することが難しいのではないかという危機感を世界が共有している証左でもあろう。
 日本の経済学者では、元内閣審議官でエコノミストの水野和夫の(「資本主義の終焉と歴史の危機」集英社新書、2014」」が議論の的になっている。

 20世紀後半から21世紀に入り、我々もバブル崩壊、リーマンショック、地球温暖化、9.11アメリカ同時テロ事件、また東日本大震災、福島原発事故を経験し、我々はこのまま今の社会を進めて行って良いのかという不安や疑問を持つようになった。

 世界中の多くの国が資本主義のあり方を議論しているが、日本のようにバリバリの新自由主義を信奉する政府を圧倒的多数で選んだ国もある。

 ピケティは一部の最富裕層が貧困層をなんら返り見ないこと、つまりは,日本の新自由主義者が言うような富のトリクルダウン現象(おこぼれ循環)は起きないことをデータで実証している。
 内田樹は週刊誌AERAのコラムで、安倍首相の今だに成長経済を妄信する時代錯誤性が時代を読み違え、意識の高い国民層の直観との間に齟齬を生じているのではないか、と指摘している。

 ところで、自然科学の進歩は、社会の思想に大きな影響を与える。
 現代の近代資本主義思想は、基本的にニュートン力学とダーウィンの進化論に依拠していると思われる。つまり、未来は予測されるという決定論、予定調和の理念と強者が弱者を駆逐して生き延びるという自然淘汰の理念である。
 私達の世界には、私たちの知らない、神のみぞ知るという絶対的な真理があり、それが世界の始まりの「神の一突き」を前提とするニュートン力学的な自然観である。
 量子論はこれに異議申し立てをしたが、森羅万象の世界を語るには、決定的な説得力が無く、(観測問題など未解決問題を残している)ミクロの世界に限定するとしてニュートン力学と住分けることにしたのが間違いの元であった。
 近代科学が目指した「自然は神の下で征服できる」と言う思想は、“意思は神のみが持つ”とする一神教の元で成立して来たのである。
 現代の社会は「自然や他と共存する」という思想が必要で、これは多神教の自然観である。
 量子論の出現で、本来なら、社会思想は変革されるべきであったのに、量子論を論じる物理学者がキリスト教という一神教から脱し得なかった為に解釈を間違え、量子論は、その役割を果たしていないとして、量子論に新しい解釈を示し、量子論から新しい思想を導き出した物理学者がいる。
 前回言及した山田廣成がその人である。(ラプラスの妄想:2014.12.17)ノーベル賞で何かと話題の多い名古屋大学物理学の出身で、日本の理論物理学の草分けである坂田昌一の薫陶を受けているが、専門は核物理学で、その分野での業績、受賞歴も多い一級の物理学者である。
 本人は、量子物理学は専門外というが、生物学、文学、哲学など文理両面に通じた専門バカではない学者である。そんな人物が「量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味」(光子出版、2014)で論じる文章は、素人向けに書いたといえども、正直理解に苦しむところも多々あったが、立花隆の「読書脳(文芸春秋、2013)」よれば、100パーセント理解できる本など読む意味がないとのことなので、間違いを覚悟で解釈して要約を述べてみることにする。(続く)

 PS:本日(20日)イスラム国が日本人二人の人質を取って2億ドルの身代金を要求してきたニュースが入った。
 人命をとるか欧米の世論に従うべきか、阿部首相は極めて困難な判断を迫られた格好になった。
 かつて日航機ハイジャック事件で、人命は地球より重いと言って、要求をのんだ福田赳夫政権は国際的に笑いものになったし、イラクの人質事件で、自己責任として人質を見放した小泉政権は、国民の信頼にダメージを受けた。

 僕の直観では、安倍政権は人命を重んじている格好をつけて、人質を見限るのではないかと思う。努力はしたが相手が悪く仕方なかった、という形にするしかないとも思う。
 つまり安倍首相が急きょ帰国すれば人質は見捨てられたのではないかと。帰国してまで国民の命を守ろうとしたというポーズである。金を出す気があるなら、帰国しなくとも対処出来るのではないかと思うからである。

 

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