ミッレミリアと言ってもイタリアのではなく、日本のラ・フェスタ・ミッレミリアのことであるが、車を手に入れたその年に参加した。
このラリーはイタリアのミッレミリアに認定された国際的な格付けがあるため、車もF.I.V.A.(国際クラシックカー連盟)の認定を受けなければいけないとか、所有者は個人名でなければいけない(つまりローン中とか法人名義はダメ)とか、手続きがいろいろ面倒であった。
そこで車を輸入したディーラー(社長)のスポンサーになり(参加費用は結構高い)、co-driverに登録させ、一切の手続きは任せることにして、私は殿様が狩りに行くような殿様気分で通すことにした。
本番の1ヶ月ほど前にプレミーティングと称する予行練習が、箱根の山の上ホテルで1泊2日であり、新参者でもあり我々も参加することにした。
そこで初めて、競技は,速さではなく、正確さを競うものだと知った。
CPと呼ばれる、決められた距離を指定された時間で如何に誤差を少なく走るかを競うのである。
結果、時間は100分の1秒を争うことになるので、navigatorはストップウオッチを睨みつつ、driverはタイヤがCPのラインを超えるのを正確に知る必要が生じてくる。
体を乗り出して見るわけにも行けないので、車に印を付けたりして、いろいろ工夫をするわけなのであるが、僕のco?driver(ディーラー社長)はラリーについて知ったかぶりをしていたが、それすら知っておらず、プレミーティングでは恥をかく程の散々の結果で終わった。が、本番に向けては、大いに勉強になった。
本番では、数十メートルから数キロメートルのいろいろな距離のCPが4日間で100箇所くらい設定されているのである。
さてラリー本番は10月の上旬であったが、問題が一つ発生した。
当時私が所属していた大学の医局が、形成外科学会を主催することになっており、日にちが重なったのだ。
多少は迷った?が、ラリーを取った。
但し最終日は会長主催のパーティが有り、私はその司会を担当しており(当時私はそこの助教授であった。)、それをサボることは出来なかったので、ラリー最終日はドライバーを交代してもらい、茂木から東京に戻った。
driverの希望者はいくらでもいたのだ。
従って私は、出発地点の原宿明治神宮表参道での見送りの栄誉は受けたが、終着地点の横浜元町商店街での凱旋行進の感激は味っていない。
ラリーは明治神宮原宿口をスタートし、出来たばかりの六本木ヒルズで顔見世をした後、一路東北道で郡山まで走り、福島会津磐梯周辺、米沢を周回し、帰りは栃木のツインクル茂木に立ち寄りコースを全力疾走してタイムレースをして、茨木、千葉から海ほたる経由で横浜、鎌倉、箱根に至る1600キロであった。
気が遠くなるような退屈な田舎道のワンデリングもあったが、大方は風光明媚な楽しいコース設定であり、夜は、毎晩ワイン飲み放題の宴会があり、日頃接する機会のないような方たち(大概は個人会社経営のオヤジ達)と交流ができ、人見知りの私でもそこそこ楽しかった。
成績は107台中30位とまあ健闘した。(私の時点では20位であったゾ。)
ラリー後、アストンが頑張りすぎて調子を崩しガレージに入ったり、また私がある事情で2年間ほど運転が出来なかったりで、参加は一回きりで終わってしまい、やがてアストンも手放してしまった。
日本のラ・フェスタ・ミッレミリアも私が参加した数年後に、組織運営委員会の内輪もめでミッレミリアの冠を取られてしまい終了してしまったが、2年前にラ・フェスタ・アウトゥンノと名前を変えて再開したと聞くが、参加者もタレントが増えてテレビ番組化してしまい、かってのように数寄者の集まりという内輪の雰囲気は消えつつあるようだ。
所で、アストンマーチンDB24は手放してしまったが、今となっては心から後悔している。
失ってその価値、良さがひしひしと身に染みて分かったのである。
別れてから、その良さが分かった女性のようなものというとわかり易い例えの様だが、実はそのような経験は私にはありません。
想像だけの話ですよ。
次の車が欲しくて手放しておきながら、まるで別れた女に未練タラタラのようでは恥ずかしながら、誠に様になりませんです。
ただ旧車は、近々の車と違い、おいそれと買いなおすことができないのですよ。
今ある,ほんの僅かな数だけしかないのですから。
それに旧車の世間は狭く、あの車は今はどこの誰それが持っているとかの噂はすぐに耳に入って来る。
それが未練を引く結果となり、また切なくなるのだ。
まあオーバーにいえば、茶道具の名物を数寄者達が欲しがった様に似ているかもしれない。
世界の不景気にかかわらず、(だからこそか、投資の対象になり)旧車は値上がりを続けており、ましてやこちらは今や半隠居の身、買い戻すなんてことは到底叶わず、また以前のように写真を見てはため息を付くばかりです。
今は、アストンマーチンDB2mark?やフェラーリ250GTOなどの超ビンテージカーを夢想しつつ、ジャンボ宝くじ売り場に並ぶ老残の日々に甘んじているのであります。