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高浜原発3・4号機,運転差し止め 大津地裁が決定―司法は行政を制御できるか?

1~2月に再稼働した関西電力高浜原発3・4号機をめぐり、大津地裁は3月9日に,滋賀県の住民29人の訴えを認め、稼働中の原発2基に対して運転を差し止める仮処分の決定を出した。決定した理由の骨子は、
①原発の安全性の立証責任は関電側にあり、十分説明できない場合は判断に不合理な点があると推認される。
②福島原発事故の徹底した原因究明が無く、新規制基準はただちに安全性の根拠とはならない。
③過酷事故時の安全対策が十分とは証明されていない。
④国主導での具体的な避難計画の策定が必要。関電も避難計画を含む安全確保策に意を払うべきだ。
としている。

至極まともな判断と言えよう。1)安全性の立証責任は、資料を持つ電力会社側にあるとしたことは至極当然なことである。2)福島第一原発事故の重要性を鑑みれば、原発がいかに効率的でも、事故が起きれば環境破壊の範囲は国境を超える可能性すらあると指摘し、安全基準は、対策の見落としで事故が起きても致命的にならないものを目指すべきであるとした。福島事故の原因究明は、今なお道半ばと言及、メルトダウンに至った原因が何処にあったかの検証も出来ていない段階での状況下で新規制基準を定めた国の原子力規制委員会の姿勢に非常に不安を覚えるとし、その新規制基準による審査は国民の安全を考えるととても認められるものとは言えないとした。そもそも絶対の安全性など誰が言えるのか、従って必要十分な安全対策などあり得ないのである。3)避難計画を県に任せるのではなく、国主導でやるべきである。避難計画は、県単位で出来るものでもないであろうし、避難計画には多くの規制基準が必要にもなるのだから、国には信義上の義務があるとしている。

福島で、散々言われてきた、「想定外のことだから」は、実際には想定出来ないことが起こりうること証明したのであるから、「考え得る世界一安全な規制基準」では全く意味をなさないことは自明のことである。何が起きても、どんな想定外の事態になっても、安全のための対策が担保されなければならないのだが、原子力エネルギーに関しては、人類は未だに原子炉廃棄物の処理法すら持っていないではないか。それゆえ、当然のことながら、人類は未だに原子力というエネルギーを使う資格も権利もないのである。
例えば、隕石が原子炉に直撃した場合、そうでなくとも北朝鮮のミサイルが直撃した場合でも、政府は「想定外のことが起きたのだから、すいませんね。」で済ませると考えているのだろうか。
多数にものを言わせて、安倍政権はやりたい放題であるが、原発に対しては異常ともとれる肩の入れようである。東北に未だ避難民の残るさなかでの早期稼働、原子力発電所の輸出と、ついこの間、メルトダウンを経験した国のふるまいとは到底思えないとは、BSTBSの「外国人記者は見た!日本inザ・ワールド」での外国特派員の多くの意見であった。さらには、日本のマスコミがそのような政府を殆ど批判しない態度を、マスコミ人として異常であると、心底呆れた顔で揶揄しながらも、マスコミが機能しない日本に危機感を表明していたのが印象的であった。
日本の司法は、政府・行政機関の監視役という使命を放棄した日本の報道マスメディアに代わる存在になりうるのだろうか?大津地裁は大方の予想を裏切る英断であったが、司法も上に上がるにつれ腰砕けになるのが常であるから楽観はできないが、原発に関しては、司法は、今までの政府の方針を追随し黙認してきたことが福島を招いた原因の一端であることを反省し、権力におもねずに当然の常識で対処してほしいと願うばかりである。

原発があってはいけないことは、選択の余地がないほど、また考えるまでもなく、当たり前すぎる程当たり前のことだと僕は思うのである。

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