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なぜ急ぐ?カジノIR法案成立-裏で動く黒い頭のネズミは誰だ?

たった6時間の審議でIR法案が衆議院内閣委員会で可決された。多方面から問題が多いと危惧された、実質カジノ法案が急いで強行採決された理由は、日経新聞によると「大阪維新の会」に自民党がおもねったためだという。改憲に向けて維新の協力をとるためには、賛成で意見を集約できなかった与党公明党との軋轢は覚悟の上であった。どうせ公明党は与党の立場を捨てられるはずはないと舐められたのだろう。また公明党は政党として賛成か反対かの立場を明らかに出来ず政党責任を放棄し,自主投票という姑息な手段でごまかすしかなかったのである。
IR法案の問題点は大きく3点であるという。
①その合法性について。刑法は「賭博」を禁止しているのに、宝くじや競馬などと同じようにカジノを公営ギャンブルにしても良いかという問題だ。
②経済効果があるかどうか。
③ギャンブル依存症対策をどうするか。

合法性はパチンコの景品を現金化する組織が警察機構の直轄団体になっている現実を見れば、法律論をまともに考えても無意味なのが、この国の実態だろう。我が国は政治の都合で何でも合法化できる国になっている。
経済効果について言えは、大型リゾート施設が決まれば、建築の需要と雇用が生まれるというが、これは新しいリゾート施設が決まれば必然的についてくる話で、何もそこにカジノが含まれている必然性はない話ではないか。
予想されるギャンブル依存症には万全の対策を尽くすと言うが、一体どんな対策があるというのか?、依存症になった患者に現在の精神科医療がどれだけ有効か実態調査でもしたうえでの話なのか?行き着くところは精神障害者年金と生活保護費を膨大に浪費することになるのは目に見えていることだ。
依存症の対策は原因となる対象を存在させないことに尽きるのだ。麻薬類が存在するから、薬物依存症は存在するし、ギャンブルがあるからギャンブル依存症が存在するのだ。そんな理屈は幼稚園児でも分かることだ。
ギャンブル依存症対策は、ギャンブルを根絶する以外に方法はない。IR法案とギャンブル依存症対策というのは根本的に自己矛盾でありブラックユーモアなのだ。
しかもこの問題の欺瞞性は、稼ぎは一部の特権的な組織が持って行くのに、そこで生まれた依存症患者の医療費や社会福祉費は税金で賄うという所にある。

カジノ法をめぐって、馬脚が現れたと言うか、見え隠れした問題点をいくつか言うと、
まず「維新の会」というのは、大阪の利益だけを考える利権団体だということだ。維新の会にとって、大阪都構想も2025年の国際博覧会誘致も、それに合わせて大阪湾の人工島、夢洲にカジノを誘致することもすべて大阪に利益を誘導するためであり、そのことが何よりも優先事項の党是とする団体に過ぎないということだ。そのためには政権にすりよって憲法改正で恩を着せカジノで取引をするというわけだ。
カジノはアベノミクスの成長戦略の柱の一ついうが、政府が賭博を奨励してテラ銭を稼ぐ国の品格とはどういうものかなどは、我が国の振る舞いを決める政府の政治家たちは一顧だにしないものだろうか?ただ世界中のどの国でもやっていることだから、それで外国からの観光客も増え外貨収入も増えているからと言う理由だけで、国の正義を決める刑法の理念を曲げてよいのか?
どの国もやっているからと言って我が国が真似をする必要が本当にあるのだろうか。
むしろ今となっては、カジノの無い国の方が希少で観光立国としてブランディングもし易いのではないか?
カジノは、法を守り行儀のよい優しい国民性と清潔で美しい国土という現在の日本のブランドの評価を下げることはあっても上げることにはならないだろうと思う。
さらにはモラルハザードの問題がある。国が認める施設の中ではブラックジャックはしてもよいが、家庭や職場で‘チンチロリン‘や‘おいちょかぶ‘を楽しんだら逮捕され刑務所に入れられるという構造は、どう考えたって国家のご都合主義であり教育的ではないだろう。それは博打が悪いから逮捕されるのではなく、カジノの特権を守るためとしか映らないだろう。判断基準が「国家が認めるか、認めないか」では道徳倫理の基準が失われ,モラルハザードは止めようがないだろう。
学校の先生には、博打の善悪を子供たちにどのように説明しろというのか、教育指導要綱にはどのように記載されるのだろうか?

物事の善悪の判断をすべて国家の都合で決める国とは何か、を今良く考えるべきではないかと思う。

さて最後に、一番肝心肝要な疑問がないがしろにされていないか不思議である。
それは、日本の社会の正悪を決める日本国の刑法がなぜ賭博を禁じているのか?そしてなぜ今それが改められようとしているのか?ということである。聞きたいのは、動機ではなく、改めて良い理由である。変更する法的な解釈は説明はつけられるだろうが、そうではなく、刑法を制定するとき、賭博は日本の社会、国民にとって良くないから禁止したのではなかったのか、その禁止とした理由を念頭に置いて、今回それを実質上、変更し許可するに至ったその理由を知ることである。
つまり、賭博が禁止されていた理由と、許可された理由の理解である。
後者の理由が、国の経済発展のため、国が収入が欲しいからという理由だけで変えてしまって本当に良いのか?
時代と共に社会の構造も生活のスタイルも変わり、国民の道徳観も変わる。賭博禁止は我が国の現代社会に合わなくなったから許可をすると言うならそれはそれでよい。
それならば、賭博は広く国民に自由に許可されるべきものだ。一部の特権組織だけが許され、他は駄目というのは憲法の保障する国民の自由・平等性に欠けはしないか。

賭博もパチンコ、競馬、競輪、競艇、ロトと実質骨抜きはいくつもある。
いずれも原初に立ち返っての本質論での説明は避けられ、小手先で実態を変更して来ている。
パチンコに至っては法の取り締まりの大本の警察が組織的に関わっている始末である。

カジノ法案は、売春禁止法を逆に行くようなものでもある。かつて売春行為も国が認めた場所(遊郭、赤線)、娼婦(公娼といった)であれば良くて、私的に行えば逮捕され処罰された。しかし1958年買春防止法でそのすべてを禁止したのである。
買春を賭博に置き換えれば分かりやすい。

小池知事が定例記者会見で、ある記者に「オリンピック会場を巡っては、結局は大山鳴動してネズミ一匹か?」と皮肉られた時、「それでもオリンピック会場でも豊洲市場でも、黒い頭をした大きなネズミが沢山居たことが明らかなり、それで経費は随分削減にされたではないか、それだけでも良かったではないか、」と切り返したが、おそらくカジノ解禁でも、裏で、頭の黒いネズミが巨利を狙って暗躍しているに違いあるまい。

ところで、先日のオリンピック4者会談で、森組織委員会長が、横浜アリーナ開催に関して小池都知事をなじったが、そのネタ元になった横浜市長から都知事宛の「横浜アリーナ開催での懸念」に関する手紙を都知事に上げずに、森組織委員会会長に見せた都の幹部職員がいたことが後日判明した。そんな頭の黒いネズミ達に内通する、いわば都民に弓引く不埒な輩は、名前を都民に公表し処分すべきと思うが、皆様のご意見はどうだろう?
その犯罪的職員の特定と公表こそがマスコミの責務であると思うが、またマスコミ各社はスルーを決め込むのだろうか。
この間の都政の不祥事を見て、つくづく思うのだが、都政の不正を防ぐには、都政、都議会の活動を詳細に報道する地方紙を作るのが最良の方法だと思う。全国紙では駄目である。健全な地方紙の存在は地方行政をチェックし社会を浄化する。少なくとも今までの元都知事、都議会自民のようなやりたい放題はブレーキがかけられるだろう。(マスコミの最大の役割は、行政の監視である、地方紙は地方行政を専門に監視する)
どなたか心あるジャーナリストが手をあげれば、クラウドファンディングで資金は容易に集まるのではないか。仮称「都民新聞」に投資しようとする都民は少なくないと思うがいかがだろうか。(個人的には、前都知事候補の宇都宮健児氏など適任だと思うのですが)

そういえば、カジノ解禁を最初に言いだしたのも、小生の記憶が正しければ、またもや例の石原元知事であったような気がする。東京都の湾岸地帯、豊洲、お台場の有効利用にはオリンピックとカジノが必要とか言っていたよね。

頭の黒いネズミは、悪い奴ほど嗅覚は優れていて、しかも図太くて逃げ足も速いようだ。
黒いネズミは身の安全が確保されると態度を豹変させると前にも言ったが、そのとおりになった。
小池都知事は、ネズミの正体を掴んでいるなら、こちらも是非フルオープンでお願いしたいものだ。

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