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空耳妄言⑳ 安倍政権内閣官房は基本的に存在悪である ー聞き流しても良いが、誰かが呟いたほうがいいような話もあるー

安倍政権、安倍内閣官房を巡る問題が噴出していて、森友問題はいつの間にか影をひそめ、加計学園獣医学部問題も稲田防衛相失言やら下村幹事長代理の不正献金問題や都議選やらでうやむやになりそうな気配になってきた。
一つ問題が起きると、つられるようにまた新しい問題が発生し、それが前の問題を消滅して行く現象は、量子論で粒子、反粒子が瞬時に生じて、瞬時に消滅していく対生成・消滅現象を想起させるが、安倍問題はプラスマイナスの対ではなく、すべてがマイナス因子であるところが根本的に異なっている。
大事なことは安倍内閣官房の一挙手一動、個々の事象に関心を奪われ過ぎるのではなく、起きてくる事象に共通して通底するものを見出し、彼等の行動原理を見つけ問題の本質を見定めることが重要であろう。

国民世論や野党の意見を力ずくでねじ伏せて国民の総意である平和主義や国民主権を脅かすような特定秘密法、集団的自衛権の行使容認、安保関連法案、原発再稼働、沖縄米軍軍事基地紛争の弾圧,共謀罪等を強行する。また不公正な行政の在り方にいくつもの疑惑が生じても、認めない、調べない、謝らないというカエルの面3原則で事実を隠ぺいし、民主主義の根幹である「事実」の開示をしないし、説明責任を果たそうともしない。

また政治の命ともいえる言論を軽んじ、安倍内閣官房の言葉は耐えられない程軽い。
首相は、国会の質疑でも本質ははぐらかし、相手を揶揄し侮辱し、あげくには野次を飛ばす品性の無さ。つい最近も、「国民の疑問には丁寧に説明していく、真摯に説明責任を果たす」と言いながらも実際には、行政文書は開示しないし、証人喚問も、閉会中審議も拒否している。稲田防衛相の憲法違反発言釈明も下村幹事長代理の不正献金弁明も余りに薄っぺらい強弁、詭弁に終始している。
民意に耳を傾ける、言ったことは守る、事実は伝える、という民主主義を成立させる根本的な姿勢が全く見られないのである。

一部の側近を重用し、お友達やお気に入りを優先させ権力を夫婦で私物化する。(森友、加計では自ら手を汚さないよう、私意を忖度させ、そのあげく非難されれば、じゃあいくつも獣医学部を作ればいいんでしょと、側近の入れ智恵が無いとトンデモナイ方向違いなことを言いだし、何でも自分の意向でまかり通ると思っていたりする、要するに幼稚なのである)すべてが身内、お友達、お気に入り優先の不公平さをごり押して恥じるところが無い。(秘蔵っ子と言われる萩生田官房副長官や稲田防衛相は守るが、大したお気に入りではない大臣や官僚はすぐに切リ捨てる)。

いとも簡単に司法に介入して臆するところが無い。(原発再稼働裁判への人事介入、森友捜査の検察圧力、TBS元局長の凖強姦事件の検察もみ消し圧力等)
結論的に言えば、民主主義における3権分立の重要性の認識がまるで無く、もっといえば正義感が欠如しているのだろう。

一方でアメリカのトランプ政権と同様にマスコミを敵視し、分断をはかりお気に入りメディアを使って支配しようとする。マスコミ業界の人事に介入して圧力を掛け、マスコミを利用して世論操作をはかる。

これらから安倍内閣・官房の政治行動に共通して見えてくるものは、1)民主主義を守る姿勢が全くない、2)自分の意向を忖度する取り巻きだけを重用して、権力を私物化して臆するところが無い、3)監視社会を作って相手の弱みを握り、脅し・すかしのヤクザまがいの強権支配をしようとする、4)ジャーナリズムを敵視し、一部のお気に入りメディアを使って情報を支配しようとする4)どんなに乱暴な国会運営をしても、国民は時間が経てば忘れて支持率は回復すると考えている(成功体験として)、などである。

安倍内閣官房のこの様な体質は、安倍チルドレンという子飼い議員たちにも良く浸透しているのか、未公開株の武藤貴也、育休不倫の宮崎謙介、長靴の務台俊介、ガン患者の大西英雄、自己責任の今村復興大臣、暴言・暴力の豊田真由子議員と愚挙、暴挙に枚挙にいとまがない。
そして、稲田防衛大臣の自衛隊発言、下村幹事長代理の政治資金不正献金問題に対する国民を舐めきった弁明と政府の対応である。
これらすべての出来事も安倍内閣の政治姿勢の本質を見れば、大きく違和感は感じない。

安倍首相,菅官房長官はじめ政権トップには、まず民主主義とは何か、なぜ民主主義が生まれて来たかを歴史学、社会学、政治・経済学の初歩から勉強して頂くしかないだろう。さしあたり義務教育からやり直すしかないのではないか。
そして、嘘をつくことは恥ずかしいことだということを学んでもらわねばなるまい。
お勉強が済むまでは政治の場から退出して頂くのが最も国民のためになる政治行動であろう。

安倍一強の陰りを受けて、後ガマを狙っているのが麻生副首相と石破元地方再生相という。
麻生氏は、官僚の書いた原稿を読むための国語の勉強が優先されるべきであろうし、あの傲慢さと知性の低さはもう勘弁と思う国民も少なくないであろう。
石破氏も、この民主主義と平和主義の国家的危機というのに、三白眼で上目使いして、お題目をぼそぼそ言うだけで、安倍首相の顔色をうかがうばかりでは、国民の信頼は得られないであろう。
今求められるのは民主主義を信条とし、国家国民のために信念を持って公平な政治を担う人物だ。この好機に自民党内でクーデターを起こせないような人物では駄目なのだ。

安倍内閣が馬脚を露呈したと同時に、誰の目にも明らかになったことが、マスコミの時の権力におもねるという体質だ。読売、産経は既に周知のことにしても、他社もいよいよの段になると論調を変え、矛先を移して火消しに走る。国会閉会後の、マスコミ各社の論調を見よ、国民の関心は未だ高いと言うのに、加計問題はすっかり影を潜めてきた。
そして現在、安倍内閣のファッショ的政権の問題性を、永田町(政治、内閣官房)と霞が関(官僚組織)の権力闘争に刷り変えようとしているように見える。
時には権力に批判的な論調を張るテレビのキャスターにしろ評論家、知識人にても同様である。所詮彼らは新聞社や放送局の会社員であったり大学の教員であり、組織の中で上手く出世して今のポジションを得てきた人であり、また評論家達も今の体制の中で立場を確保し収入を得て生活しているのだから、その生活を失う危険を冒すほど信条・信念を貫かないのは無理からぬことかもしれないが、、。それでも上杉隆や青木理のように信念を貫く、節操のあるジャーナリストも居ないわけではない。

では我々国民はどこから判断材料となる事実ファクトを得ることができるのか。
民主主義を守るためには、権力に屈しないで、事実を掴み国民に提供してくれる報道機関が必須であるが、既存のマスコミに期待できない今、権力に屈しないピュアなジャーナリズムを自ら育てるしかないだろう。国民の1パーセントが読者(会員)になりクラウドで資金を募れば十分可能ではないか。それにこたえるジャーナリストは必ずいるはずだと信じたい。上杉隆や東京新聞の望月衣塑子記者などを見ると、少ないが可能性が見えてくる。

悪事、都合の悪いこと、不公正なことが事実、あっても、無かったと言い張るのが正解なんて世の中に、大人から子供までがそう思うような社会になったら、この国はどうなってしまうのか。
それが、安倍晋三の言う「美しい日本」なのか。

戦争というものをまるっきり知らず、かといって歴史からも学ぼうともしない(せいぜいお爺ちゃんから聞いたくらいの知識で)、かつ哲学、自然科学、社会、政治、経済学などリベラルアーツを軽んじる政治家たちが、今の日本の政治を牛耳っているのだ。
日本国民は、義務教育レベルの民主主義すら理解できない愚昧で、嘘を恥じない品性の無い人物たちに、一体いつからこの国を任せてしまったのだろう。

致命的なのは、それでも危機感持つことなく、政権を変えようとしない国民なのだ。
既成秩序に反抗し、社会の不正に怒って、まず行動を起こすのは、いつの時代も若者の特権のはずだ。日本の若者は一体どこに行ってしまったというのか。

(2017.7.2.都議選開票直前に記)

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