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空耳妄言㉑―今、小池都知事、稲田防衛大臣、安倍首相について辛言する

空耳のように聞き流してよいが、誰かが囁いたほうがいいような話もある

*小池都知事は当初の政治公約を守って疑惑追及を止めるな

都議会議員選挙の直前は、小池都知事を決められない知事であるとか、豊洲の維持費が毎日数百万かかり血税の無駄使いをしているとかの批判が出ていた。
「危険で直ぐに使えないような代物を作ったのは誰だ」、という根本的な責任論をすり替えるもので、その言を、豊洲作った当事者の石原元知事が大見得を切って言うのは盗人猛々しいと思ったものだ。

さて都議選で小池都知事が率いる都民ファーストが圧勝して支持を受けたのだから、今こそオリパラも豊洲も原点に返って誰が膨大な経費の水増しを行ったか、そのどれだけを誰が掠めたかを明らかにすべきではないか。オリパラの問題の本質は、会場の選定ではなく、いつの間にか何倍にも膨れ上がった経費の問題である。豊洲も盛り土がいつ中止になったかというより、その予算分は何処に消えたか、また全体の建設費も、いつの間にか数倍にも膨れ上がったか、誰がそれを決定して誰と誰が費用のどの分を掠めたかの犯人探しの方が重要であると小生は思う。小池都知事が言った、あの黒い頭のネズミは一体誰であったのか今からでも明らかにしてほしいものである。

また石原以降の歴代知事の莫大な都税の濫費、私的流用の実体を明らかにしてほしいものである

自民都議会のドンが追いつめられて辞めれば済むという話でもあるまい。
このままウヤムヤニしてしまうのなら、小池知事も所詮は自民と同じ穴のムジナということになりはすまいか。

*稲田防衛大臣が辞めるべき問題の本質

稲田防衛相の虚言、失言から大臣の資質が問われている。
だが、その問題とされる資質の本質については、未だ誰もハッキリ言っていないので言っておこうと思う。

問題は彼女の言動というより、彼女の人格・風格・存在自体が国民の命を守るというポジションにふさわしくないのだ。防衛相にはバッドルッキングなのである。彼女の立ち居振る舞いから国民は安全・安心というより危険・不安を感じ取ってしまうのである。そこに防衛大臣の資質の問題の本質があるのである。

おそらく防衛省のトップから末端の自衛官まで自分達の長として仰ぐには不満で、全員の士気が上がらないのではないか。

一般国民が描く理想的な防衛大臣は、国家・国民の安全・安心を第一に考え、制服組の暴走はコントロールするが、常に隊員を思いやりながら、冷静でかつ豪胆な決断力と、すべての責任は一身に負う度量があり、いざ戦争となれば制服に負けない毅然さを示すくらいが理想的なイメージであろう。

稲田大臣に対しては、おそらく自衛隊という組織全体としても、大臣との心理的な乖離が極限状態になっていているのではないか。それが最近出てきた陸幕制服組からの情報漏洩の理由ではないかと思う。

*安倍晋三首相の問題はパーソナリティにあるか?

数年前から幾度となく、小生はこの欄で安倍首相の根源的な問題性を批判し、なぜそうなるかを彼のパーソナリティの面から述べてきた。
彼の精神性の基本は学業の劣等性と、祖父・岸信介へのコンプレックスにあるのではないかとして、それが思想性の無い右翼的な政治行動の原動力になっているとした。
それはそれで今でも間違っているとは思わないが、このところの森友、加計問題でもう少し見えて来たものがある。
それらから病跡学的、発達心理学的な考察をしてみると、
優秀な家系環境に生まれながらも、凡庸で学業成績も周囲の期待に応えられず(青木理著「安倍三代」から)、幼少期から余り褒められる経験なくして生育し社会人になったが、突然父親の世襲で政治の世界に入ると、思わずとんとん拍子に出世してとうとう政権をとるまでになり、それも一強という巡りあわせを得て、何でも自分の思うようになるという優越感、快感を知ってしまった。元々勉学が得意ではないから、教養としての政治学も実際の政治のあるべき姿も政界で勉強して来なかったが、秘書官などの周りの知恵者に従っていれば何でもうまく行ったので、調子に乗り過ぎて夫婦して政治を私物化するようになった。また幸運なことに強いライバルがいなかったこともあり、まわりが忖度でそれを支えてきたというのが現状ではないか。妻の昭江夫人も似たような生育環境であったから夫婦して、成長期の抑うつ感を跳ね返すように権力の快感を味わったのである。行き着くところ、政治も自分の思うように、好きか嫌いかで判断してよいと錯覚するようになったのだ。だから意図的というより当人的には自然な帰結であるから、そこに不正義や恣意的なものを自ら感じ取ることはないのだ。要は無知と幼稚が基本構造だから、そうそう改めようがないということなのだ。

それに若い頃はともかく、政権を取るようになってからの安倍晋三氏は自己愛性パーソナリティの特徴をよく体現している。権力を持つようになって、本来のパーソナリティが目覚めたのかもしれない。

自己愛性パーソナリティの特徴は、
1)過剰な自信を持ち、自分は特別な存在だと思い自己を誇大化してみせ、特別扱いを当然視する。―これまでの戦後の歴代民主内閣には無いような強硬で独裁的な政権運営を押し通してきたし、自民党総裁3選を可能にするよう党規約を変更させた。野党質問に対して、自分は血筋が違うと言わんばかりの傲慢な応答態度をみせる。
2)自己中心的で傲慢、取り巻きを求め君臨したがる。―お友達優先で、自分を持ち上げてくれる自分好みの人物で周りを固め、常にお友達内閣を作って来た。
3)他人の思いに無関心で共感性が乏しく、他人を利用価値だけで見る冷酷さがあるー利用価値が無い、自分に利益をもたらさないとみれば、自己責任だとしてISイスラム国に拉致された後藤健二氏はじめ日本人ジャーナリストを何人も見殺しにした。その他安倍内閣は全般に弱者に冷淡である。

発達心理学的にみれば、おそらく幼少時の分離個体化の頃に「誇大自己」が「親のイマーゴ」で満たされず自己愛を上手く育てられなかったのだろうが、それに強い親族コンプレックスが重なり、強い顕示承認要求となり現在のパーソナリティを作ったのではないか。
またⅰ)強がりを言う、ⅱ)平気で嘘を言う、ⅲ)言葉が軽く簡単に前言を翻す、など反社会的パーソナリティの要素は成長期に虐げられた過去の経験に根ざすものかもしれない。

そのようなパーソナリティと幼稚な性格が、防衛大臣の選任に当っても国家・国民の安全・安心というより目線より自分の都合、好みが優先してしまうし、大臣を罷免するかどうかの判断も国民、自衛隊のためというよりも自分の政権延命になるかどうかでしか考えられない現在の状態を招いているのだ。

都議選以後大手マスコミも、潮目が変わった安倍政権のマイナスになるような記事を載せるようになったが、安倍一強に楔を打ち込んだのは、元はと言えば週刊誌やネットの中で一部のジャーナリストが活躍した結果である。
大手マスコミは安倍政権維持に加担し続けてきたのである。

今気を付けなければならないことは、大手マスコミがフェイクニュースを流し世論が盛り上がったところで、政府が証拠を上げてそれを否定し、それで世論が動揺してしまい安倍内閣官房が復活するというシナリオである。
それほど既成の大手ジャーナリズムは信用できないのである。

今日にも行われるという予算委員会集中審議で安倍内閣官房は防衛省の日報非公開問題でのどんでん返しの秘策を持ち、それで追い詰められた森加計問題を逃げ切ろうとしているかもしれないのだ。

自己愛性パーソナリティのもう一つの特徴は、強気な割には実は内面が弱く打たれ弱いことである。石原慎太郎元都知事は自己愛性パーソナリティの典型であるから、責められた時の反応、情けなく逃げ回った、あの打たれ弱さを見ればよく分かる。
安倍首相も第一次内閣では世論に攻撃されると簡単に内閣を放り投げた過去がある。

さて今度はいつまで耐えられるか見ものではある。

ところで森友・加計学園問題は、韓国の朴元大統領の弾劾、逮捕、訴追案件と基本的に同類ではないか。
我が国では安倍首相の退陣、逮捕、訴追される可能性が話題にもならないのも不思議でではないか。

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