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空耳妄言27:カズオ・イシグロの「日の名残り」が教える品格こそが政治家選択の基準である―安倍にその品格があるか

空耳のように聞流して良いが、誰かが囁いたほうがいいような話もある

カズオ・イシグロが本年度のノーベル文学賞を受賞して3週間が経った。くしくも日本では、安倍自公政権が究極の政治の私物化である自らの延命を図るだけの目的で解散した衆議院総選挙が行われようとしている。

小生には、このタイミングでのノーベル受賞は、カズオ・イシグロからの日本への何らかのメッセージであるような気がしてならなのだ。

代表作「日の名残り」を再読すると、過日NHKBSシネマで見た映画「The Remains of the day」の様々な重いシーンが蘇ってくる。そこでは英国の執事と言う職業人の心情を通して、人が生きていく上で大事なものが何かが語られている。物語にはいくつものメタファーが込められているが、大きなテーマは人の品性の重要性についてである。人間は社会生活をする中で、互いに専門領域が違えば、自分の領域以外では、何が良くて何が悪いか正確な判断は殆ど出来ないものだ。例えば国の命運がかかるような政治的判断は、一般国民には真に重要な情報や政治的な駆け引きの真実も知らされていないから現実的には的外れになることも少なくないかもしれない。しかし同時に判断を委ねる政治家についても、われわれが職業政治家でもなく、また日常的に近くで接してもいない政治家の人物の評価となると、これもまた正確にはほとんど出来ないことにもなる。

では、どの政治家が正義で、正義ではないかを我々一般国民が知るにはどうすればよいのか。何を基準に政治家を選べばよいのか。

イシグロによれば、それは職業、地位、年齢、時代を越えて判断基準となるものがあり、それは人としての品格であるという。

その人物に我々の命運を任せて良いかの判断は、彼の言葉ではなく、その人物の、行い、立ち居振る舞い、所作の品性と、それを醸し出す品格を見て判断するしかないのである。

最新の世論調査によれば、今この国は、次のような人物に引き続き国のかじ取りを託そうとしているようだ。

その人物は、昨日まで政治信条を共にしてきた自らの支援者を、今自分に不都合な存在になったからと言って、急に知らぬ存ぜぬと口裏を合わせ、やがては権力を忖度させ別件で逮捕させ口封じをし、未だ裁判で審判もされてもいないうちから、「彼は詐欺を働くような人物だから自分達夫婦は騙されたのだ」と公言し、我が身を守るのに汲々として恥じないのである。唖然とするが、これが我が国の行政の長の司法に対する理解である。

ただこの一件をもってしても、この人物の品性とはいかばかりのものかは自明であろう。このような人物を信頼してこの国のかじ取りを委ねて本当に良いのか。

それが明日我々に問われているのだ。

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