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ジープに乗ってー1

南アルプスと中央アルプスの狭間を伊那谷と呼び、中央を天竜川が流れ、
山麓にへばりつくように、いくつかの小さい町がある。

今ではリンゴ並木の他に人形劇、時計台でヨーロッパのアルプスの街ふうの雰囲気を売り物にしている飯田市もその一つで、飯田市立病院が私の出向先であった。

リンゴの花

赴任した6月は、残雪を残したアルプスを背に白いリンゴの花が町の至る所に咲く最も爽やかな季節で、私はひとたまりもなく飯田が好きになってしまった。

市の北端から自転車に乗ると南端まで、つまり川岸まで一度もペダルを漕がずについてしまうという斜面の町である。

町の名産と言えば、イナゴやザザムシ(何かの幼虫)の佃煮くらいで、
楽しみと言えば山へ行く位しかない。

そこで早速、三菱のジープを買いました。

1977年 jeepの宣伝ポスター

4駆、SUV時代の先駆けと言うより、実用を考えれば必然的帰結であった。

当時は違法だったが、当然ロールバーを付けましたよ。

役人がでっち上げた改造車違反の罪より、自分の命を優先するのは憲法の保障する生きる権利であろうが、と開き直って。

ジープは一切の無駄をそぎ落とし、エンジンにタイヤが付いているような車で、
故障しようにも故障する箇所が無い。

夏暑く、冬は寒いと思われがちだが、春夏秋は基本オープンで乗り、
真夏の日中はドアを外して天幕の天井だけ付ければ日傘をさしては走るようなもので、さほど暑くは無い。

まして信州の日陰は涼しい。

雨の日は乗らずに歩けばよい。

冬は暖房が良く効き全く問題ない。

後にモーガンを持ったが、モーガンも同様である。

日本の夏はビキニトップ(高野オリジナル)を付けるが正解。

民芸の柳宗悦の息子のプロダクトデザイナーの柳宗理は、ジープを最もデザイン性に優れた車として、本人も長年愛用したそうである。

さて、都会から来た市立病院の若い外科の先生(不肖私メ)は、患者でもあった
営林署の署長の許可をもらって、アルプスの奥深くまで見事に張り巡らされた
国有林道を毎日曜日にはせっせと駆け巡ったわけである。

ちなみにこれら林道は材木を運び出すために巨額の国費を使って作られたものではあるが、すでに林業は衰退し、殆ど利用されてこなかったものである。

天竜川下り

しかしその御蔭で私は深山の奥深くまで車で行くことが出来、自然の壮大かつ細やかな迫力に圧倒され続けたのでした。
特に錦繍の秋は、四方を紅葉の屏風に囲まれて立つと、その美しさに自分のリアリティを失う程、精神医学で言う解離、離人症体験をする程でした。

急流の沢に掛かった昔のトロッコ軌道の跡は2本の丸太橋のようなもので、
そこをジープで渡った時は、命がけでスリルを味わいましたよ。

今なら絶対にそんな真似はしません。出来ません。

渡渉のイメージ写真

格好付けて天竜川の中も走ってみた。

販売店の話ではタイヤが隠れる位までは大丈夫ですよ、というのを真に受けて川遊びをして国道に出ると、全くブレーキが効かなくて真っ青になりましたよ。

PL法違反だよ全く。

ブレーキパッドが濡れちゃうんだろうね。

ある峰の峠をいくつも越えていくと(最近亡くなった原田芳雄が撮った村歌舞伎の
映画で有名になった)大鹿村に出た事がある。

峠を越える

その村の生活ぶりを見ると、一世紀くらいタイムスリップした気持ちになったものである。(大鹿村は下町の江戸っ子を気どるタレント峰〇太の出身地でもある。)

信州は、秋になればキノコとジビエの季節である。

雉、山鳩、イノシシ、熊は言うに及ばず山シギ、野鴨、ウズラ、モズク、日本カモシカなども裏では食べ放題である。

傘がコブシ大の松茸を籠一杯焼いて食べると数日間は吐く息が松茸臭くなり閉口するなんて、諸兄はおそらく存知ありますまい。

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