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CASA-AF

ある土曜日の午後―たまの老後の楽しみ

仕事を引退して、ほぼ読書三昧の日々で、身も心も老いるに任せるような日々ですが、
ごくまれには楽しい出来事もあります。
 今回は、近年とみに、ごく稀になった、淑女とのデートの半日の思い出を綴ります。

 これは他人が読んでもしょうもないことで、書いてる本人が一人で反芻して喜ぶためのものですので、悪しからず。

(この先をお読みになるのは、あまりお勧めはしません。)

 銀座4丁目の看板ともいえる銀座和光で、2か月ほど前にセイコーの腕時計を買ったら、ピアノコンサートに招待されたので行ってみました。

 特段、高級時計を買った訳でもないので、大して期待したわけでもなく、ただ演奏が前田憲男ということだったので、お誘いに乗ってみたのです。
 

 招待は2名でしたが、家人は、あいにく仕事だったので、どなたかお供してくれるご婦人を募ったところ、運よく1名の淑女、Y嬢が名乗りを上げてくれたのです。
 

 まだ大学病院に勤務している頃は、何の縁か知りませんが、年中、若い女性と合コンをしており、当時はまだSJ大学の学生だった彼女とも数回食事をし、面識があったのです。

Y嬢が学生時代の合コン

Y嬢が学生時代の合コン

Y嬢社会人になって

Y嬢社会人になって

  コンサート開始15分前に和光の前で待ち合わせをし、7階の会場に赴くと、ホールというよりサロンというような小体なもので、グランドピアノを囲むように椅子が2,30脚並んでいました。

ミニコンサート風景

ミニコンサート風景

 和光店長の挨拶と、本日のコンサートの説明があり、14時きっかりに白髪の老人が現れ(前田憲男氏も老けましたね!)、にわかにピアノを弾き始めました。

 スポンサーにちなんでtimeにかかわる曲を混ぜながら、懐かしいポピュラージャズから‘愛の賛歌’、‘花は咲く’など、幅広い名曲を一時間ほどの演奏で、途中で男性のボーカルも入ったり、客のリクエスト曲を弾いたりと、サービスの行き届いたミニコンサートでした。

 和光の品格が出た素敵な催事でした。

 ホールの建物の下は銀座4丁目の交差点で、おりしも歩行者天国で、多くの人が行き来しているのがウソのような、落ち付いた優雅な空間でした。

 贅沢を言えば、シャンパンの一杯でも出れば最高だったのに、という思いが少しだけ残りましたが。(これは和光の上客には無い発想で、下品で申し訳ありません。)

 それでも和光はサプライズを用意していました。

 招待客を和光ビルの屋上に上げて、時計台を見せてくれたのです。さすがに中には入れませんでしたが、時計台と三越の看板が水平にみられるという貴重な体験をしました。

時計台記念写真

時計台記念写真

三越看板と並行視線

三越看板と並行視線

 優雅で贅沢な気持ちを味わって、夕方の食事までの2時間をどう過ごすかは、少々迷いましたが、前日、届いたばかりの雑誌“芸術新潮”を見ていたら、日本橋の三井記念美術館で『超絶技巧!明治工芸の粋』をやっているのを知り、彼女が大学時代に美術史を専攻していたことを思い出し、その見学に決めていました。

 行ってみると、結構な賑わいで、ヒトの頭越しで見るような鑑賞でしたが、象牙の微細な彫刻や金物細工など目を見張るような作品が展示されており、予想外に見ごたえのあるもので、Y嬢も感心し喜んでくれ一安心でした。

 その後は三井タワーの1階に出来たマンダリンホテルのカフェでお茶をし、すっかりデート気分に浸りました。(僕だけでしょうが。)
 コレド日本橋の新館をはじめ、日本橋はすっかり様相が変わり、オープンカフェのテラスにいるとまるでヨーロッパの街角にいるような気分になりました。
 それに加え、マンダリンのお茶もお菓子もとても美味しく、お皿からフォーク、ナイフまで紙で出来ていながら、チープさもなくセンスの良さにも感心しました。

マンダリンカフェで

マンダリンカフェで

エコなカトラリー

エコなカトラリー

  後日談ですが、ここではホテルのフレンチ、シグネチャーの特製サンドイッチをテイクアウト出来ることを雑誌LEONで知りました。今度ドライブの行きがけに、さりげなく寄りランチに買えば、ニキータのハートをわしづかみにすること間違いなしと、ついヨコシマな考えがよぎってしまいましたよ。

 さて、夕食は最近行きつけにした、銀座で唯一顔のきく鮨屋、‘すし家’に行き,思う存分お寿司を味わってもらいました。Y嬢は育ちも良く、中々お店を良く知っているので、その評価が楽しみでしたが、十分満足していただけたようで、安心しました。

 ここまでで、まだ8時前でしたが、老いた僕にはさらに飲みに行く元気は無く、楽しかったデートも無事、平和的に終わりを迎えたのです。

 帰宅すると、すっかりご機嫌な僕を見て,『あなたは若い娘と遊ばなきゃダメよ。老けちゃうからどんどん遊びなさい』と、山の神が言ってくれましたが、さてさてどこまで本当にして良いのやら、実に悩ましいところです。

 僕にも、まだ多少の学習能力は残っているのですよ。

 

都内散歩?根津から明治神宮界隈

 今年の不純な天候の合間に、5月らしいさわやかな土曜日があったので、早速、ご飯を炊いて、おにぎりを作って、都内散歩に出かけた。
5月恒例の「光琳のカキツバタ図」を見ることにし、まずは南青山の根津美術館へ。さすがに美術館は混んでいたが、庭はそうでもなく、ゆっくり散策が出来た。最近は、もう常設館は見ないし、カキツバタ図も数えきれないほどに見ているので、目的は庭である。

根津美術館

根津美術館

有名なアプローチ

有名なアプローチ

入り口の舟石

入り口の舟石

企画パンフレット

企画パンフレット


 僕の学生時代は、根津美術館の入り口は骨董通り沿いにあり、庭の外周を歩いて行くと、美術館があるという感じであったような気がする。今も残っている木の大きな山門のような門が入り口であった。

庭園外周の道

庭園外周の道


もっともその頃、先代の美術館すらあったかどうか記憶ははっきりしない。
 で、つい先日買った「東京建築マップ」で調べようと思って探したら、もうその本が見つからない。こういう事態に、最近はもう驚かなくなったが、歳をとると言うことは、何かと面倒ではある。

 とにかく当時は、お金を払った記憶はないから、入園は無料であったようだ。
多分、先代の建物が出来た時に、入り口が今のところに変わり、有料になったようだが、庭だけなら自由に入れた。今のように庭も有料ゾーンになったのは今の隈研吾の建物になってからである。

 有料は仕方ないこととは思うが、昔を知るものにとっては別天地をなくした思いではある。都心も超一等地に、あれだけの広い庭があり、自由に入れて昼寝が出来たのである。

 それに庭の趣味もすこぶる良い。中央アジアの仏教美術のような造形物が、あちこちに置いてあるが、庭は京都の寺院ほどデザイン性が強くなく、東京の大名屋敷の庭のようにいかにもというような力が入ったものでもなく、自然をそのまま残したような、手が入り過ぎず、手を抜きすぎず、いいバランスが保たれている。

新緑でした。

新緑でした。

庭の置物

庭の置物

庭の仏像

庭の仏像


 この庭で見つけた、朝鮮の石造物、人柱の印象が強く、後日あちこち探して求め、今は蓼科の私の山荘の門になっている

当日は庭のカキツバタも満開であった。

カキツバタ遠景

カキツバタ遠景

カキツバタ近景

カキツバタ近景

 カキツバタといえば、伊勢物語の中で、在原業平が都落ちの際、三河の国八つ橋に群生していたカキツバタを見て望郷の念に駆られ歌を詠み(ら衣 つつ慣れにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思う)、涙するという場面で有名になった花であるが、光琳のカキツバタは、それをモチーフにしているという。
「三河の国、八つ橋」という地名は、実は私の生まれ故郷のすぐ近くの愛知県知立市にあり、私が名古屋の大学病院で研修医をしている頃は、自宅からの通勤途中にあり、今頃になると、明けやらぬ早朝か深夜によく寄ったものだ。僕は貴族の都落ちではなかったから、それを見ても悲しくはなかったし、知立名物の「大餡巻き」くらいしか今は思い出さない。

 おにぎりを根津の庭で食べようと思ったのだが、さすがに家人にたしなめられ、明治神宮に移動することにした。

 明治神宮も学生時代からのお気に入りの場所で、学校をさぼっては良く来たところである。なんせキャンパスのあった信濃町から近いのである。

 当時の原宿は、まだ辺鄙といっても良いくらいのところで、多分東京オリンピックを契機にようやくお店が出来始めたところであったのではないかと思われる。(私はオリンピックの翌年に入学し上京した。)
 「銀座ステーキのスエヒロ」がその頃は高級店として営業しており、交差点角には、「八角館」と言う焼肉屋があったが、今は大きなモニターのついたビルになっている。
 今の千疋屋の地下に「青葉」という天ぷら屋があり、僕が天ぷらの開眼をしたのもそこである。
 「オリンピック」という今もある日本初の超高級マンションは、近寄りがたくそびえていた。その地下に「重よし」という、割烹料理屋があったが、今も食通の店として名を成している。今のNHKの辺りは、まだ造成もされず、赤土の空き地であった。

 すべてが、もう半世紀近く前の事である。

 つまり、それだけ明治神宮界隈には通ったということになる。明治神宮は明治天皇が亡くなってから造成された人工林というから、今の神宮の森の1/3の歴史は知っている計算になる

 明治神宮の代々木口の方にだだっ広い芝生の庭に大きな木が生えているところを御存知だろうか。「この木どこの木」の日立のコマーシャルに出た木に負けないような大きな木が何本もある。
 若い頃、登って警備員に叱られたことがあった。

 寝転んで空や雲を見るのがとてもいい。
 今は、代々木のエンパイヤ―ビルが見えて都会的な風景になった。

 世田谷区立砧公園にも同じようなところがあるが、そこも好きだ。
 あそこは元ゴルフ場だそうで、道理でグリーンが広がっているわけである。

 この広場と、清正の井戸があり、菖蒲園と蓮の花がきれいな池のある一画(有料であるが、)が、明治神宮の特にお気に入りの場所である。

 今回はそのいずれにも行かず、第3駐車場どまりで終わった。
そこで念願のおにぎりを食べ、満足して帰ったのである。

明治神宮駐車場に停めて

明治神宮駐車場に停めて

おにぎりを食べる

おにぎりを食べる

 なお、明治神宮は原宿から代々木へ抜ける、最短の近道、抜け道になることを御存じでしょうか。原宿側の入り口で「参拝です。」と言って、駐車カードを受け取り、代々木口で渡して出ればよいのである。もちろん逆も可です。
 但しタクシーでは、それは出来ないのが残念。

今年の蓼科の山荘開き―楽しい交友の旅

毎年今頃、CASA-AFで、五月の連休の蓼科の山荘開きの報告をするのが恒例になり、早3年目である。

 今年は雪が深かったこともあり、屋根の不安は一層であったが、幸い大過はなかったが、帰る時に少し雨漏りの跡があるのを発見した。いよいよ来たるべきものが来たのかもしれない、と不安を残しての帰京となった。

八ヶ岳連峰、原村からの眺め

八ヶ岳連峰、原村からの眺め

南アルプス遠望、原村から

南アルプス遠望、原村から

北アルプス遠望、原村から

北アルプス遠望、原村から

 今年のトピックスは、近くの友人の山荘を訪ねたことと、甲府の知人というか恩人宅を訪ねたことである。

 蓼科の佐久側の麓の望月町に春日温泉という、鄙びたいい温泉地がある。前に職人館(グルマンライフ2012.11.22. )で出てきたところであるが、そこから10分くらい山中に入ったところに、旧知の友人の別荘があると聞いて、今回訪ねたという訳である。
広い敷地に、ログハウスが4棟建っており、母屋、サウナ棟、露天風呂棟、内風呂棟と豪華なラインナップである。

友人のログハウス

友人のログハウス

サウナ棟

サウナ棟

露天風呂棟

露天風呂棟

特注キッチンオーブンストーブ

特注キッチンオーブンストーブ


 お訪ねした時には、既に先客が二組あり、庭のガーデンチェアでシャンパンを飲まれていた。一組は共同所有者のN歯科大の学部長夫妻であり、もう一組は広島で内科、人間ドッグを開業されている医師夫妻であった。
 愛犬2匹がいたり、いずれの方も私と共通の知り合いが居たりして、すぐに打ち解けて楽しい語らいになった。
 手土産に茅野の“たまごやさんのロールケーキ”と“長門牧場のチーズ、生ハム”を持参したが、タイムリーであった。
 夕食は、例の“職人館”が予約してあり、軽井沢から帰ったご息女3人も加わり、華やいだものとなった。

 友人は職人館のオーナーとも,とみに昵懇であり、改めて紹介して頂いた。また、近くにある、予約の取れないことで有名なフレンチレストラン、「サンザ・プリュ」にも友人のお嬢さんの幼少期の絵が飾られてあるほどに親しく、ここもシェフに紹介して頂け、大きな収穫であった。残念ながら今回は食べられなかったが、次回に大いに期待が持てそうな予感であった。

 蓼科湖の近くに聖光寺という、本州で最も開花の遅い桜の名所がある。帰りがけに寄ってみたが、今年は、花見をしなかったこともあり、満開の桜が一層綺麗に見えた。

聖光寺

聖光寺

本州最後の桜祭り

本州最後の桜祭り

 この聖光寺は、トヨタ自動車が交通安全祈願のために建立したと、先月の「日経私の履歴書」の豊田章一郎前トヨタ会長の話にあった。直ぐ近くにはトヨタの役員用の保養所もあるらしい。

 連休の渋滞を避けるため、7日に下山し甲府の知人宅に寄った。もう40年以上のお付き合いで、今回は5,6年ぶりの訪問であった。
 知り合った当初は,小学5年生で、一緒に風呂に入ったら、両すね毛を全部剃られてしまった、という腕白坊主が、今や50歳を過ぎて立派な院長先生になっているのである。
 40年の時間の重さをしみじみ感じたのである。
 彼は、今や、赤坂、六本木では私の指南役である。

 その夜は、湯村温泉の常盤館ホテルの離れ棟を用意して頂き、身に余る僥倖であった。

湯村温泉常盤ホテル

湯村温泉常盤ホテル

大浴場

大浴場

露天風呂

露天風呂

離れのただすまい

離れのただすまい

部屋付露天風呂

部屋付露天風呂

今回の蓼科行は、新しい出会いと、旧き交わりを温め直した人間関係の濃い休みとなった。

いつもの家人と二人で行って、誰とも会わず、二人で帰るのと違い、これはこれで楽しいものであった。

 

 

畏友イエス・ジョージという男

イエス・ジョージという美容室が紀尾井町にある。

店構えが、粋で素敵である。美容室というか、趣味の良い、高尚な人達のクラブ、サロンの雰囲気である。

何の縁で行くようになったかは忘れたが、自分には不釣り合いと思いながらも、もう10年以上は通っている。

無論、散髪に行くのだが、主たる目的は情報収集に行くのである。
グルメ、お洒落の最近の動向から、色々と分からないことの教えを乞うのである。

森羅万象、何を聞いても、必ず答えが返ってくる。例え、ファイナルアンサーではないにしろ、何かのとっかかりは必ずくれる。ほんとうに僕の打ち出のコズチであり、スーパーマンである。

もう一つの目的は、アフターファイヴの飲み会である。お店が終わると、そぞろ、アルコールが出てきて、宴会がはじまるのである。
 美酒美食つき美容室は、おいそれとあるはずもなく、貴重で代え難いのである。この上、美女がつけば、住み込んでしまいそうである。

エントランス

エントランス

ウエイティングコーナー

ウエイティングコーナー

客席を臨む

客席を臨む

 しかし、実は、彼のプロフィールは、正確には多くは知らない。今までの会話の端々からうかがえるエピソードを繋ぎ合わせると、大体こんな人物らしい。

年は僕の2個位下で、60代半ばか。(一度彼の自宅に行ったことがあり、ご両親の写真を拝見したことがあったが、)どちらかがアメリカ人であり、いわゆるハーフである。
若くして美容業界のカリスマになり、大いに一世を風靡したらしい。表参道、ロスアンジェルスとかハワイにも美容室を構え、当時はロールスロイスコーニッシュ、メルセデスSL、ミニクーパーなどを並べて乗り回し、表参道のビルの最上階をペントハウスのゲストハウスにしていて、華やかな交友関係を築き、随分派手に遊んだらしい。
 特に女性関係は僕には想像もできないような華麗な遍歴であったようだ。要するに持てに持てたのだ。
あの気配り、頭の回転の良さ、センスの良さ、ショーンコネリーばりの容貌、それに金回りがいいと来て持てない筈はないのである。今は往年のパワーは無いと言っているが、華やかな女性関係は衰える気配はない様だ。

以上のようなことは、自慢げに話すことは決してなく、ちょっと思い出したかのようにさりげなく話す中から漏れ伝わってくるのである。

 要するに、男の本懐をとげたというか、男が嫉妬心を抱いてしまうほどに男の敵のような奴なのだが、何処か人が良く、常に人が傷つかないように気配りができるので、一緒にいても居心地がよく、誰もが愛してしまう性格なのである。

ベントレーでヤンジ―二人

ベントレーでヤンジ―二人

 友人の少ない僕にとっては、なおさら貴重な、友人の一人なのである。

7,8年前に美容室のスタッフ全員共々お招きして我が家でホームパーティをしたことがある。
ボスは来宅時には、既に一杯ひっかけており半酩酊状態であったのだが、到着するや、自分で朝、築地で仕入れてきた大きな鮑をさばいて、バターソテーを作ってくれたのである。それもバターはエシレを持参するという気遣いなのである。

鮑をさばく

鮑をさばく

鮑のバター焼き

鮑のバター焼き

前菜バーニャカウダ

前菜バーニャカウダ

主催鯛の塩釜

主催鯛の塩釜

ボスはダウン。年波には勝てぬ。

ボスはダウン。年波には勝てぬ。

 熱海の伊豆山に「伊豆花」というローストビーフのお店を持っていて(現在は息子氏夫婦が経営しているが)、私も時々行くのだが、ここのセンスも抜群に良い。紀尾井町の美容室のセンスの良さにも、いつも感心するのだが、伊豆花はロケーションもインテリアも、無論、味も3つ星である。

伊豆花のテラス席

伊豆花のテラス席

テラスからの眺望

テラスからの眺望

しかし、こんな男にも弱点はあるのである。
周りに一人でも女性がいると、決して女性にまつわる話は出来ないのである。
どんな見知らぬ女性でも、何処で誰とつながっているかもしれず、まずい話に発展しかねないからである。僕のような凡庸な交友関係の人間には想像の域を超えた話であるが、それくらい気を遣って生きていないといけないように仕向けた過去があるということなのであろう。

最後にビジネスの話をしよう。

ヘアカット、シャンプーの料金であるが、僕のように、有効耕作面積の少ない者も、家人のように、前頭葉の所在場所が不明なほど髪が密生している者も、同一料金というのはチト納得がいかない。
僕は1時間もかからないで終わるのに対し、家人は3時間は優にかかるのである。

ま、我が家の場合は、トータルでバランスがとれているからいいが。不満に思う親父もいるのではないか。(男性客も意外に多い。)

まあ、そんな御仁はイエス・ジョージにはお出ましにはならないとは思いますが。

そういえば、前の勤務先精神病院では、美容師の患者がいて、イエスジョージの名前は知っていて、僕に言ったものだ。『先生の頭ならそこらの床屋に行っても同じだよ。バリカンで坊主にしてもらえばいいんだよ。ジョージさんの所ではもったいないよ。』と。

そんな根性だから、一方は往年のカリリスの余波で、いまだに美女に囲まれ、立派に現役で羽ばたいているのに反して、片方は精神病院の僕のようなヤンジー医者相手に御卓並べているんだよねえ。(患者には決してそうは言ってませんが。)

ジョージ氏は常に後方に。?頭が大きいせい?

ジョージ氏は常に後方に。?頭が大きいせい?

 

谷川温泉―金盛館せせらぎ

寿司屋は、やはり行きつけが無いと寂しいものである。

前にどこかでお話ししたように、私が行きつけにしていた、赤坂にあった喜久好は親方が引退すると言って、店を閉めたので、私は現在,行きつけの鮨屋を探索中である。

従って気の向くまま、いろんなお寿司屋に行ってみるのだが、先日、その中のある一軒で、取材で来店していたと見受けられた、プロと思しき一人のご婦人と隣合わせになり、知り合った。

私も家人も人見知りで、初対面の他人と口をきくことは滅多にないのだが、なぜか家人が話し込み、話が温泉に及んだようだ。

その御婦人が、みなかみ谷川温泉によい宿があると言い、薦めてくれたのが、今回ご紹介する「金盛館せせらぎ」である。

玄関

私達は、偶然にも、昨年の12月に行っていたのである。

それで、今回はここに取り上げさせていただくことにした。

先に、この欄で、すぐ隣のにある「水上山荘」(2013.5.16.)を書いているが、その前にもみなかみ向山温泉「尚文」(2013.2.23.)、を褒めてスグに書いている。

余程この辺りは私共に相性がいいのかもしれぬが、そういう意味では金盛館は、それほど印象深くはなかったのかもしれない。

私達が行ったときは、丁度、前日から雪が降ったとのことで、12月にしては雪が多かった。正面ロビーは水上山荘と同じように谷川に面しているのだが、少し曲がったところに位置するからか、谷川岳は水上山荘のようには視野には入ってこなかった。

目前に樹氷が迫る

?その代りか、宿はロビーに卓上の囲炉裏を置いて、こんにゃく玉の食べ放題のサービスがしてあった。竹の串に刺して食べるのだが、味がしみていて大層美味しかったように思う。残念なことに日本酒のサービスは無かったが。

囲炉裏でこんにゃく玉食べ放題

こんにゃく玉をみると山形の天童の山寺を思い出す。あのセミと岩の句で有名な山寺である。登山を挫折し、寺の麓で食べたのが、こんにゃく玉の最初の経験で、旨かったので味をしめたのである。

確か一串に2、3個ついて100円かそこらだった。店先に大きな釜が置いてあり、その中で煮えている形は、子供の頃の駄菓子屋の関東煮と同じである。

なぜだか山形に行ってみたくなり、電車を乗り継いで行ったのだ。会津にも寄って、野口英世の生家にも行った。
まだ5,6年前の事だろうに、走馬灯のように、ずいぶん昔の様に思い出す。すべてが幻のように、人はこうして年を取っていくものかも知れない。

さて「金盛館せせらぎ」であるが、ここは若山牧水ゆかりの宿で、当時と同じく、川端に素朴な露天風呂があり、風情満点なのだが、雪の中を長靴で行きながら、更衣場所を間違えて、吹きさらしの濡れた石の上で着替えてひどい目のあった覚えがある。間違えた自分が悪いのだが、行ったなら、注意された方がいい。

雪の中を露天風呂に向かう

露天風呂

入浴者の目

食事は、かの御婦人が褒めていたのだから、悪くはなかったと思う。

夕食

夕食

夕食

夕食

ワインクーラーも粋

朝食

群馬の温泉は概して食事は駄目なのだが、谷川温泉は例外的に良い様だ。

というか、珍しく‘おもてなしの心’が宿っている。

その時は、天一美術館にも何処にも寄らずに、真っ直ぐ帰ったように思う。

それが、私の4年に渡る群馬滞在中の最後の温泉泊りになった。

日本画入門―高崎生活で学んだこと

高崎時代に僕の住んでいたマンションにあった高崎タワー美術館は
日本画好きには良い企画が多い。

昨年1年を振り返ると、1月には、中島潔の「生命の無常と輝き」展をやっていて、行ってみると、人間の寂寥感、無常感を詩情あふれるタッチで描いており,どこか琴線に触れ、リトグラフを2点ほど購入してしまった。

中島潔は当地では、なぜか人気で、いつもの催しより格段に賑わっており、倹約家の群馬人にも絵も良く売れていたようだ。

中島 潔 「紅葉003」

しかし、絵自体は日本画らしい、というよりアニメっぽいところもあり、
少々違和感があった。

その後9月には「日本画の若き力TOP RUNNNER」と称して若手の
日本画家、福井江太郎、加藤丈史、神戸智行、岩田壮平を紹介していた。

日本画若き力 001

花泥棒 001

続いて10月には「金銀の光彩、日本画のきらめき」のタイトルで,

中島千波、加藤又造、望月玉渓をやっていた。

中島千波,加山又造 001

彼等は既に名を成しており、格別新しい発見は無かった。

12月には「文化勲章受章―最高峰の日本画家たち」展で、

文化勲章の画家たち 001

横山大観、竹内セイ風、上村松園、安田ユキヒコ等、歴代の大物作家の作品を見せてくれた。

これぞ日本画という教科書のような絵が並んでおり、ため息の出るような美しさであった。

これだけの展覧会を、地方の一美術館が単独でやれるというのも驚きであった。(山種美術館の巡回ではなかったのだ。)

僕は絵では、若い時から日本画が好きで、山種美術館や根津美術館には、あてがなくとも、好んで行くが、最近の日本画は洋画との境界もはっきりしないようなものもあり、そのカテゴリーに迷うことがある。

学生時代に、根津美術館のお宝の尾形光琳の<かきつばた図屏風>を見て以来、琳派に興味が強くなり、琳派の催しには努めて行くようになり、特に酒井抱一の<夏秋草図屏風>のような琳派の植物画が好きで、若手でそのような画風の作家に出会うとつい食指が動く。

琳派、琳派とよく言いますが、同じように金銀を使う狩野派と基本的にどう違うか、良く分からないまま見ていたので、少し調べてみました。

また、一口に日本画と言っても時代によって、様式があまりに違うので、日本画とは何を指すのかも調べてみました。

日本画と言う定義は、明治維新以降に日本に入った油彩の洋画に対する呼称で、かのフェノロサ、岡倉天心に指導された東京美術学校に端を発する、江戸期から伝わった日本の絵画様式を基にした明治維新以降のものを言うらしく、したがって横山大観、竹内セイフウは日本画家と言うが、江戸時代の狩野永徳は日本画家とは言わないそうである。

日本の絵画を歴史的にみると、大きく「大和絵」「漢画」の二つの流れがあり、大和絵は『源氏物語絵巻』のような平安絵巻の様式、漢画は禅宗の水墨画の流れをくむものを言います。

狩野派は漢画を代表するもので、金箔の屏風でも画題は中国由来のものが多く、豪壮で武家好みで、有力大名をスポンサーにしていました。

大和絵は土佐派、住吉派が代表格で、王朝絵巻の伝統を引き継ぎ源氏物語、伊勢物語など平安文学を画題にし、公家がスポンサーになりました。

琳派というのは、17世紀始めに、京都の豪商をスポンサーとし本阿弥光悦がアートディレクターになり俵屋宗達らの絵師や蒔絵職人らを指導して作り上げた一つの美術様式をいい、派というものの、狩野派などのように当主や家元が居る組織があったわけではなく、その様式を取り入れた緒方光琳,乾山、酒井抱一、野々村仁清、中村芳中、鈴木基一と受け継がれてきた様式のことをいうらしい。

彼らには時代的にも互いに面識はなく、師弟関係もありません。

明治維新後も、アールヌーボーを通して光琳がヨーロッパでも評価されると、京都の陶芸家、日本画家の間でも琳派様式は再認識され、横山大観、下村観山らも日本と西洋の絵画表現を融合させる中で琳派を思わせる作品を残している。

その流れは大正時代にも引き継ぎ小林古径、前田青邨にも光琳の画風に似た作品が見られる。

現在の若手の日本画家にも、それに触発されたかのような作品を見ることは少なくない。

福井江太郎の「連」

連 001

もそうであるし、今、伊藤忠青山アートスクエアでやっている楚里勇己の
「イロノツラナリ」

楚里勇己 001

の一連の作品は、まさにそうである。

僕は個人的には、尾形光琳を始め、酒井抱一、鈴木基一、中村芳中、
伊藤若冲,前田青邨、田中一村らの植物画が好きである。

僕も前田青邨の紅白梅図を一枚持っているのが少々の自慢だが、
義父から譲り受けたものである。

前田青頓 紅白梅図

一方、モダンアート、コンテンポラリーアートは全く駄目である。

特に村上隆や奈良美智のようなものは生理的、感覚的に受け付けない。

大学時代からの友人の精神科医で、コンテンポラリーアートコレクターとして有名になり、(芸術新潮の特集号で知ったのだが)今やTコレクションとして、上野を始め全国の美術館を巡回するようになった目利きがいるが、やはりそれなりの時代を見る才能が学生時代からあったような気がする。

購入当時、全くの無名だった村上隆や奈良美智が100倍にも1000倍にも化けたそうである。

時代を見れない僕とは真逆である。

テレビ三昧の寝正月

明けましておめでとうございます。

穏やかな日和のお正月でしたが、皆様は新しい年をいかがお迎えでしたでしょうか。

私は、今年の年末年始の休みは、敢えて何も考えず、頭を空っぽにして過ごしました。

読む本も車系、グルメ系、ファッション系、インテリア系の雑誌を買い込んだだけでした。

これから始まる長い隠居生活の正月から、何か課題を持ち込んでも仕方ないと思ったからです。

道路の渋滞に決断を迷った末、愛知の母親だけには会いに行ったが、それ以外は何もせず、テレビを沢山見た。

毎年、全く見ないわけではないが、大抵は、気が乗らず、つけては消してと、チャンネルをいじり回すだけのことである。

今年は、じっくりみた。長い連続番組をいくつも見たのである。

一つは、「暦の上ではディセンバー、これで見納め“じぇじぇじぇ!あまちゃん祭り”」。

朝連ドラマ『あまちゃん』の総集編、ダイジェスト版で、12月30日午前から始まり10時間の長丁場であった。

昨年の放送開始から人気沸騰で、終った時には、あまちゃんロス症候群が話題になったほどであったが、私は、仕事の時間上、今まで見たことはなかった。

この機会に噂のほどを確かめようと見始めたのだが、面白くてやめられず、とうとう全部みてしまった。

どこが面白いのかと言われても、うまくは言えないが、とにかく展開のテンポがよく、見る者の気持ちを離さず、飽きさせないのである。天野アキ役の能年玲奈がとにかく可愛い、彼女でなければ番組自体が成り立たなかったのではないかと思わせるほどに存在感があった。

僕の高校時代の親友にテレビ番組の批評を専門にしていて、民放連から東京女子大の教授になった変わり者がいたが、彼だったら、何と批評したか聞きたいところであるが、あいにく10年前に急逝してしまった。

あまちゃんの番組スタッフが紅白歌合戦にも出て、“潮騒のメロディ”を歌ったと聞いたので、You―Tubeで探してそれも見た。

カッケーガった。

“地元に帰ろう”も歌って泣ガゼた。

ユイちゃんが初めて東京に出て来れて、紅白でアキちゃんとデュエット(潮騒のメモリーズ)を再結成して歌うという演出は心憎いが、“ユイちゃん東京に来れて良かったね、”という全国のファンからのコメントが一番多かったということは、多くのファンは、もはや『あまちゃん』に、精神分析でいう転移状態にあったと言えるのだろう。

方言が、これ程美しく、愛しく聞えたことはなかったのではないか。

主人公が前へ前へと進むことで、東北の人々にエールを送り続けた。

久しぶりにテレビはその存在感を示した。

『あまちゃん』の功績はアベノミクス三本の矢以上であったと思う。

大友良英の音楽との貢献度も高いと思うが、なんといっても脚本家のクドカンこと宮藤官九郎の才能が光り、嫌が上にも再認識させられたわけだが、その日の深夜、NHKBSでやっていた「木更津キャッツアイーワールドシリーズ」もクドカンの脚本であったので、それも見ることにした。

20年位前の米映画で、ケビンコスナー主演のフィールドオブドリームのパロディ版?のようなものだったが、岡田准一ほかジャニーズ系が芸達者ぶりを見せ、とても面白かった。

『それを作れば、彼が来る』という天啓を聞いてグランドを作り、亡くなったリーダーを呼び戻すのだが、いざ来てみると、?今?に合わず、結局追い返されてしまうという悲しいストーリーなのだが、スカッと明るく見せるのがクドカン流なのだろう。

さて、その翌日31日には、BSジャパンで昼の12時から6時間ぶっ通しで放送した、『孤独のグルメー一挙放送スペシャル』も全部見た。

途中で、おせちを重箱に詰めるという例年の責務だけは果たしましたが、それ以外は釘づけ状態になったのです。

何でも、もともと週刊誌SPAの人気連載漫画が原作で、テレビの深夜番組で毎週放送していたものを、12話をまとめて放送したものらしい。

これが新鮮で実によかった。毎回ショートショートのようなちょっとしたストーリーがあり、“それにしても、お腹すいたなあ”と決め台詞を言って、決まって昼ごはんを食べるシーンで終わるという展開なのである。

仕事で出先の市井での、昼ご飯の外食であるから、基本的にはB級グルメであるが、巷にあふれるグルメ番組とは一線も二線も画していて、秀逸の出来になっていた。

ともあれ主演の松重豊の食べっぷりが素晴らしいのである。

卑しくも下品でもないし、高尚で品が良すぎるでもない。

世間の一通りの食ベルコトをわきまえた、普通の中年男が、昼食は00円以内と決める世知辛さもなく、自分の鼻を利かせて、町場の食堂を探して入り、店の雰囲気を読んで食べ物を注文して、そして実にうまそうに食べるのである。

見ている方が、美味くてよかったね、と思わず言いたくなるのである。

あれが単なる演技だとしたら、人間国宝級の至芸だろう。

セリフもいい。「なんかいいなあ」、「こうゆうの結構好きなんだよなあ」とつぶやきながら、モリモリと食べ,ご飯のおかわりをする。

グルメ番組のタレントのお決まりボキャの「おいしい?!」、「やわらかい?!」、「甘い?!」、「ジューシー?!」、などとは程遠い。顔の表情、所作でその料理の美味さ、店の満足度が伝わってくるのである。

番組の終わりに、原作者がその店を再訪して薀蓄を語る構成になっているのだが、これが興ざめで、『酒場放浪記』の、最近のタレントずれした吉田類のような演技をして、番組の価値、品格を下げている。

優れた役者には下手な演出も、余分な構成も不要なのである。

“人生を肯定的に生きるのも悪くはないなあ”、という気にさせてくれた好番組であった。

最後にNHKEテレの『100分de名著、幸福論について』も見た

文学、経済、哲学、心理学の4分野の識者が推薦書を挙げ25分づつコメントを語る構成になっていたが、NHKらしからぬ人選で楽しめた。こんな良い番組が何年も前からあったとは露知らず、なんだか損をした気になった。

テレビを何時間も見て、無駄に時間を使ったと、いつもなら自己嫌悪になるところを、“なんか、テレビも悪くないなあ”と思えた今年のお正月でした。

さて、これがどんな一年の始まりを意味するかなんて、、、

どうでもいいではないですか。人生、なるようにしかなりませんって。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

群馬はすごい!温泉付きワイナリーがあった! ―数々の不明を群馬県民に陳謝します

あるいはワイナリーつき温泉と言った方が正確なのかも知れませんが、赤城山麓の丘の上に展望の良い日帰り温泉があり、露天風呂の眼下にはブドウ畑が一面に広がり、その遠景には榛名山連邦がおさまるという絶好のシチュエイションの「天地の湯」に行って来ました。

天地の湯の露天風呂

内湯

露天風呂からの眺望

そこはルンズファームというワイナリーで、パン工房や蕎麦屋さんも併設されたいわば複合施設ですが、祭日というのに閑散としており、単独でのこのような施設の経営の困難さを見る思いではありました。

ルンズファームのワイン希望の風

長野県上田市近傍にある個人ワイナリーのはしりであり、今や超人気ワイナリーの“ヴィラデスト”のオーナー玉村豊雄氏ですら経営の大変さを、何処かの本に書いていました。

何でもワイナリーを作るには、法律で年間に最低でも10000本近く作らないと醸造許可が出ないそうで、そのためには、様々な設備が大型化して初期投資が少なくとも数億円になってしまうと言います。

その上1万本売るとなると、口コミだけではさばけず、販売にも多額の費用が掛かると言います。

多才でメディアでも人気の玉村氏でさえそうであるなら、最近地方に乱立気味の小規模ワイナリーは、皆大変な苦労をして頑張っているんだと想像できます。

そういえば、ヴィラデストの販売コーナーでは玉村氏が自ら立って愛想振り撒いてサ?ビスしていましたが、そうゆうことだったんですね、玉村さん。

3000本で良いとなると、状況はすべて変わると言いますから、なんといっても規制緩和でしょう。

000ミクスで得意になっていないで、TPPの前にやることがあるでしょう、といいたくなりますね。

日本酒が一時下火になった時、日本中の醸造元は真剣に味の向上を図り、競って日本酒が旨くなりましたよねえ。

国産ワインもこのところ見違えるように変貌して美味いものが出て来てますよね。

海外で頑張っている日本人のワイナリーも最近目立ちますが、外国に出て行かずとも、国内で十分勝負できるファンダメンタルズはあると思います。

資本が無くとも熱意と才覚で勝負が出来る国にしてほしいと思います。

官庁もunder controlにして規制緩和してくださいよ、primeminister ABECHAN!

ところで、ワイナリーは大体辺鄙なところにあるから、自然に車で行くことになるので、折角行っても試飲が出来ない。

この重要かつ難解な問題を解決した人には、文化勲章は無理でもシュヴァリエ勲章か、国民栄誉賞には匹敵するだろうと思うが、いかがであろうか?

「天地の湯」は、造りとか眺望は甲府の郊外にある‘ぷくぷく温泉’を思い出させます。

施設は、すべて杉材で作られており、清潔感に溢れ、とてもよいお風呂でした。

お湯はなぜだか、熱海温泉のように少し塩辛い味がしましたが、湯量が豊富で、湯船も広く、僕の経験した日帰りの湯(宿泊施設のない)では5本の指に入る大ヒットでした。

群馬には旨いものは何も無いだの、料理を出す順番など何も考えてない、どだい食文化が無いなどと、また職場で御婦人を食事に誘えば、すぐに上司に報告するなど、何かとTIKURIがまかり通る密告制度遺残後進社会であるなどと、日頃からとかく群馬を揶揄、誹謗してきましたが、温泉ばかりでなく群馬にも誇るべき美点がいくつもあることを最後に告白しておかないと公平さに欠けるというものでしょう。

まずは、こんな貴重な体験を告白します。

朝、目が覚めたら、なぜか自分のベッドの中にいた、というほど深酔いした事があり、朝出勤しようと思ったら車の鍵が無い。

おまけに財布も無かった。

タクシーで職場に出かけ、途方に暮れていると、高崎警察署から電話が入ったという。

また何かしでかしてしまったかと、おっかなびっくりで電話してみると、鍵と財布を取得していると言う。期待半分で行ってみると、なんと鍵と財布がそのまんまあるではないか。

お金は1円もとられず、カードも全部残っているではないか(じぇじぇじぇ!)今までに何度財布を落としたり、忘れたりしたか数え切れないが、よくて空っぽの財布が出てきた位で、今回のように中身も丸ごと帰ってきたのは初めての経験で、しかも拾ってくれた人は謝礼はいらないと言って、名前も告げなかったという。(私の車のナンバーは「品川・・・1」であるが、そこまではご存じないはず。) 

こんな方が、たとえ一人居るだけでも、群馬は素晴らしい。

群馬には美味いものが何も無い、と言うのも訂正します。

ただ、私の周りに美味いものを食べようとする人種が居なかっただけのことで、情報不足でした。

高崎には筋の通った職人のいる、きちんとした日本料理屋も数件はあるし、特に焼肉屋の肉のレベルは一様に高い。

お店は気の利かない店員ばかりと思っていたが、そんなことはない、オヤジがいいところはきちんとした(オ・モ・テ・ナ・シの)対応が出来ている。

すべて私の早とちりで、申し訳ありませんでした。

また、芸術にも理解が深い。

高崎駅の近くには美術館が2つもあり、一つは山種美術館の直系であり、展示のレベルは高い。

しかも高齢者には無料である。

また有名な群馬交響楽団も早くからあるし、専用のコンサートホールもある。

所で、群馬の女子高生は今時の子にしては、一様に足が太いが、これも働き者の上州女の遺伝子のなせることであり、決して彼女達が恥じるものではありません。

ただ群馬の女性のお洒落下手(無関心?なはずはないか)なのは、少々努力がいるだろうとは思います。

せっかく群馬の良いところが幾つも見つかってきたというのに、なぜ群馬を去るのか、ですって?

何事も潮時というものがあります。

潮目は今でしょ

(この流行語大賞の予備校の先生は、私の卒業した名古屋の高校の後輩でした。どうりで,野暮ったいでしょ。)

ちなみに、このときの『今』はクロノスではなくカイロスと言うそうです。

扉温泉明神館ー辺鄙な山中の奇跡の空間

美ヶ原の麓にあたる、松本浅間温泉から30分ほど登ったところに扉温泉がある。

ビーナスラインの扉峠から松本に向かうヨモギコバ林道に入り30分ほど、わが山荘から1時間足らずのところにある、何の特徴もない山間に、
公共の日帰りの温泉施設、檜の湯と、湯元の群鷹館と明神館があるだけの温泉だ。

しかし温泉通の方なら明神館が、一度は行ってみたい温泉ベスト00には常に入っている事は御存じのことかと思います。

全景

玄関


近いので、じゃ明日にでも行ってみるか、と思い立って予約してもいつも
満杯で取れなかったので、今回は1カ月前から予約して漸くいくことが出来ました。

明神館は谷間の小さな川沿いにあり、取り立てて、どうという建物ではありませんが、道沿いからガラス張りのフレンチレストランが見えるのが奇妙に見えました。

少し離れた駐車場までお迎えがあり、玄関に一歩足を踏み入れると、
凛とした緊張感の中に、上質な旅館がかもし出す独特な空気を感じました。

そういえば最近は高級旅館に縁がなかったなあ、と改めて思いました。

ロビーはシノア風のデザインのところにオールドイングリッシュの家具が置かれ、床の間もあったりして微妙なバランス感覚であったが、フリードリンクのアイスティはとてもよかった。

ここでチェックインの13時まで待たされた。

ロビー

ロビー


予約できた部屋はツインベッドの洋間であったが、居間は大きな硝子窓で山に向いあって開放感にあふれており、おまけに暖炉やミニバーも付いていて、部屋の趣味はいっぺんで気に入った。

寝室は無垢材のフローリングで素足にも心地よく、オーディオのアンプは真空管というこだわりようであった。

洋室の居間


温泉旅館でベッドの洋室というのは初めての経験であったが、いつでも横になれるというのは、改めて便利であると実感したし、特に風呂上りにゆっくり休めるのは大変良かった。

和室となると、わざわざ頼んで布団を敷いてもらうことになる。

扉温泉は、天岩戸の扉に由来するというほど歴史のある温泉らしいが、
湯は単純泉で柔らかい優しいお湯であった。

風呂場は4か所あったが、一番はお湯の水平線が森に流れ込む立ち湯で、他の寝湯も大浴場もデザイン性も高く清潔感に溢れ満足のいくものであった。

大浴場

立ち湯

立ち湯

露店風呂


食事は、フレンチ,懐石、モダン和食の3種類から選択できるのだが、
フレンチ、懐石の順で人気が高く私達は、もっとも席数の多いモダン和食であった。

夕食のメニュー


食堂はテラス席もあったが、やはり、そこから埋まるらしく私たちは普通の室内席であった。

テラスの窓が一部開け放たれており、山の冷気が入りこみ、ひんやりと涼しく感じるのだが、不思議と虫が入ってこない。

何かうまい工夫があるのだろうが、聞いてみようと思いつつも、酔いに任せて忘れてしまった。

次回の機会があったら、是非きいてみよう。

食事は丁寧に工夫がされた、かなりレベルの高いものであった。

野菜のスープ鍋のスープの旨さが特に印象深かった。

伊豆箱根のいわゆる高級旅館の中でも、頑張っている部類に入るのではないかと思う。

サービスもよく行き届いていた。

野菜のスープ鍋

デザート

お土産のパウンドケーキ


明神館の雰囲気は、私の知ってる範囲では栃木県那須の二期クラブに近いか。

もっとも、二期クラブは建物の外の景観まで独自のデザインにしているが。

客層は、特に目立った階層がいるわけではなく、千差万別であった。

いかにもワケありのカップルもいたが、もう少し振る舞いさえ粋で上品であれば、場の雰囲気を壊すものでもなかろうに、と思ったが、そこはやはり都ではなく信州の限界なのだろう。

登山で、下山してきて里山にかかると、人家に出くわすが、丁度そんな具合に明神館はある。

しかしながら、近所にある“檜の湯”とは全く別空間として存在している。

最近、破竹の勢いの星のリゾートが、界シリーズを名のって、上質な設え、サービス、食事を売り物にして全国各地で展開しているが、あのやりかたでは、どこに行っても、その地方に行った、というより、界に行ったということになりはしないだろうか。

これは高級会員リゾートクラブでも同じことが言えるのではなかろうか。

マニュアル化された高級感では喜びも感動も薄らぐのではないかと思うが、いかがだろう?

明神館のコストパホーマンスは非常に良かった。

最近のヒットと言っていい程である。

明神館、二期倶楽部は、いつまでもその地方にあってこその、スマートさと個性的であってほしいと願うのは私だけではないと思う。

2013年夏休みーその1?

今年は夏休みを2回に分けて取ることにした。 

まずは前半の4日を7月の末に蓼科で過ごした。

もう20年も同じ所に行っていると、何も新しいことは無く退屈であろうと思われるかもしれないが、それなりに変化があり不思議と退屈はしないものである。

そうはいっても、もう手を入れるところはすっかり無くなって、自分で何かを造作をする楽しみはめっきり減ってしまったが。

今回のトピックスをニュース番組のように順に並べてみます。

霧ヶ峰コロボックルヒュッテの手塚宗久さんが永眠されていた。

コロボックルヒュッテは、蓼科に来れば必ず顔を出すことにしており、
ヒュッテのテラスから望む蝶々深山、車山湿原と、近くのお花畑で季節の移ろいを胸いっぱい感じるのが楽しみであった。

コロボックルヒュッテ

エンブレム

蝶々深山と車山湿原


今回も普段通りにコーヒーとココアを頼んで椅子に座り、手元にあった
メニュー帳をめくっていると、末尾に訃報がはさまっていました。

昨年の夏には、老人とは思えない背筋の通ったがっしりした体躯を
お見かけしたので、急なことでビックリしました。

訃報


手塚さんの著作は殆ど読み、本も蓼科に置いてあり、自伝的著書の中で、長年、青年期の医療事故の後遺症(大腿部の植皮)に悩んでおられたので、形成外科医としてなんらかの御相談にのれたのではないかという思いと、どの本だったか忘れましたが(多分、山―孤独と夜)、
冬の、客が一人もいない小屋で風の音を聞きながら眠れぬ夜の寂しさを、年を重ねた思いの中で、慟哭のように語られていた文章を忘れる事が出来ません。(CADSA=AF2012.5.1)

この20年来、一度は小屋に泊って、夜な夜な語り明かせたらどんなにか素敵だろうと思いながら、とうとう果たせずに終わって残念でなりません。

最後まで一方通行の友人でしたが、強い自我を持った、得難い大人の男を失った思いで一杯です。

多分、いずれかで追悼文集が組まれたに違いありません。

ご存じの方がおられましたら是非お教え下さると嬉しいです。

 

新しい野菜の発見

たてしな自由農園という、地元の新鮮野菜を安く売るスーパーが
ビーナスラインとエコーライン沿いに2軒ある。

民間の企業だが、
農業大学校がやっている八ヶ岳農園より断然良いと思う。

特にエコーライン店が良い。

朝採れトウモロコシは特にお薦め。

そこで、今年は見たこともない野菜を3種類見つけた。

上から左回りにルバーブ、ていざナス、コールラビ、辛み大根


ルバーブ、コールラビ、ていざナスである。

ルバーブは信州ではお馴染みらしいが、いわばフキの一種で、
ドライフルーツケーキに載っているのではないかと思う。

これはジャムがお薦めと書いてあったので、帰ってさっそく作ってみたが、色もグリーンときれいで、僅かな苦みがあり、フルーツジャムとはまた違ってパンに良くあって美味しかった。

ルバーブのジャム


コールラビは外見はアーティショーを思わせるが、皮を剥くとカブのようで、これはサラダにもってこいだ。

ていざナスは、赤紫色した大きなナスで、米ナスと水ナスを合わせたような味わいで、白なすに近いか。

ソテーして食べると柔らかくて美味しかった。

揚げて味噌田楽もいけそう。

 

奥蓼科温泉、明治温泉に初入湯

奥蓼科温泉郷の中で、唯一入ってなかった明治温泉に行った。

湯道街道からの入口に、「歩いて来るように」との看板の案内があったので、湯道街道に車を置いて、10分位歩いて行ったが、宿泊客、日帰りの湯客は車を乗り入れていいと後で聞いた。

道はそれほど悪くはないので、お湯に入るなら車で乗りいれた方が楽。

お湯は鉄分の多い、温泉らしいお湯であり、窓からの渓流の眺めも素晴らしかった。

明治温泉全景

明治の湯

風呂からの眺め


 

扉温泉明神館から松本民芸館、馬場家をめぐる1泊旅行

今回のハイライトは扉温泉明神館宿泊であったが、
これはまた原稿を別に書きます。

翌日は松本の町に下り、松本民芸館と重文指定の馬場家を尋ねた。

民芸館は、東京駒場の日本民芸館のミニチュア版といった感じで、
同じ趣旨の民芸で全国の良いものが揃っていた。

見物者が誰もおらず、窓から畑が見え、のどかで、のんびりして良い雰囲気だった。

松本民芸館

民芸館


館員の方に馬場家見学を勧められ、ついでに回ってみた。

そこの案内の市の職員の説明では、旧藩主の系譜とか言っていたが、
大きな農家の風情であった。

丁度、旧暦の七夕祭りをやっており、
子供の浴衣が吊るしてあったのが珍しかった。

短冊にはきちんとお願い事をしてきた。

馬場家屋敷

馬場家長屋門

七夕飾り

 

短冊飾り


 

たまご屋さんのオムライス

帰りがけに、以前ロールケーキが美味しいとご紹介した茅野の卵工房で(CASA-AF2012.10.13)、オムライスを食べてみた。

ロールケーキが秀逸だったので、大いに期待して入ったが、
サービスがファミレスのようで残念。

オムレツはさすがに美味しいのだが、ライスはチキンライスの方が、
ドミグラスソースはケチャップの方が個人的にはよかった。

東京の有名な洋食屋を真似ることはないのに。

ちょっと残念。

やはりロールケーキが一番のようだ。

卵工房のオムライス

ロールケーキ

 

 

 


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