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グルマンライフ

くろぎ甘味研究所「和にこだわり過ぎて,どうかな」

予約が取れないと言うから,黒木の女将さんを通して予約して訪問した。昨今のかき氷ブームもあって,虎屋以外にも今時の高級かき氷を食べる機会があったので,それなりの先入観が出来ていた。そのせいかもしれないが,黒木式の和への拘り過ぎが,少し辟易したのが本音。頼んだのはきな粉と胡麻の二種。カウンター席からは氷を削り丁寧に積み上げて形成する様子が伺える。間に甘味を入れては何層にも重ねててんこ盛りのこれでもかの大きさで出される。なぜか抹茶が付いてくる。この組み合わせではどのタイミングで飲めは良いかわからない。私は胡麻味を食べたのだが,氷の中まで黒胡麻シロップがしっかりと染み込んでいて,白の無垢なところが全くないのもスプーンが休まらない。黒胡麻の香りも強く,甘過ぎず、これれまでに経験したことのない味わいであったが1/4食べたところで,そろそろ十分感が来て半分過ぎたところでギブアップした。正直,美味というよりヴィーガンにこだわり過ぎた創作性が前面に出過ぎた感じがした。3000円出して再訪する客かいるのか訝しいが,一度は甘味研究所の研究結果をたしかめるのも悪くはない。個人的には黒木氏の探究心はトンカツじゅんちゃんの方が良かった気がする。かき氷は本店のデザートの方が落ち着く。

薮蕎麦 宮本

おそらく15回以上の訪問。当日は 36ど以上の猛暑日。あれだけ気の利く女将さんにしては開店前に炎天下に行列で待たせるのはなぜだろう。紙に記帳させるとか,番号札を渡して車中で待たせるなどアナログ対応はできるのではないか。さてそれはさて置き、蕎麦,蕎麦前の美味さはさすがである。主人はおそらく80歳を超えているはずなのに衰え知らずである。
私の優勝メニューは、蕎麦がき,天抜きで一杯。締めで手挽き蕎麦とそのおかわり。
蕎麦がきは2日以上前の予約が必要。此れが難点。
駐車場はいつの間にか一台分増えているが,その昔は,一番奥にシートに被された車が1台あった。噂では赤のフェラーリとのことだった。
とても良い話だと思いませんか。免許を返納されたのだろうが,蕎麦打ちは,もう少し頑張っていただきたいものだ。
写真厳禁のお店なので食べログでみてください。

神楽坂 石かわ「噂に違わず素晴らしい男前の料理」

縁あって,その名も高い神楽坂のいしかわに行った。まず有り難かったのは完全なバリアフリーの設え。そして以外だったのは石川氏の風貌とatmosphereだ。もっとやわなイメージを想像して出かけたが,筋肉質の身体に精気が溢れ出ていた。聞けば齢は60歳とかで,神楽坂で蓮、虎白、波濤、帝国ホテルの寅黒などの7店舗を束ねる凄腕のビジネスマンでもあるから,それもうなづけるというものだ。料理は一言で言えば,男前の料理だ。要はチマチマしていないのだ。お上品な怜夫人がおちょぼ口で食べるのは似合わない男の料理だ。料理そのものは,計算し尽くされた繊細な料理であることは,器の好みや店内の置物,掛け軸,生け花などの室内の飾りを見れば自ずとわかるというものだろう。当日の料理の感想を言えば,糸魚川のズワイ蟹の真薯のお椀、大ぶりの秋田産の黒鮑の暖かい蒸し鮑,量が多くて思わず見間違えたキャビア,オシュトラてんこ盛りのソーメン.夏の終わりを感じさせる太った鮎の塩焼きの頭と骨が抜いて供されたものと,頭と骨のせんべい,メロンかと間違えた賀茂茄子の煮たもの,松茸とコロ,たらの卵とじ風、土鍋ご飯に追い討ちのこれでもかののどくろの煮つけと御殿場のわさびがついた締めのご飯,その他も全て文句のつけようのないものばかりだった。唯一残念だったのは,次回の予約が取れないことであった。なんでも一年先まで埋まったので,今は予約止めにしているとの説明であったがまあ新参者故であろうことは想像に堅くはない。最後のメロンとマンゴーが絶品だったからこそ落胆も大きかった。お代は,芝大門の黒木の約半額強でキャビアの量も多い、リピートしない手はないのにだ。

寛心「林亮治氏のプロデュース力が冴えた和食の名店」

大将は吉兆の出身で,近くの水光庵の4年後輩との話でしたが、料理のサービスの形が全く違っている。
お決まりが先付け一品にお椀に刺身で,あとはアラカルトで先付け,小鉢、焼き物,煮物、揚げ物,ご飯ものが多種ある中から選べる趣向が素晴らしい。居酒屋風のメニューもあるが一味も二味も違い洗練さが際立っている。どれも美味かったが,焼き海老真薯と小芋唐揚げが印象深い。もちろんお椀は特級で,胡麻豆腐ご飯についた鰹節も戦後世代には懐かしい味。こんないい店旨い店が徒歩圏内に出来た幸運にただ感謝あるのみである。国内外の遠くからわざわざ訪れる価値は十分にあります。予約の取れる今のうちが吉兆。

YORONIKU TOKYO AZABUDAIHILLS「よろにく以前、よろにく以後」

よろにくが世に出だ後では,焼肉業界はすっかり変わったという。それからはよろにく以前,以後というらしい。どんな世界でも新しいスタンダードを作ることは偉大なことで尊敬に価する。さて何がそれほど凄いのか?焼肉はそれほど食べないので,焼肉通の評価を見たほうが良いが,私なりに焼肉の概念が変わった。関係ない話だが,昔代々木のイルペンティートに行ってピッツァの概念が変わり,私の中ではペンティート以前,以後ができたようなものだ。コースでシャトーブリアンが出るのも凄いが,何より焼き方にこだわる姿勢に共感が持てる。焼き手のプロのスタッフが1人専用でついて焼いてくれる。かつて肉を焼くのは男の仕事だ,と言ってトングを離さなかった愚かな自分が恥ずかしい。火加減の絶妙なコントールはMLBのピッチャーでも真似はできないだろう。
バラ肉の時は,肉に火がついて燃えて焦げないように叩きつけながら焼く。シャトーブリアンは,火がついているのかというような弱火で何十分とかけて焼く。その際はスタッフは部屋から出て行ってしまいこちらが不安になる程だ。絶妙に焼かれた肉が美味くないはずはない。焼肉屋で最後まで網を変えずに焼くところなど知らない。それが凄技の証拠だろう。聞くところでは,有名人,上級国民の場合はオーナーが自ら焼くらしい。上級国民に憧れもつらみも無いが,このサービスには少しヤク。
焼肉好きは,このスタンダードを知ってようやくスタートに立てると思う。

蕎麦庵 みたて「美味いが,二兎狙いの限界かも」

久しぶりの訪問。6時開店で6時に予約すると,6時なるまで中に入れてくれなく、寒い季節に招待客を外で待たせて恥をかいたことがあるので、18:30で予約すると19:00にしてくれという、店の都合が優先する経営方針だな。行ってみると,席はまだ空席だらけ,なぜ18:30でいけなかったのか不明。いつも思うのだけど開店時間に一斉スタートをするなら,ウェイティングを設けるか,早めに準備して中に入れて待たせる配慮が欲しい。先日行った島田の薮蕎麦宮本でも,あの気の利く女将でも11:30の開店まで酷暑の炎天下で客を行列させていた。同席者2人は初訪問だったので,まずはマグロとキャビアのガレットが出て感激。鮪がボストン産なのはよいにしても,キャビアの質を落とせばすぐに分かってしまう。蕎麦は少し改善したような気もするが,手打ちの実演はやめたのか、菊ねりした蕎麦玉を見せてから,蕎麦刺を作るパフォーマンスもなくなっていた。ソムリエールの女将さん?は変わらずサービスも感じも良いが,よく変わるスタッフの教育は行き届いていない。一言で言うと,何も知らずにそこに居る感じ。料理も酒も悪く無いしコスパも良いが,料理が少し雑になった気がしたので京味の出と言っていた板長は変わったのかもしれない。十番界隈は吉兆系の日本料理屋や次郎系の寿司屋の良いのが進出してきているし,山幸のブランド力も大衆化したので,今一つの踏ん張りを期待したい。ハッキリ言えば,マグロの日本料理と蕎麦のいいとこ取りで受けを狙ったのだろうが,慣れて来ると、いずれも中途半端で物足りないかもしれない。客層は相変わらず 3,40代のアントレプレナーか美容系風が目立ちシャンパンを開けている。熟年,老年層は皆無。金を使うことは社会のためになるから、それで良いのかもしれない。

ブルーオマール

私のAIF研究室のフォローワー数は極めて限定的だが、それでも6つのブログの中ではグルマンライフが一番人気のようだ。ここもしばらく更新をさぼると、それまでの「書かねば」という強迫観念にも似たストレスから解放され、こんな楽なことはないと、とうとう1年が経ってしまった。私のつたないブログでも週に1,2本書くとなれば、それはそれでも多少は脳に知的刺激にはなっていたようで、最近の意欲、認知の衰えを自覚すると、自分自身のためにもブログ再開のリクエストにお応えしようと思うようになった。そこで頑張って6つのカテゴリ―は減らさずに守り、同時に再開することにしたのである。
ブログ休載のキッカケになったのは、厄難のように発生した近隣の大規模公共工事のために引っ越しを余儀なくされ、そのために時間とエネルギーを取られたためである。
転居後は別段大きく生活が変わったわけでもなく外食の楽しみを減らしたわけでもないし、店での写真も全く撮らなかったわけでもないので、そこそこブログのネタは溜まっているのだが、記憶の方がさっぱりで、どの店での経験も正確に記述することが出来ない状態なのである。
そこでグルマンライフ再開の第一弾はブルーオマールという高級食材にまつわる2回の食事の体験を断片的な記憶をたどりながら始めることにしようと思う。

友人の結婚祝いの食事会を今年の1月に紀尾井町のオー・プロバンソーでやることにし、中野シェフにあらかじめ予算を伝えておき特別料理を作ってもらった。

前菜2種、魚料理にメインをマリアカラスにした献立は中々力の入ったもので、招待した友人夫婦にも満足していただけたようであり、当方の面子も大いに立ったのである。
その中の温前菜が「ブルターニュ産オマール海老のソースカルディナル(甲殻類の乳化ソース)マッシュルームとペリゴール産トリュフ」であった。

この皿が供される時にメートルドテルS氏が、こう言ったものだ。「今日のオマールは、先生も余り召し上がっていないブルターニュ産のブルーオマールという大変希少なものでして、今日のために頑張って特別に手に入れました」と。言下に、オマエはまだ食べたことは無いだろうが、と得意気に言ったのが見て取れ、小生の僅かばかりの自尊心も傷ついたのであった。
確かに、鴨はシャロン産というのとに同じように、オマールはブルターニュ産のブルーオマールというくらいの知識はあったが、改めて名を聞きながら食べたのは初めてのことであったような気がする。
言われて食べてみれば、通常口にする北米産の大味なオマールとは大違いで、良質な伊勢海老の、放つ香りこそ無いが、プリッとした濃厚な味わいは同じクオリア(≒質感)のものであった。

そして、それから2か月後、妻の誕生日の食事会で帝国ホテルのレ・セゾンに行った。
私達はレ・セゾンには縁が無くて初めての訪問であったし、又簡単に再訪出来るわけでもなかろうと、奮発して一番値の張るシェフのお任せコース(Le Menu De Thierry)をオーダーした。

そうしたら魚料理の舌平目の後にブルーオマールが二度に分けられて出てきた。最初は腕肉のソーテルヌとフヌイユのソースの一皿で、二皿目は爪肉が串揚げのように串に刺して揚げてあり、それを天つゆのようにスープにつけて食べる趣向であった。

つい先日知ったばかりであったが、「ふーむ、ブルーオマールですね」と訳知り風を装ったら、メートルドテルのK氏は、嬉しそうにうなずくと、間もなく生きたブルーオマールを大きな銀盆に載せて運んできてテーブルに置いて見せてくれた。オマールはテープで拘束された大きな挟みを何度も動かしては自らの存在と生きている証を盛んにアッピールした。勢いよく跳ねると盆から飛び出しそうにはなったが、基本移動は出来ないので、いつまでも盆の中で威嚇し続けた。
ブルーオマールは甲羅や爪が独特の鮮やかなブルーカラーをしていることに由来するらしいが、見せられたものは、ネットの写真でみるような鮮やかなブルーではなかったのが少々残念であった。

K氏は、メートルドテルのお手本のように細やかな気遣いが出来、立ち居振る舞いも所作も美しい人であったが、髪型は外目にも派手なリーゼントであった。帝国ホテルの格式に合わないのではないかとおせっかいにも思い、立派な髪ですね、と聞くと、髪をオールバックにして整髪料でコテコテに固めておくのが給仕という仕事には最も相応しいのだと言い、以前勤務していたホテルからずーっとこのヘアスタイルで通していると、ちょっと得意気に誇らしげに話してくれた。

髪の無いのと多すぎるのが並ぶのも良かろうと思い、一緒に記念写真まで撮って帰ってきたのである。

何が起きたのか?天下の「竹やぶ」ー店も蕎麦も一変していた

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かれこれもう30年近くも前になるだろうか、「ひらまつ」の平松宏之氏に誘われて、彼の友人の建築家と小生の3人で柏の蕎麦屋「竹やぶ」に行ったことがあった。
竹やぶの主人,阿部孝雄氏は「ひらまつ」の常連、友人であり、小生もパーティなどでよくお会いし面識はあったのである。
道中、与太を飛ばしながらの楽しいドライブの思い出である。

竹やぶに囲まれた小高い山の上に洒落た和風の建物があり、何よりもそのアプローチが洒落ていた。門は茅葺で、林の中を行く坂道は鉄の曲がった手すりと足元灯が、何とも言えない味わいを出していた。それはロートアイアン作家の松岡信夫氏の作品であった。
蕎麦は、店主の阿部孝雄氏が自ら石臼でそば粉を引くところから全てやってくれて、竹やぶ至高の蕎麦を味わったのである。
その後竹やぶは人気を博し恵比寿に支店を出したが、そこも同じ松岡氏がインテリアを担当しアイアンの手水が店の中央に置いてあったりして、とても粋であった。蕎麦も本店の味を上手く引き継いでおり、気に入って小生も恵比寿店にはしばしば通ったものであった。恵比寿店は六本木ヒルズが出来た時にそこに移ってしまい無くなったが、その頃、箱根のオーミラドーの奥の山中にも出店した。箱根店のインテリアは松岡氏の担当ではなく店の雰囲気も変わってしまい、同時に蕎麦の味も少し変わったと感じた。

そしてこの4月の上旬に、安孫子にある松岡さんの自宅と工房を尋ねる機会があり、チャンスとばかりに竹やぶに案内していただいたのである。

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まず驚いたのは店構えの変貌ぶりであった。かつての入り口の門の茅葺屋根も、アプローチのロートアイアンの手すりも足元灯もすべて無くなり、コンクリートにタイルやビー玉や皿を埋め込んだモザイクのようなものに一変していたのである。かなり長い坂道のアプローチもすべて同じモザイクタイル風の作品で埋め尽くされたのである。作者は店主阿部孝雄氏である。キノコ風のオブジェがあったり、塀や壁には皿が埋め込まれていて、ちょっとしたアジアンテイストのテーマパークの雰囲気であるが、フランスのシェバルの城をモチーフにし、阿部氏が数年かけて、コツコツを作りあげた作品とのことであった。
これらが蕎麦屋の雰囲気に良くマッチしているかどうかは別にして、ダリ並みのセンスで見事に統一された作品群は相当な美意識が無いと出来ないだろうと心底脱帽したのであった。
しかし、自分の作品を完膚なきまで壊された松岡氏はさすがに怒り、10年以上も絶交状態になったそうであるが、やはり竹やぶのそばの味が忘れがたくよりを戻したそうで、そのお蔭もあって、今回私達を案内して下さる手筈になったのである。

しかし変わったのは店構えばかりではなかったのである。

蕎麦もすっかり変わっていたのである。

田舎蕎麦

田舎蕎麦


田舎蕎麦は、こしが全く無くなり、風味も弱く、かつての竹やぶの蕎麦の面影を感じることが出来なかったのである。聞くところでは、阿部氏は庭づくりに専念し始めた頃から蕎麦を作ることから手を引いて、子息や弟子に任せっぱなしにしているそうである。
阿部氏は蕎麦が変わっている事に気付いていないのか、あるいは阿部氏の考える蕎麦の進化形が今の味と言うことなのかもしれないが、なんせ相手は蕎麦の神様であるから真偽をただすことは出来なかったのである。

蕎麦がき

蕎麦がき


蕎麦がきは、蕎麦の実を粒状に砕いたものを蕎麦粉に混ぜて作られており、こちらは風味がさらに豊かになり、確かに蕎麦がきの進化形であると理解出来た。

にしん蕎麦

にしん蕎麦


にしん蕎麦を最後に食べたが、にしんは奥方である女将によれば、醤油一升瓶を20数本使い2週間かけて仕上げる渾身の品だそうで、たしかに崩れるように柔らかく美味かったが、蕎麦の方はやはりぴんと来なかった。

竹やぶの蕎麦は、蕎麦と言う食材が、ここまで香り高く、のど越しを楽しむ滋味あふれる奥の深いものであることを教えてくれ、その後の小生の蕎麦のスタンダードになった。以来東京の伝統を誇る蕎麦の老舗でも、蕎麦の美味いという地方の名店でもなかなか感動するそばに出会うことは少なかったのであるが、依拠してきたスタンダードの味がここまで変わってしまうと、永年の人生の価値基準を失ってしまったようなもので、大袈裟に言えば依って立っていた処を失った自我喪失の思いであった。

竹やぶ出身で、白金から広尾に移った「三合庵」は今でもかつての竹やぶの味を守っており、小生も永年のフアンであるが、現在の阿部氏にその評価を伺いたいものである。

右が阿部氏、左が松岡夫妻

右が阿部氏、左が松岡夫妻


帰りは阿部氏が駐車場まで送ってくれ、記念写真を撮ったりしたが、まるで高僧のように温和なお人柄が風貌に現れているのである。

人は何かを極めることで美意識が変わり、やがて味覚の基準も変わっていくものなのだろうか?
脳科学的にも興味深い体験の一日であった。

天ぷら「成生」

店内風景、泥付野菜

店内風景、泥付野菜


昨年の夏頃に、静岡にとんでもなく予約の取れないいい天ぷら屋があるらしいが、「料理マスターズガイド」(2017.8.1グルマンライフ参照)の発行人をしているY.T.氏が席をとるから行ってみないかというお誘いがあった。7席のカウンターのみの「成生(なるせ」」という店を尋ねる総勢7名のグルメツアーの誘いであった。
7名の中には、超有名人も何名か入っており、超一般人の小生には少々気が重いところもあったが、しかし、この正月に全著作を読破した友里征耶のブログ「友里征耶の辛口日記・行っていい店悪い店」の2017.12.30号「今年のベスト店」に「成生」が載っていたこともあって、やがて俄然その気が増したのであった。

覆面自腹を原則とした、「一般客の一般客による一般客のための外食評論家」を自認する「トモサト」と、彼が蛇蝎のごとく嫌う、ただ飯お車代つきの馴れ合いフード・レストランジャーナリストや、高額な授業料で暴利を貪る、味の分からない金満料理学校経営者や、知識と権威だけのエセグルメ知識人、昨日までロケ弁しか食べられなかった成り上がりの若手放送作家(以上はすべてトモサト氏の表現です)、などが審査委員を務める「料理マスターズガイド」が、同じ店を推薦しているのも面白いとも思ったし、一体何処に共通点を見出だしたのか興味もあった。

そして昨年12月某日夕方7時過ぎに、新幹線静岡駅改札口に7名が落ち合ったのである。4か月を経てとうとう幕は切って落とされたという感じであった。

「成生」は、駅からタクシーでワンメータと近いところの裏通りの一角にある、目立たないただずまいの割烹、鮨屋という風情の白木作りの小奇麗な構えであった。40代前半と思しき亭主と女将さん、使用人が2,3人という小回りの利く布陣であった。訪ねた時は先客が済んでおらず、少々待たされたが、7人が座って待つスペースはなく男性陣は通路に所在なげに立って待つことになった。

浜名湖のサイマキ

浜名湖のサイマキ

 

 

さて、天ぷらであるが、一言で言うと、意表を突かれたというのが小生の正直な感想であった。
天麩羅には、特に東京では一定のパターンがある。出される食材も季節により多少の変化はあれ、ほぼ教科書通りである。揚げ方こそ、天一系、山の上系、みかわ系、天政系と流儀はあるが、東京の天ぷらには天ぷらの共通の概念がある。
成生は、そう言う天ぷらの既存のシキタリを越えた天ぷらである。理屈っぽく言えば、天ぷらという料理の体系の中で進歩し昇華するのを目指したのではなく、天ぷらという調理法を極めようとしているのではないかと思えたのである。つまり食材に衣をつけて油で揚げるという調理法でどんな料理が作れるかという探究心である。そして食材の拘りも地産に拘るというかテロワールの息づく食材にとことんこだわるのである。特に野菜は、もともと駿河の土地に馴染んだ品種を再び蘇らせた若い生産者のものを選んで使うし、魚介も静岡焼津の契約漁師のものしか使わないのである。その漁法による魚の味に拘るのである。

従ってサイマキ海老、キス、メゴチ、穴子という江戸前天ぷらの定番はまずは出ないという。

白魚

白魚

鯵

甘鯛白皮

甘鯛白皮

鰆

太刀魚

太刀魚

当日は、浜名湖の良質な海老が手に入ったということでサイマキ海老が出されたが、何回も来ているY.T.氏は、えっ、海老が出るんだ、と驚いていたくらいである。当日出されたものは、あとは白魚を大葉でくるんで揚げたもの、アジフライのように鯵を開いたもの、白皮の甘鯛の切り身、鰆の切り身の天麩羅であり、〆は穴子の代わりに大きな駿河湾の太刀魚を大根おろし満載の天つゆの中にジュと音を立てて入れてくれたのである。鰆はよく西京漬けで見るあの形の切り身が天麩羅になっているのである。火は通ってはいるが、中心は生に近く、肉のレアの焼き方にも似ていて、決して脱水を目指していないようである。

成生の天麩羅の特徴は、なんと言っても野菜の美味さにあるのではないかと思う

牛蒡

牛蒡

人参

人参

しばらく蒸らす

しばらく蒸らす

筍

手渡しで食べる

手渡しで食べる

蓮根

蓮根

店の壁際の棚の上に泥のついた何ともたくましい牛蒡や人参、レンコンが籠に盛ってあるのが目に入る。牛蒡も人参も大人の腕の太さほどの大きさで驚くのであるが、これらは皆近くの農家で若い生産者が昔の地の品種を蘇らせたものだという。これらを大きめの拍子木形に切って揚げるが、しばらくカウンターの上に置かれたままで供されることはない。冷めないかと気になったが、火を通しているのだから冷めやしないと言うが、その通りであった。筍も牛蒡も人参もレンコンもサツマイモもホクホクと焼き芋のように甘いのであった。

天バラご飯

天バラご飯

デザートの葛もち

デザートの葛もち

成生の天ぷらの特徴は、江戸前の天ぷらの常識、シキタリに縛られない。そして土地、風土に合った食材に徹底的に拘るのである。天ぷらに合うと思えば鯵でも鰆でも切り身にして揚げてしまう。亭主は「揚げること」に専念し、種の下ごしらえは二番手に任せている。温度の違う天麩羅鍋を二つ同時に使い分けて揚げる。大ぶりな野菜や切り身の種は揚げた後、蒸らして火を通す方法を使う。肉を焼く時のように焼き過ぎて(揚げすぎて)脱水してしまわないように、蒸らして火入れをする、ことなどであろう。つまり衣をつけて油で揚げるという調理法を極めることで天ぷらの新しい境地を開こうとしているのであろう。
従って、従来の天ぷらの概念で臨んで、旧「楽亭」や「近藤」「みかわ」や「いわ井」と比べて、どうのこうのと言ったところで、評価のステージが違うように小生は思うのである。

結論、自腹族の小生でも、一度は新幹線に乗ってでも訪ねても良い店であると、思ったのであった。

フレンチの逸品―マリアカラス

名前は知っていても、なかなか巡り会えないことはあるものだ。
京橋のフレンチの名店「シェ・イノ」の「マリアカラス」がそうであった。
伝説の料理人井上旭氏の名前も、弟子への鉄拳教育の噂も、マリアカラスという料理のことも知っていたが、シェイノに縁が無く、初めて食べたのは、常連の友人に連れられて行った約10年前のことであった。
子羊料理は元来嫌いではなかったが、イノのマリアカラスを食べて、目からうろこが落ちたというか、その火入れの絶妙さに目と舌を奪われた思い出がある。

衆知のように、マリアカラスは伝説的なオペラ歌手の名前であるが、彼女はパリのマキシム・ド・パリの常連であったが、ある時、マキシムの名物料理の「仔牛のパイ包み焼き」の肉を子羊にして欲しいとリクエストした。その時それに応えて絶賛されたのが、当時マキシム・ド・パリで修業中であった井上旭シェフであった。彼は帰国後、銀座レカンでもそれを作り評判を呼び、独立後はシェ・イノの不動の看板料理になった。

現在ではシェ・イノの他、井上シェフ夫人が主催する青山のマノワールディノでも食べられる。そこでは井上シェフの高弟の阿部彰シェフが腕を振るっている。

ある日、馴染のオー・プロバンソーに行った時、イノといえばプロバンソーの中野シェフもそこの出身であったことを思い出し、
「マリアカラスは作れるか?」と聞くと、よくぞ聞いてくれたとばかりに、自信満々に「任せてください」、との返事であった

マリアカラス

マリアカラス

マリアカラス

 

そんなことがあって、二度ほどマリアカラスを予約して食べに行った。
マリアカラスは、仔羊の真ん中にフォアグラを入れてパイで包んで焼くというフランス料理の伝統的な料理法だが、パイの焼き加減と子羊、フォアグラの火入れの加減が難しく、誰もが手を出せる料理ではないらしい。
最初は8月のことで、美女と行ったせいもあるかもしれないが、その美味さに驚愕した。子羊は見事なロゼでフォアグラとトリフのペリグーソースとの相性も抜群であった。
すでに記憶はおぼろげであったが、シェ・イノ以上ではないかと思った。つまりこれ以上に子羊を焼くことは不可能だと思ったのだ。

10月のマリアカラス

10月のマリアカラス

 

 

その感動もあって、10月に再び訪れたが、今度は火入れがちょっと甘かったような気がした。誤差範囲であろうが、料理は生き物であるし、状況で味覚も変わるから微妙な違いはいたし方ないというものだろう。

今年のクリスマスメニュー

今年のクリスマスメニュー

蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼き

蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼き

そして、先日オー・プロバンソーにクリスマスディナーを食べに行く機会があったが、なんとメインディッシュは「蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼き」となっていた。
シェフは「仔羊のパイ包み焼き」を毎日焼いていたシェ・イノ時代を思い出し懐かしんだのだろうか。
そして子羊を鹿に変えてクリスマスメニューにしたのだろうが、小生にはフォアグラにはやはり子羊の方が良く似合うように思えた。

麹町「オー・プロバンソー」にお行になる機会があれば、時にはマリアカラスを予約してお出かけになることをお勧めします。

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