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グルマンライフ

「中野食堂、Aux Provencaux」ー紀尾井町の秀逸なフレンチ、ビストロというよりプチレストラン

地下鉄麹町駅から1分の紀尾井町の交叉点から徒歩一分くらいにある自称ネオビストロ、オー・プロバンソーに行った。
一度目はジョージ氏に薦められてクリニックのスタッフの誕生日会に行って、予想外に良かったので、5日後に裏を返し、その後、最近もう一度しっかり行ってみたので、このお店の様子は大体つかめた。

外観

外観

店構えはいかにもビストロ風で、中に入ると、インテリアもベンチシートになっており、パリのビストロを思いおこさせるが、(赤坂サカスのマキシムの色のように)、あちらでよくある真っ赤なビロードのクッションではなく、シックな茶系でまとめられている。それに、お店のお客の風景は猥雑なビストロ風ではなく落ち着いたプチレストランといったところだ。
 名前からはプロバンス料理を想起させるが、料理はニンニク、オリーブ、トマトを使った、いわゆるプロバンス地方のメニュは一つも無く、ブイヤベースやスープ:ドゥ・ポアソンなど南仏の料理も数日前の予約が必要とのことであった。プロバンスに拘って見るなら、せいぜい料理に黒トリュフソースが多いかなと感じさせるくらいであったので、店名の由来には他の理由があるのだろうが、まだ聞いていない。

 料理のサービスのスタイルはプリフィクスメニュが3種類だが、多彩なアラカルトメニュの前菜、魚料理、肉料理の中から自由に2品、3品、4品のチョイスで分けられており、使い勝手は非常に良い。お腹の具合で皿数も、内容も選択できることになる。

 グラスワインの選択も良く、お店のレベルの高さをうかがわせる。

 料理そのものはクラシックなフレンチで、味のメリハリのある上級なもので、コートドールの系統かと一瞬思ったが、メートルドテルの話では、シェフは溜池のビストロ、ボンファムの出身らしい。

 直近で食べた料理をご紹介する。
 前菜その1の「香ばしく焼き上げたタラバガニと根菜のサラダ柚子の香り」は、タラバガニに紅芯大根、青カブのスライスにコンソメのジュレがかかった一品で、柚子の香りも程良く、肉を主菜にするなら格好の前菜であった。

前菜ー1蟹と根菜のサラダ

前菜ー1蟹と根菜のサラダ

 前菜のもう一皿は「セップダ茸のポワレとヴルーテ、フォアグラのコンフィ」を頼んだのだが、ヴルーテとは小麦粉のルーをフォンで伸ばしたポタージュのようなもので、それにセップ茸とフォアグラを蒸し焼きのようにしたものが真ん中に鎮座する皿であったが、キノコの歯ごたえとフォアグラの濃厚さがよく合い美味しかったが、ヴルーテという手法は個人的には珍しい料理であった。

前菜ー2セップ茸のヴルーテ

前菜ー2セップ茸のヴルーテ

 連れは「鮑と若いポロネギのシフォナード、肝のソース」を注文した。これは私は食していないので、味は分からないが見た目には、鮑の肝のソースも鮮やかでいかにも旨そうであった。蒸しアワビに若いポロネギのみじん切りを散らした肝ソースをかけた、どこか和風に通じる、間違いのないお皿のようであった。

鮑の肝ソース

鮑の肝ソース

 主菜は「京都中勢以さんの熟成但馬牛純米酒煮、グリ-ンペッパーソース」を頼んだ。
中勢以といえば、田園調布の赤身熟成肉とピンとくるが、聞くと中勢以は元々は京都伏見の肉屋が始まりのようである。しかもこの皿は赤身肉ではなくバラ肉のように油脂の多い部分が使われており、その熟成肉は初めての体験であったが、油のしっつこさが抜けて旨味だけは残したような芳醇な味わいでありながら、口中の油キレの良いとても洗練されたお皿でしたが、日本酒がどのように奏功しているのかは僕の舌では分からなかった。
 とにかく、珍しい味わいの深い一品でした。

熟成牛の純米酒煮

熟成牛の純米酒煮

 連れは「はたをふっくらと蒸しあげて、九条ネギのポテとロワイヤル」と、かなり込みいった料理を頼んだ。ポテとは豚と野菜の煮込み料理で、ロワイヤルとは卵とブイヨンで蒸し上げた卵豆腐のようなものを言うから、はたを卵とブイヨンで蒸し上げたものに九条ネギをフォンで煮込んだものを添えたもののようだ。
 はたの旨味が良く出ていてとても美味しかったということでした。

はたのポテロワイヤル

はたのポテロワイヤル

 デザートは洋ナシと柿のコンポ―ネントとフォンダンショコラで、フルーツは今が旬で、外しようがないが、洋ナシの方は、今の僕達の舌には、少し甘みが強すぎるようにも思えました。

洋ナシのコンポ―ネント

洋ナシのコンポ―ネント

柿のコンポーネントにフォンダンショコラ

柿のコンポーネントにフォンダンショコラ

 デザートプレートは、前に来た時に、誕生日のサプライズでシェフからプレゼントされたお皿があまりにきれいな出来ばえだったので、ここでついでに紹介しておきたいと思います。誕生日が二人だったので、メッセージもフランス語と日本語の2種類が用意されました。

誕生日プレートー1

誕生日プレートー1

誕生日プレート―2

誕生日プレート―2

オー・プロバンソーの中野シェフは、かようにフランスの伝統的な技法を使ったいわばクラシックなフレンチを正統的に提供していますが、それは今の時代にはかえって新鮮で、逆にヌーベルキュジンヌのようにさえ見えます。

 チーズも種類は多くはないが、良く熟成されたものが、ウオッシュもハードも、牛も山羊も揃っており、もう一杯の赤ワインと共に食後の愉悦が堪能できます。

オー・プロバンソーは、パリのビストロを上品にしたような、かと言って、グランメゾンのように構えるのでもなく、現在の日本には少なくなったフレンチらしい料理とサービスを伝える貴重なお店でした。

 メートルドテルは勉強家で矜持を持って接し、ギャルソンもマドモアゼルもマナーは優れて良く、マダムは出しゃばることもなく、全体に目配りがきいていて安定感を醸し出し、お店の雰囲気はとても落ち着いていて、安心して心ゆくまで食事が楽しめる感じでした。

それに、コスパも大変良いです。

最近での久しぶりの☆三つ~です。

 僕の美容整心クリニックからも歩いて数分の場所にあります。
 いつでもお連れしますので、どうぞ皆さん、患者さんになって、(笑)お遊びにいらして下さい。

 

 

バーラジオのエルメスの皿

 雑誌BRUTUSの、「暮らしの手帳」の編集長松浦弥太郎の「男の一流品カタログ」という特集号を読んでいたら、バ―ラジオの尾崎浩司氏が載っていた。その前後に雑誌GOETHEにも載っていた。いずれも尾崎氏が京都の上賀茂の里山に建てた家を紹介するものであった。松浦は家というより尾崎の人となりが一流であることによるものであった。

「暮らしの手帳」は、かの花森安治が創った、広告を一切のせないことで、メーカーに遠慮のない辛辣かつ客観的な商品評価で評判をとった個性の強い雑誌であったので、花森が亡くなって、もう随分になるので、とっくに廃刊になっているだろうと勝手に思っていた。あの後を継げる編集者はそうはいないと思っていたからだ。

 かつては、そういう個性の強い雑誌が幾つもあった。山本夏彦の「室内」、森須滋郎の「四季の味」、鈴木正文の「CAR-NAVI」などだ。室内は山本亡き後、廃刊となったが、四季の味は鎌倉書房からニューサイエンス社に代わって最近までは存続していたが、今はどうなっているかは知らない。CAR-NAVIの顛末は既に述べた。(2012.8.1グルマンライフ

 そのようなわけで、松浦氏はそれなりの個性的な力量のある人物なんだろうと思い、BURUTASを読んだのであるが、彼の敬愛する人物として3人が取り上げられていて、その最初が尾崎氏であったということなのだ。

 その家は、総なら材で出来た簡素ながらも意匠と材には凝った尾崎氏の人物像を彷彿とさせるものであった。

 尾崎氏は、バーラジオのオーナーで、青山辺りで青春時代を遊んだ団塊の世代には忘れがたい人であろう。

 今や伝説の店になりつつあるが、最初は40年ほど前に、神宮前に、デザイナーの杉本貴志が内装をした斬新な店を出し、戦後生まれの新物好きでお洒落な若者を引き付け、やがて青山3丁目のビルの地下に、何とも妖しい雰囲気のセカンドラジオを作って見せた。

 木の重いドアを開けると薄暗い中に、アンティークのグラスの並んだ飾り棚が浮かび上がっており、既にそこには別世界があった。階段をゆっくりと下りて行く時の、あの高揚感は、いつも入り口に置かれていた、とてつもなく大きくて見るものを圧倒する見事な生け花の感動と共に、今でもはっきりと覚えている。

 やがてそのビルの事情で、今の青山2丁目のサードラジオに移った。今度はオールドブリティッシュスタイルの田舎家風の、今までとは丸で違う雰囲気だが、今話題になっている京都の自邸に通じるものを感じるから、お茶や花を良くする彼の基本的な好みはサードラジオにあったのかも知れない。

 バーラジオでは、突き出しとして、季節のフルーツと練り込んだチーズが、趣味のいい洋皿に載せられて出てくるのが定番である。
カウンタ―には随所に小ぶりのフラワーアレンジメントが置かれ、
連れの彼女を気に入ると、そこから小さなブーケを作りプレゼントしてくれたりしたものだった。これは彼女が、彼のお眼鏡にかなったという証拠でもあった。

 使っている花屋はキラー通りにあるフーガという、茶花も置く、主に商業施設が相手の、とても個性的な花屋で、紹介されて、その後僕も時々使うようになった。

 彼は、独特の所作、振る舞いで店の空気にある種の緊張感を持たせていたが、物事すべてに対して、美しく一流でありたいとする彼の哲学があり、また、それを客に強いるようなところもあった。

 彼は、礼儀を欠き雰囲気を壊していると判断した客には退散を願ったりした。
 結構な有名人がバツの悪い顔をして出て行ったのを何度も目撃したが、大体その手の人は、テレビによく出ている評論家、有識者と呼ばれる類の人であった。
 日頃、身についていない教養を傘に着て疲れていて、ついアルコールが入ると、地が出てしまうのか、態度が傲慢、横柄になり、マナーに欠けたのである。

 従業員に対するしつけも半端ではないようであった。多分彼の何かのコンプレクスがそうさせたのかもしれないが、彼の出自もバーテンダーとしての履歴も公にされていないから、真実は分からない。
 とにかく店で働くバーテンダーの入れ替わりは激しかったように思う。
 というか、セカンドラジオの全盛期はバブル崩壊前だったので、どんどん独立して店が持てたという事情もあったのだろう。
 従って、ラジオそっくりなバーが西麻布とか、地方にも乱立したもので、地方のバーでは尾崎浩司箸「バーラジオのカクテルブック」はバイブルのような存在になっていたように思う。

 ある時、尾崎氏と焼き物の話をしていたら、時々パリのパラディ通りにカトラリーの買い出しに行くというので、僕も好きで留学時代はよく見に行ったよ、と言う具合で意気投合したことがあった。

エルメスのデザート皿

エルメスのデザート皿

 その時に、店ではもう使えなくなった皿で、家庭なら十分使えるのがあるが持って行くかと、数枚くれたことがあった。

 それはエルメスの犬シリーズのデザート皿3枚であった。使えないと言っても数ミリの傷である。いかにも尾崎氏らしいと思いながら、ありがたく頂戴した。

これが問題の傷

これが問題の傷

 それからもう20年は経っているだろうが、未だに我が家では健在である。
その皿を見ると、思い出したかのように、時にはサードラジオに行ってみるのだが、今はもう尾崎氏は京都に隠棲したかのように、店には居ない。
いささか行儀の悪くなった昔ながらのバーテンダーがいるばかりである。

 段々、個性のある店が減っていると嘆くのはジジーの愚痴なんだろうね。

 個性の強い、気概のある店のオーナーも雑誌の編集者も減っているが、店や雑誌を育てる客も読者も減っているのである。

 昨今の若年層の家めし、家酒の引きこもり現象と倹約傾向こそ、諸悪の根源ではないかと、密かにジジーは思うのである。

 若者は雑誌も本も読まなくなったのか、雑誌の衰退も激しいし、一般に出版界は青息吐息である。

 若者よ、スマホを捨てて街に出よう。

 こんな風では、東京はつまらない街になってしまうよ。

 

 

 

「飲み放題ダルマット」健在なり。―密かに「喜び組」の復活をたくらむ。

 私が大学病院に勤務していた頃は、なにかと大勢で飲み食いする機会が多かった。医局の後輩であったり、職場のスタッフであったり、はたまた、何処の縁で集まったか分からないような、若いご婦人達のグループとよく食事に行った。当時は私も体力的には若く酒量も多かったし、最近の女子はお酒に強いのでワイン代に音をあげ、飲み放題の店を探していくようになった。
 しかし食事の質の最低ラインはしっかり守っていたので、該当する店はそんなには無かった。
 その中で最もよく行ったのが、西麻布のOGGI DARMATオッジ・ダルマットであった。

 ダルマットは恵比寿が最初で、今は恵比寿と西麻布に2軒あるが、オッジ・ダルマットは系列ではあるが、別経営と聞く。お店の雰囲気と料理とワインとお値段のバランスの良さから私はオッジが好きであった。
 最大の欠点は、当日の朝10時でないと予約が取れない事であり、大人数の集まりの時は万が一予約が取れないことを考えると選択肢には入れることは出来なかったのである。
 2010年から群馬に3年半程の間住んでいたので、その間にすっかり縁遠くなった。
 大体、群馬では女子を引き連れて食事に行くという行為自体をすっかり忘れていた。
 前にも書いたが、そのような行為は、彼の地ではインモラルなのである。というか、チクリを警戒して女子が出てこないのである。信じがたいことであるが、この年寄りとですら一緒に食べ歩くということは御法度であった。

 東京に戻り、またぞろ昔のくせが出てきたようで、「喜び組」の再結成をたくらんでいるのだが、無職の身では、集めるのはそう簡単ではない。

 そんな状況の中で、最近3度ほど、ようやくそんな食事会の機会があった。

 最初は、恵比寿の「アベス」というビストロで、SJUのOB女子2名に僕とN君の4名であった。
 N君は、見せ球というか、オトリのようなもので、彼を目当てに女子が集まるように仕掛けるのであるが、N君の条件が良すぎるのも考えものである。オトリは、もう少し身近な存在の方が有効なのかもしれない。

 N君は、息子と同級生であるが、T大経済卒の独身弁護士で、背も高くスタイルもいいし、勘九郎似のイケメンで、家人が大フアンでもあるのだが、エリートぶらず誰とでも話を合わせることが出来る、類稀な優良な性格の持ち主である。おまけに資産家の子弟である。

 話していて、ふと思ったのは、僕の知り合いのT大法卒の賢女が、彼と同じ雰囲気を持っていたなあと。それは、山ほどの案件をものすごいスピードでわけもなくこなしてしまう知能と、いわゆる高次脳機能がダントツに発達した人が醸し出す特有の匂い、雰囲気なのかもしれない。

アベスでの食事会

アベスでの食事会

 ま、そんなことは良いにして、アベスでは、この女子達は酒量はざる状態であることが判明したので、次回は、飲み放題かなあ、と思い、オッジダルマットを思い出したのである。

 そして一か月後、オッジダルマットに同じメンバー+1名で行った。4年ぶりの訪問であったが、場所も雰囲気も変わらず、相変わらず満席で繁盛していた。それでも、最近は当日前から予約が可能になっていた。という事は、昔ほど突っ張ってはおれないという事なんだろうね、今のご時世では。そうなると、そろそろOGGI(当日、突然、思い立って、という意味らしい)の名前も変えないとね。

 ダルマットでは、僕が剛力あやめフアンであることを前回に知ってか、ゴウリキさんのそっくりさん女子が1名追加された。(このようにして僕の喜び組も陣容が整っていくのである。)
 料理は名物のフルーツのパスタ(今回は桃)も健在で、最後にパスタ食べ放題というシステムも残っていたし、味も進歩が無いと言えばそれまでだが、まあ、レベルを下げずに頑張っているという印象であった。

ダルマットの前菜①

ダルマットの前菜①

前菜②

前菜②

肉料理

肉料理

 ワインは一人1500円で白、赤飲み放題であるが、シャンパンは別である。当然白から始めたのだが、以前は店の人に、まずシャンパンはどうかと勧められ、その策にはまったものであったが、今回はそれは無かった。店も多少は進歩しているのである。白のキャラフを何度もお代りして、そして赤のキャラフを何度かお代りしていたら、キャラフに半分しか入れて来なくなったので、これ以上の飲み過ぎは体に良くないというサインかと,好意的には思ったが、「約束だからもっと豪快に入れて来てよ」と、契約遵守を盾に飲み続けた。(なんせ法律家が一緒である。)
 

店は、進歩ではなく学習しては狡猾になる性質を持つものである。
 

さすがにワインは、とても美味しいとは言えないものではあったが、量的には満足し過ぎるほどまで飲んだ。

 三度目は、ビアガーデンに行く約束だったのが、当日嵐になって急遽、小生の地元の豪徳寺の蕎麦屋Amecoyaに変更して開催となったものである。ここでは、さすがに、数十メートル先でクリニックを開いている家人を無視する訳にもいかず、家人も参加しての食事会となった。その分N君は参加しなかった。家人がタカラズカフアンであることがわかると、近くの上原に住むタカラズカ命の同級生を呼んでくれ、5人での食事会になった。二人はタカラズカで意気投合したのは言うまでもないことである。

 アメコヤは以前にここに登場しているので、店の情報は書かないが、丁寧な仕事には定評がある。今回、いつもと違ったのはお酒の量である。最後は獺祭まで行って、ようやく満足して頂いた。

アメコヤでポーズ

アメコヤでポーズ

 次回は、学生時代に食べに行ったポルチーニピザが忘れられないと言うので、代々木のイル・ペンティートで、ということになった。

 ま、それもN君次第だろうけど、、、。

 このように、月に一回程度の若い女性たちとの食事会は、高齢者の心身の健康維持には必要不可欠であると、私は精神医学的に思うのですが、皆さまのご意見はいかがなものでしょうか。

 幸い家人は、いつも気持ちよく送り出してくれ、その上小遣いの心配までしてくれるという度量の大きさです。

 ま、当方も、何事も限度というものを心得ていなければならないのは当然のことと了解しているし、またそれは紳士の嗜みでもあると、心得ているのであります。

 ま、大人の男というものは仏の手のひらで遊ぶものですよ。

 

 

 

辻静雄のこと―食を文化にした、フランス料理の伝道者

 もう30~40年ほど前になるが、TBSで「料理天国」という料理番組をやっていた。出演していた講師陣がちょっと変わっていた。使う用語がきちんと定義されており説明にぶれがなく、料理をするにあたっては、極めて論理的に料理を作ってみせるのである。料理が体系化され学問化されているのである。彼等の肩書が阿倍野辻調理師学校00料理教授とある。
それが僕が辻静雄を知り、関心を持つきっかけになり、その後いくつかの彼の著書を読むようになった。

 彼が60才で急逝してから20年経ち、追悼記念文集のような本(「辻静雄」河出書房夢ムック、河出書房、2014)が発刊されたので読んでみた。

 辻静雄は日本にフランス料理を紹介し、定着させ、日本料理を世界に認めさせた最大の功労者であり、フランス政府からMOF,シュバリエ章、オフィシエ章を授与されている。現在、大阪、東京、リヨンに辻調グループは14校、卒業生は13万人、辻調グループ学術出版部がかかわった出版物は700冊を超えるという。

 何より、料理というものを文化の一つとして認めさせ、学問のように体系化させた功績は余人を持って代えがたいと言える。

 辻静雄は、貴族趣味で独特のオーラを発散していた稀有な魅力を持った人物であったらしい。見聞する限りではどこか吉田茂、白洲次郎、伊丹十三に通じるところが感じられる。

 東京の生まれで、早稲田の仏文を出るまでは平凡な男だったらしいが、マスコミ志望で、唯一受かった大阪読売新聞社に就職して、大阪に移住し人生が変わった。
取材で訪れた市井の料理学校で、ある女性と運命的な出会いをし、彼女と電撃的に結婚し、やがて夫人の実家の料理学校を継ぐことになった。
義父は、進歩的な意識の高い度量の大きい人物で、料理に繋がることならいくら散財しても許したため、夫婦は、アメリカの料理研究家チェンバレン(MIT教授)、フィッシャー女史(カルフォルニア大)教授)の紹介状を持って、数か月かけて、ヨーロッパの名だたるレストランを食べ歩き、フランス料理界の巨人やトップシェフたちの知己を得た。
帰国後、花嫁修業の域を出なかった割烹学校を、一流の料理人を育成する辻調理師学校にかえ、ポールボキューズはじめヨーロッパの一流シェフ80名ほどを日本に招き、日本にフランス料理の基盤を作った。学校は質量とも日本一を誇り、フランス、リオンなど海外にも分校を作り、世界に誇る料理専門学校に発展させた。

彼は経営者として非凡なだけではなく、フランス料理を文化として育てた功績も大きい。ブリアーサヴァランの「美味礼賛」を始め多くの古典を日本に紹介し、また本人も大著『フランス料理研究』を始め、数十冊の著書も書いており、その中には今や料理人のバイブルといわれる本も多い。

 料理の器材、食材はすべて一級品でないと許さず、それは学校の生徒たちの実習においてもそうであったという。

 趣味嗜好はすべて一流好みであり、マナーとデリカシーの無い人間を忌み嫌い、従って政治家とは付き合わなかったが、文化人、経済人とは広く付き合い、貴族を装うような生活を自ら実践し、またそうなろうと努力しているようであった。

 彼の周りには一流の文化人が集まり、サロンが出来、自邸では自校の教授クラスの料理人を呼んで、食材には糸目を付けずに贅を尽くした食事会がしばしば行われたそうである。

 開高健、小松左京、丸谷才一など文壇グルメのうるさ方が嬉々として集まったそうで、そこに招かれるのが大きな誉れであったという。
玉村豊雄も最後の方は常連に加わり、その様子を今回の刊行本の中で書いている。
その本に寄稿している人達には、他にも大岡信、木村尚三郎、阿川弘之、伊丹十三、鹿島茂と多士彩々である。

 皆が一様に、辻静雄は、財力と知力を兼ね備え、音楽から文学、あらゆる芸術に通じ、仏語とクイーンズイングリッシュを話し、教養と品格に満ちた振る舞いとその生活ぶりから、日本で貴族と呼ぶにふさわしい、国際的に通用する唯一の日本人であると称賛している。

 ただ、包容力のある人格と才媛の誉れが高い辻勝子夫人が、夫人だからこそ知る辻静雄の実像を語っていて面白い。

 独身時代の彼は、一冊の本も一枚のレコードも持っていなかったと言うし、食べ物も好き嫌いが激しく、およそグルメとは程遠かったらしい。
 ヨーロッパで、気どったジビエ料理を頼んでも、ほとんど夫人に回し、自分は牛肉か白身の魚かスモークサーモンをいつも食べていたという。ワインも飲めず、レストランではいつも失敗しないように緊張しっぱなしであったという。

 見栄っ張りで、何でも一番のものでないとだめで、出先で急に料理の写真を撮るとなった場合でも、カメラはリンホフ、ハッセルブラッド,ライカでないとおさまらないような、我儘な子供じみたところもあったという。

 これは、彼のどの本だったか忘れたが、文中で、渋谷のH料理学校(今はどこにあるかは知りませんが。)の2代目の無能ぶりを露骨に揶揄していたことがあった。真摯に料理を勉強しようと努力をしない、料理を文化として捉えて教養を深めようとしない同世代の軽薄な二代目同業者がいることが腹に据えかねているようだった。

 当の渋谷のボンボンは、辻亡き後は顔が売れ、今やマスコミでは料理界の重鎮扱いだが、かつてのテレビ人気番組「料理の鉄人」の解説では、確かにプロとは思えないような頓馬な発言を繰り返していて、腑に落ちたものだった。

辻は、自宅や別荘での食事会では、辻調出身の一流の料理人を並べて、贅を極めた当代随一の各種料理を作らせたが、火の通し具合などがちょっとでも気にいらないと声を荒げて叱り、作り直しを命じたという。

 それでも本人は殆どそれらの料理は口にしないのが常で、一人だけ握り寿司のようなものを食べながら、センスのいい軽妙な会話に興じていたという。

つまり彼もそこそこ「虚」の人であったわけだが、人前では「真」を演じ切ってしまったところが、彼が偉大で、広く愛され、尊敬されたた所以だろう。

 現在、経営的には優れたセンスの料理人は洋の東西を問わず沢山いるが、料理を文化、教養の一つとして位置付け、学問的に深化させるよう切磋琢磨しているような人は、辻静雄亡き後どこにも見当たらない。

 

 

話題の黒船ステーキハウス店に行ってみたよ-ウルフギャングとルース・クリス・ステーキハウス

 この2月に六本木にオープンしたウルフギャングステーキハウスに、ある日曜日に行ってみた。
 甲府の遊び人と、家人を交えての真面目な会食である。

 六本木の日曜日だというのに早い時間は取れず8時スタ―トになった。
 この店の情報源は週刊文春の「食味探検隊」、雑誌『ENGINE』と雑誌『GOETHE』のレストラン紹介コーナーであり、今までの経験からは、かなり精度は高いはずであった。
それらの点数は一様に高く、「行ってみるべし」、との評価であった。

 さて、料理は最もお勧めの定番料理を頼んだ。前菜はシーフードプラッターで、大きなクルマエビとロブスターがボイルされて乗っていた。メインはTボーンステーキ3人用(骨付きで2キロあり、肉だけでも900gはあったのではないか)と付け合せのマッシュドポテトとクリームスピナッチとライスハーフ(どんぶり大盛り一杯分はあった。)であった。

 シーフードプラッターは銀盆がアーチ状の台に乗っている、フランスでfruit de mer(牡蠣やアサリや小海老などが乗ったお盆)が供されるスタイルで出てきて大いに期待させたが、海老は茹で過ぎで固く、日頃柔らかい海老に慣れている日本人には大味過ぎた。ロブスターも同様である。ソースが市販のケチャップの様な味で、アメリカンフードの限界を感じさせた。

 さて、肝心の肉の方であるが、プライムビーフ(日本のA5ランク相当とのこと))の4週間熟成された赤身肉が、T字型に切断された骨と一緒にフィレ肉とサーロインがカッとされた状態で、900℃のオーブンで熱せられたお皿に乗って出てきた。
 確かに迫力は十分である。
 最初に、お店の御嬢さんがフィレから取り分けてくれ、まずは、こちらから食べろと言う意味なのだろうと理解した。
 焼き加減は、お奨めのミディアムレアで頼んだが、肉の周りのウエルダウンの部分が多く、全体ではミディアムの焼き加減であったので、熱いお皿で焼きが進行し、食べる中頃にはウエルダウンになっていた。

 肉はかみごたえはあったが、肉の旨味はあまり感じられなかった。

 お奨めの溶かしバターソースがしっつこくて、マスタードや塩コショウで食べるのだが、それでも物足りず、オリジナルのBBQソースも試してみるが、アメリカンな雑な味であった。 結局、醤油があるか、と尋ねると、山葵も付けるかと聞く。
 しかしもうその頃はお腹がいっぱいになってきていたし、肉が固くなり過ぎていた。
 「あるなら初めから言えばいいのに」、と温厚な?家人は密かに申しました。

 肉そのものは、アメリカのニューオリンズやアラバマで食べた、アンガス牛の赤身肉に塩コショウだけの味付けのステーキの旨さに感激した、あの感慨からは程遠いものであった。

 それにお店の雰囲気が、どうかと思う。
 厨房に近いテーブルにいたこともあろうが、肉の鉄板が運ばれるたびに「シズリング!(熱いのが通るという意味らしい)」と怒鳴るような大声が響く。そのたびに客はびっくりするのである。

 当日が日曜日であったせいもあろうが、誕生日の食事会が多かった。多分サービスと思われるバースデーケーキを運び、ギャルソンが集まって、ハッピーバースデーを合唱するのだが、これも声が大きすぎて興を欠く。

 一時間ほどの滞在であったが、4回もあっては端迷惑である。

 僕は別に人の誕生日を嫌うほどへそ曲がりではないが、お祝いを強要されるのも好きではない。
 2,30年前ならいざ知らず、今でもこのようなサービスがあるのに驚いた。それが証拠に、当人達以外の客で拍手する人は殆どいなかった。
 誕生会で歌が唄いたいなら、個室を使わせるくらいの配慮があってもいいのではないか。

 まあ、全体の印象としては、サービスはマニュアル通りで、それ以上のものは無く、カトラリーも貧弱で高級感はどこにもなく、基本的にファミレス程度の店であった。
 ただ、値段はいっぱしで(ワイン抜きで3人で4万強)であるから、リピートはどうだろうかと、他人事ながらちょっと心配になった。

 それと、アメリカ人はこの程度でセレブ御用達のお店になるのなら、アメリカ人の味覚音痴はDNAによるもので救いようがない(だからいつまでたっても洗練しない)と心底思ったものだ。

 但し、肉をガッツリ食べたいというオネーチャンを連れて行けば、肉の迫力に喜んでくれるかもと、電話帳から削除はしなかったことは白状しておきます。

一方霞関にあるルース・クルス・ステーキハウスであるが、こちらは2007年にオープンで、私達は、一年ほど前の訪問であった。

 店構えはシックで静けさが漂い、照明が暗いこともあって、「さあ肉を食らうぞ」という雰囲気ではない。
 サービスも洗練され大人のレストランである。

 肉は、やはりプライム牛の熟成肉で、お勧めはフィレかリブアイである。大きさは最低でも12オンス(370g)からとアメリカ的である。
 フィレをミディアムレアで、リブアイをレアで注文したが、リブアイはどう見ても焼けすぎであった。

 食べ始めると給仕長のような人が、焼き加減を聞きに来る。「ちょっと焼けすぎではないか」というと、恐縮して、すぐに焼き直してくるが、時間はあるかと尋ねるので、そこは日本人らしい惻隠の情?で「今日はこれでいい」と答えて、完食した。

 肉は、アメリカ牛の旨さが十分に出た、ほぼ満足できた味であり、穏やかな気持ちで勘定を頼むと、焼き過ぎた方の肉の御代は取らないという。
これはちょっとした感動(タダより安いものは無い?とさもしい根性で)であった。日本の店でも、中云そうはいかないものだ。

 チップを少し多めにはずみ、「また来てもいいな」と思いながら帰宅の途についたのであった。

 

 

「すし家」―とうとう見つけた行きつけにしたい鮨屋

行きつけにしていた、赤坂の鮨屋「喜久好」が店を閉めて暫くになるが、この間あちこちと放浪していたが、とうとう腰を据えてもいいかなと思う鮨屋が見つかった。

銀座6丁目泰明通りにある『すし家』である。

 何がいいかというと、すしの好みが合うのは無論だが、親方(といっても30歳を超えたばかりの青年だが)の人物がいい。

 まず鮨であるが、シャリの感じが好みに合う。酢加減、ぱらつき感、温度がいい。車海老(巻)の茹でたての暖かいのも好みに合うし、煮蛤の味付けもいい。雲丹は基本的には握って出す。
 鯖の棒鮨は家人が2つ無理を言うほどの逸品。卵焼きは、焼いた感じがしないスフレのような味わいで、僕の好みではないが、それが、今の主流だからか人気らしい。巻物は海苔の香りが弱いのが残念かもしれない。
 シャリの大きさは、「喜久好」が、食エッセイストの宮下裕史の表現では、男鮨といわれるように大振りなのに比べると、今風に小ぶりで女鮨の部類だろう。

 いずれにしろ、それらは人それぞれの好みであるから、良し悪しではない。

 次に親方石山氏の人物であるが、武骨な大きな手をしているが仕事は繊細である。
 客の事をよく記憶しており、おつまみにしても、日が浅ければ、前回とだぶらないように気を遣うことが出来る。
 若いが勉強家で、休みは先輩職人の鮨研究に余念がない。
 向上心があるのである。
 そして何よりも,一番大切な要素である心配りが出来るのが、特に良い。
 腰が低いのは当然にしても、特に老人(私のことではないよ。)に優しいのは、それが上辺だけのものでないことがわかり、心が洗われるような、気持ちが良いものだ。
 偉そうな金払いの良い客だけに、気が回るのとは大違いである。

 また二人の従業員に対する目配りも怠りない。阿吽の呼吸で、仕事が流れている。

 一言で言うと鮨屋のオヤジになるべく生まれた、出来過ぎではないかと思うような今時珍しい青年で、これは、やはり天性のものだろう。

 「すし家」に決める前に、ダメ押しで最近話題の3軒に行ってみた。

 まずは有名になりすぎた、今を時めく「次郎」の「六本木店」。
 握りは本店をそのまま継承しており、やはり美味しい。
 問題は親方(次郎さんの次男さんのよう)の言動。客の前で使用人をしかるのは良いにしても、もう少し爽やかに注意出来ないものかと思う。客の方が、いやな気分になってしまっては、元もこうもないだろう。

 数寄屋橋の次郎さん本人は、穏やかな人であったのになぜだろうと思ったが、ひょっとして、「次郎」の職人で一番感じの悪かった、今は横浜から銀座に戻った「M」の影響か?真似することはないのに。

 神宮前の「おけい鮨」のオヤジもすごかったなあ。驚いてあれから行ってないが、変わらず怒鳴り続けているのだろうか。

 2軒目は銀座1丁目の『鮨たかはし』である。「かねさか」で、すし家I氏のちょっと後輩らしい。
 「かねさか」の一番弟子、「さいとう」にも教わったらしいので、I氏と同類の経歴であり、「すし家」と同じような鮨を出すが、たかはし氏はまだ20代後半と若い。
 一言でいうと若すぎる。独立するのはもう少し後で良かったのではないかと思うのが正直な感想である。ただし、店の構えは立派である。

 3軒目は『鮨ます田』。こちらは「すきやばし次郎」から独立した30代半ばの若主人の店。
 インテリアは、なぜか「たかはし」とそっくりで、同じデザイナーによるものか。
 主人は寿司職人らしいきりっとしたイケメンで、手つきも爽やかで、所作は一番美しいかも。
 握りは、やはり次郎風で美味い。
 しかし、残念なことにお店のマネージメントが苦手らしい。使用人も4,5人はいて、4軒の中ではマンパワーは一番多いにもかかわらず、サービスの手際は一番悪い。
 イタリアン風の黒服を着た女性が、お茶を継ぎ足すのは、余りにいただけない。

結論を言うと、(極めて個人的な感想ですが、)

 味は、「次郎六本木店」≒「鮨ます田」>「すし家」>「鮨たかはし」、の順か。
 お店の雰囲気は、「すし家」>『鮨たかはし』>「次郎六本木店」>「鮨ます田」
 お値段は、「次郎六本木店」>>『鮨ます田』>>「すし家」>「鮨たかはし」
であり、

 総合評価ではやはり、「すし家」が一番になった。ともあれ、クォルテ・オ・プリが最も良い。

 「すし家」はまだこれからの成長を感じさせるし、早晩石山氏も独立するだろうから、今後を見る楽しみもある。

 まあ、余談を言うなら、お店に入った時に季節感を感じさせる「和」のしつらえがあればさらに良いかと思う。
 花であれ、絵であれ、オヤジの趣味の良さ、教養の深さを感じさせるものが滲み出るようになれば、もっと出向く楽しみが増えるというものだ。

 その点「喜久好」の清水氏は、奥方と二人だけで切り盛りしつつも、凛とした静溢な雰囲気の中で、流れるように仕事が進み、客を手持ちぶたさにさせることは決してなかったし、季節ごとに変わる絵の趣味も良かったし、いつも見事な和花が目の前に生けてあった。

 客とゴルフ談義に花を咲かせ、手が休むようなオヤジの握る鮨は、やはり2回目は無かったし、
 常連や同伴が異様に目立つ店も2度目は無かった。
 タバコは論外にしても、携帯を使わせる店も2度目は無かった。
 どんなに味が良くてもそれは我慢できない。

 さて、客の立場をいいことに、言いたい放題書いてきたが、お店と客の関係は、客からの一方的な関係ではないということも心しなくてはならないだろう。

 店も客を選んでいるのである。客層によって店の雰囲気は随分左右されるから、当然のことである。
 こちらも,行った店の客層が自分に合うかどうかは、2回目がありかどうかの大きな判断材料になる。
 客も店から大事にされるためにはどうゆう振る舞いが大事か勉強し、努力する必要があると思う。

 料理の種類を問わず、客も店から歓迎されて、ソワニエシートがもらえてこそ、料理も、本当に美味しく楽しめるというものであろうと思う。

 

修善寺あさばの朝ご飯

旅館の価値は、朝ご飯で決まるというようなことを言う人がいますが、そこまでのことは無いにしても、旅館の美味しい朝ご飯は嬉しいものです。

特に前夜深酔いした朝は、冷たいビールと炊き立ての白いご飯は堪えられませんですね。

朝ご飯というものは、独特の感慨がありますね。

子供の頃、布団の中で聞いたまな板の音と朝日の中で見えた、(stap細胞の小保方さんのような)割烹着姿の母親が作る朝ご飯。

学生時代、友人の下宿で食べた、カップヌードルの朝ご飯。
山岳部の山行での、半覚醒のまま暗闇で食べた味のないガンタ飯の朝ご飯。

家人が、まだ懸命に真面目に作っていた結婚当初の朝ご飯。(今も変わっていませんが。)

パリの留学生活では、手掴みで買って来たバゲットとカフェオレの狭い部屋での、異次元の朝ご飯

群馬単身赴任時代に初めて経験したシリアルとカットフルーツの味気ない孤独な朝ご飯などなど。

朝ご飯の姿は、生活の真面目さと健康度のバロメーターかもしれませんね。

昔、遊郭では遊女が馴染の好きな客には、自ら朝ご飯を作ることで自分の気持ちを客に伝えたといいます。

また世の中の不良オヤジは、彼女の作ってくれる朝ご飯で、自分への愛情を量り、お小遣いを決めるといいます。

話が脱線し、危ない雰囲気ですので、本題に戻ります。

3月の連休に久しぶりに‘あさば’に行く機会がありましたので、今回は‘あさば’の朝ご飯をご紹介したいと思います。

以前に「あさばの晩御飯」(2012.12.27)を書いたことがありますので、評判の料理はそちらを参考にしてください。もちろん今回も美味しかったです。鍋は太刀魚でした。

‘あさば’では、朝のテーブルセッティングは杉の白木のランチョンマットが置かれ、あらかじめ、葉山葵のおしたし、シラス大根おろし、お新香が置かれてありました。‘あさば’定番の、天城の焼き椎茸は、飛騨コンロとともに杉板の前に準備されていました。

朝ご飯のテーブルセッティング

スタンバイ状態

その後は、数種類の料理が、出来たてで順次運ばれて来る手順になっていました。

最初は生麩の木の芽田楽でした。(写真はありません。)
椎茸は傘を下側にして網に乗せ、椎茸が汗をかいたように水分が襞に滲んで来たら、「食べ頃ですよ」、と促されます。これは塩とスダチを振って頂きます。

椎茸を焼く

この頃合いには、これまた‘あさば’の名物の出し巻卵が熱々で供されます。

出し巻卵

(この頃までは、お酒を楽しむ料理なのか、ここらでご飯とシジミの味噌汁が運ばれて来るのですが、今回は、我々は飲まないので始めからご飯を頂きました。)

次いで鯵のひもの、ワカメと若筍煮と続き、料理は終了です。

鯵の干物

若竹煮

一品ずつがしっかりしたお皿ですので、お腹には十分過ぎる量です。
デザートは伊豆の蜜柑が一粒づつ剥いて出されました。

デザートは蜜柑

後はサロンでコーヒーが付きます。

料理は、気をてらわず、特別変わったところのないものですが、どれも朝とはいえ、手抜きのしていないものばかりで、熱いものは熱く出され、卵焼きは何度食べても感激する出来栄えです。

それに格段に‘あさば’らしいのは器のしつらえです。どれとて、無粋なものは使われておらず、板長の趣味の良さと宿の矜持をうかがわせます。

そういえば、夕食も、ずいぶん器の感じが変わり、前にも増して、洗練された印象でした。最近、器を大幅に入れ変えたのかもしれないな、と感じました。

‘あさば’は最近、インターネットで、「るるぶ」のバナー広告がされていたりして、あの予約の取れない緊張感が無くなってしまったのかと、内心心配して今回は伺ったのであります。

万が一、「修善寺―界」なんて名前になったら、常宿を返上しようと覚悟して行ったのですが、変わらないサービス、料理、お風呂で一同ひと安心して帰ってきました。

‘あさば’を常宿にしているというと、なんだか自慢めいて嫌味に聞こえかねませんが、浅田次郎の次のような言葉(GOETHE2014,5月号)に代えて、弁解しておきます。

『贅沢とは満足感であり、金では満たされない。いわば知足、足るを知るということ。それは自分の心の中に置いておくもので、人に誇った途端に贅沢ではなくなり下衆(げす)になる。例えば温泉は誰もがくつろげるが、それはお湯に入るからだけではない。食事、畳、布団、僕らが回帰すべき日本文化が全部そこにあり、本来自分がかくあるべき場所に帰った安心感があのリラックス感だと思う。』と。

さらに言うなら、それらの上質さは、‘あさば’を知れば、それ以上は、他では味うことが出来ないものだからである。

 

フルーツトマトの冷製パスタ

季節の変わり目は食材が教えてくれる。
冬の終わりを知らせてくれるのも食材からである。

フキノトウや、早堀の筍が料理屋で出たりすると冬も終りだな、と思う。

今は、スーパーでは一年中同じものがあるので、季節感を感じるのは難しくなった。それでも旬のものはどこか存在感が違う。人間で言えばオーラがあるとでも言おうか。春の知らせは、菜の花であったり大きめなハマグリであったりするが、なんといっても、フルーツトマトが出回ると、風も緩んで、日差しも春を感じさせるようになる。

一昔前は、フルーツトマトと言えば、高知の特産品であったが、最近はいろんなところで栽培されているようだ。
僕の故郷の愛知でも作られており、2月の中旬を過ぎると、豊橋の知人がトマトの箱を送ってくれる。

今年のトマト豊橋産

ありがたいことである。
今や高知産に勝るとも劣らない出来栄えである。

フルーツトマトは、名前の通りそのまま食しても甘くて、もちろん美味しいのだが、料理に使っても美味しい。

僕は、なんといっても冷製パスタがお気に入りである。

トマトを使った冷たいパスタは、僕の知るところでは、かつて原宿にあったバスタパスタの山田ひろシェフのオリジナルらしい。
渡り蟹のパスタとともにバスタパスタの人気メニューであった。

彼はその後、‘ひらまつ’の‘ヴィノッキオ’に移り、やがて独立しレストランヒロで名を成したが、その後天才シェフゆえの個性が時々災いしたようだが、今は銀座の?ヒロソフィーで復活している。
ざる蕎麦にヒントを得たという、トマトの冷製パスタは、やがて日本が誇る、イタリアンの不動のメニューになり全国に広まった。

ヴィノッキオではキャビアの冷製パスタも話題になった。
あれは旨かった。キャビアはグラム売りであった。

逆に、今では日本蕎麦にもトマトを使うメニューがある位で、麺とトマトの相性はいいようだ。

さて、材料は、トマト、大きさによるが、一人分で1,2個。スイートバジル適量、ニンニク1かけ、オリーブオイル、ワインビネガー、塩、こしょう。

材量?1 トマト、ニンニク、オリーブオイル、ワインビネガー

材量?2 スイートバジル

下ごしらえをする。トマトは湯?き(頭にペケを入れ沸騰した湯で約10秒転がすと、水で流しただけで、自然に剥けるよ。)をし、6?12等分にくし型に切っておく。バジルは手でちぎる。にんにくはみじん切りで用意する。

作り方は、?くし切りにしたトマトにビネガー、オリーブオイルを1:3の割でかけ、塩コショウをして、ちぎったバジルを入れ良く混ぜる。両手ですくい上げるようにしてかき混ぜる。ポイントは乳化するまでまぜることである。乳化はエマルジョンと言って化粧品用語でもあるが、トマトから出たジュースとオイルが混濁した状態を言う。

エマルジョンした状態

これを冷蔵庫で冷やしておく。食べるしばらく前に作り置きしてもいい。
?パスタは、原則細いもの、カッペリーニが定番である。茹で加減はアルデンテではなく表示時間以上に芯まで良くゆでる方が良い。茹でた後、冷水で洗い、締めるので、茹で過ぎ位が丁度良い。

アルデンテでは冷やすと芯が残りすぎてしまう。
水温は、春先の水道水位が目安である。春先に氷水を使うと冷えすぎてしまう。

パスタの水は出来るだけ良く切ることがポイントである。水が残っていると、ソースがだらけてしまう。
僕はサラダの水切り籠に洗ったパスタを入れて水切りをしている。

サラダの水切りカゴで水を切る

これは、なかなかいいアイデアと思っている。(ラーメンの湯切りもなぜ遠心力を使わないか不思議であると常々思うのであるが。)

?パスタをお皿に盛り、マリネしたトマトソースをたっぷりかけて食べる。好みで、上からオリーブオイルをかけても良い。

できあがりーバジル抜きで。

パスタをトマトの入ったボールに入れ和えてからめる方法もある。
スイートバジルは嫌いな人もいるので、必須ではない。入れなくとも十分美味しい。
スイートバジルが希少な頃は、これが無いとイタリアンにならないと思ったものだが、今や、どこででも手に入るようになると、無ければ無いでいいではないか、と思うようになった。
ちなみに我が家では家人が嫌いなので、入れないことの方が多い。

この料理のレシピのサマリーは、フレッシュトマトを湯剥きし、くし切りにする。みじん切りにした生のニンニクとスイートバジル加えたオリーブオイルでトマトをマリネして、冷やしたカッペリーニに絡めてソースにする、ということになる。

これも、僕の得意料理の共通項である「簡単、早い、旨い」の条件を満たしている。

ところで、ブルスケッタと言う、トラットリアやピッツェリアなんかで出てくるイタリアンのアミューズのような料理をご存じであろうか。

そう日頃、自分で料理をする人には、すぐに気が付かれたことと思うが、このブルスケッタと同じなのである。
ブルスケッタは、こんがり焼いて、ニンニクをこすり付けたバケットの上に、トマトをスイートバジルと一緒に生のニンニク、オリーブオイルでマリネしたものを載せただけものである。

今回の料理は、ブルスケッタのバゲットをパスタにしただけのことである。

天才のやることは、決して難しいことではない、ちょっと発想を転換しただけのことであるが、これがなかなかできないから我々は凡人のママなのである。

従って、トマトはフルーツトマトにこだわることはなく普通の桃太郎でも良いことになるが、ここは、やはり甘いフルーツトマトにこだわりたい。

なぜなら、そうでなければ、「春の訪れの、あの怪しいときめき」を感じないからである。

Amecoya?豪徳寺商店街の個性的で、秀逸な蕎麦屋さん

家人が開業しているクリニックから徒歩1分という至近の場所にとてもいいお蕎麦屋さんがあった。

いつからあったのか知らないけど、某雑誌でレストランや料理店の主人がリレー式にお店を紹介していくという企画のなかで、下高井戸の有名な居酒屋“おふろ”の主人が紹介していたのを読んで、初めて行ったのが約半年前である。

蕎麦屋というよりナポリタンを出すような喫茶店風の店構えで、一抹の不安があったが、入ってみると、蕎麦、料理は僕の経験する範囲では上等の部類に入り、店の持つ空気も良くて一遍で気にいり、その後、月に1,2回のペースでは行くようになった。

amecoya 全景

内景

家人のクリニックが終わるのを待って、家人にお供するのである。

蕎麦は毎日2種類の蕎麦を日替わりでとっかえひっかえで出す。いったい何種類の蕎麦を持っているか知らないが、ほとんど重複した記憶がない。

料理は、種類、味、器の設えともに、いわゆる私鉄沿線の商店街の蕎麦屋の域は超えており、献立の内容も、蕎麦屋の延長というより、日本料理、それもかなり上級のものであるが、場所柄からか、メニューは居酒屋風で、気取ったところはどこにもなく、わざわざ食材を安っぽくしているのが気になるくらいである。

例えば,コノワタなど、薄めて安くしないで、もっとどっしり出した方がいいように思う。しかし、料理は、いわゆる蕎麦屋のレパートリーをはるかに超えているし、どれも和食の従来の型に嵌まった料理ではなく、創意工夫がそこはかとなく見られるが、料理の基本は守られ、決して外していない。

主人の出自はまだ聞いていないので知らないが、いずれどこかできちんと修行したのではないかと推測している。

判っているのは、ご主人一家は家人の患者さんであることである。

お店のコンセプトは、いわゆる料理屋で、最後のご飯の代わりに蕎麦を出すスタイルのお店なのか、あるいは、蕎麦屋で、酒好きのためのアテの種類が多い、西麻布の利庵のような居酒屋風蕎麦屋のスタイルなのか判然としないが、ま、きちんとした料理も出せる蕎麦屋、白金の三合庵のカジュアル版と思ってもらえればいい。

三合庵は確か蕎麦は藪、料理は重よしの出である。

コース料理が3種類あるが、普段は一番お安いコースに、好きなものを何品か追加する食べ方をしている。

それでも、たまに客人をお連れするときは、松コースを奮発する。

日本酒の選択も良く、つい飲み過ぎてしまう。ぐい飲みはもっと小さくしましょうと、家人が常々言っている。

器は京焼風なシャープな感じというより、釉薬がぼけた厚手の温か味のある九谷風ものが多いのも僕の好みにあってよい。

平〇二郎,米〇加〇年など、有名な俳優を見かけたり、ご主人から、東京の三ツ星フレンチ御用達のパン屋、パンテコのオーナーの土産というバゲットをもらったりすることがあるので、世田谷近隣からいろんな人が来ているようであり、それがちょっと神秘的でもあり、この店の奥行きを深めている。

年末には「おせちの予約」の張り紙があったので、今年は年越しそばと一緒に頼んでみた。

いざ来てみると、かまぼこ、伊達巻のようにただ切るだけで済むようなものは入っておらず、多少なりとも手をかけた魚介が主で20種類位がアルミ箔に入っていた。

定番のものは家で用意し、重箱におさめたら、まあまあの形になった。さすがに京料理の高橋のお重のようにはいかないが、それでもコスパは非常にいいので、また来年も頼むつもりでいる。

amecoyaのおせち料理を中心にして作った今年の我が家のおせち

Amecoyaという、お店の名前の由来を尋ねたら、店を引き継いだとき、板張りの壁が飴色をしていたので、飴色の小屋だということでアメコヤになったそうである。

何度か行った時に気が向いたものを写真に撮ったので、載せます。一部、食材を忘れてしまい,分からないものもあります。

お店の場所は、小田急線豪寺駅改札を出て、商店街を右に行くと、200m位で右側に郵便局があり、その対面、つまり左側にAmecoyaはあります。機会があればお試しあれ。

突出し―水ナス、ポテトサラダ,鴨のロースト

蕎麦のがレット、じゅんさい他

    唐津豆腐      

出し巻卵

鮪,鯛の刺身

金時草のおしたし

おしたし

蕎麦すし

野菜の煮たものお造り

シシャモ

野菜のてんぷら

野菜のてんぷら

芋のてんぷら

鴨とネギ焼き

?のすり流し、あんかけ

蕎麦を待っている蕎麦のおつゆと薬味

アイスクリーム

 

扁炉ペェンロー―我が家の冬の定番の白菜鍋

久しぶりに、家めしをご紹介しようと思う。

外食の話ばかりでは真正グルマンとは言えないだろうから。

白菜の旨いうちだからこそ紹介したい(男の)鍋料理です。

グルメ雑誌のハシリ、Dantyuダンチュウの創刊間もない頃、もう20年以上前になるが、舞台美術の妹尾河童氏が紹介した中国の家庭料理の白菜鍋,扁炉ペェンローをご紹介します。

当時、記事を読んで、これは行けそうと、知覚直観が働き、すぐに作ってみて、これにハマッタ。その後、当時勤務していた病院の医局の後輩には我が家で作って、食べさせて伝授したし、医局でも皆に作ったりしたので、私の居た病院の形成外科医でこの鍋を知らないのはモグリと思った方がいい。

試しにウエブで「ダンチュウ、白菜鍋」で検索してみたら、ダンチュウ歴代NO1の男の鍋料理として紹介されており、レシピも載っていた。確か数年前のダンチュウにも再掲載されていたと記憶があるし、巷でもかなり一般化されてきたようだが、小生は20年に渡り、数えきれないほど作ってきたから、反省点も含め、僕のレシピの方が確かであると思う。

男の料理であるから、大雑把で(簡単)、手間いらずで(早い)、むさぼるように(旨い)の3条件は当然のことながら、おまけに材料費も安い、と家庭内平和的である。

特に、新婚の若奥さんには旦那が喜ぶこと間違いありませんよ。(これは個人的なメッセージでした、失礼。)

材料は、2,3人前でいうが、白菜1/2、干し椎茸3,4個、鶏もも肉300?500g,豚バラも同量、ビーフン一掴み(30?50g)、ごま油、塩、一味少々である。

材料

白菜はキュと音のするような新鮮なものに越したことはないが、芯が黄色くなって開き加減なものでも構わない。

鳥は00地鶏であったり、名古屋コーチンや軍鶏であれば、それなりに美味いが、スーパーの安売りで全く構わない。

但し胸肉までケチっては駄目である。

もも肉である。

豚バラも黒豚や白金豚とこだわれば、それなりに美味いが、無名ブタで良いし、別に豚は無くとも(省略しても)よい。

ゴマ油は太白などの贅沢品は禁で、普通のゴマの香りの強いものが良く、透明性には拘らない。

これは河童氏の強調しているところである。

塩は好みであろう。

料理は理科の実験ではないのだから塩化ナトリウム食卓塩を避けるくらいのこだわりは男の習いだろう。

さて、作り方であるが、?干し椎茸は前の晩から水に戻す。と言っても、料理は思い立って作るものだから、そんな計画性を要求しても無理と言うものであろう。思い立ってから、ぬるま湯で戻せばいい。

但し戻した水は使うので捨てないように。

白菜は5センチ幅にざく切りにし、根の方と葉っぱの方と分けておく。

乾し椎茸を戻す。

?椎茸の戻し汁に白菜の白い方を投入し沸騰させる。

沸騰したら、もも肉とばら肉、適当に切った椎茸を入れその上に白菜の残りを入れて、ごま油を大匙4,5杯見当を回しかける。

最初に白菜の白いところをいれる。

だし汁の量は調整する。

残りの葉の部分をぶち込む。

ごま油を掛ける。

この順番は実はどうでも良い。

初めから鶏肉、豚肉、椎茸を入れても良い。

ただ、白菜は硬軟二段階で熱を通した方が合理的だし、第一分けないと鍋に入りきらない。

?蓋をして煮込んで終了。

白菜は鍋からはみ出るくらいになるが、手で抑え込んで蓋をする。

僕は白菜がとろとろになるくらいが好きなので、鋳物のココット鍋を使って弱火で1時間位は煮込む。

圧力鍋を使えば10分と早く済む。

弱火で煮込む。

煮上がった状態。

 

 

?好みの柔らかさになったら、戻したビーフンを入れて、5分位煮れば完成である。

ビーフンを入れて5分煮る。

最後に、もう一度ごま油を入れるとこくがさらに増す。

ビーフンは種類によっては、煮崩れておじやの様になってしまうものもあるので気をつける。

中国製は大丈夫だが、ベトナムなど東南アジア系のものは煮くずれることがあるので注意して買うようにしよう。

?食べ方であるが、味は素材から出たものだけであるから、塩分が足りない。

ボールによそってから、各自で塩で味をつけて食べる。

好みで一味、七味、祇園黒胡椒(七味)、ゆず胡椒などを振っても美味しい。

塩・一味で味を調える

スープが命なので、スープだけ飲むのはマナー違反にしないと最後に肉類だけが残ることになってしまう。

いちいち塩で味を付けるのが面倒と思う向きは、鍋に塩を入れ、始めから味をつけても良いが、だんだん味が濃くなるので、初めは薄味にしておくのが良い

薄口醤油でちょっと香りをつけたりもする。

食べ残ったら、餅やご飯を入れておじや風にして食べてもとても美味しい。

付け合せは経験的にはべったらがよく合います。

一度作れば2,3日は食べられるし、飽きないので、その間の料理の手間もはぶけます。

今回は、鶏肉を少し残して、五目御飯を作り、スーパーで鳥皮が買えたので,皮の煮込みを作ってみたが、旨かった。

モツの煮込みは僕の得意料理である。

鳥皮の煮込み。

五目御飯。

 

僕の3代前は、三河平野のど真ん中で(昔は日本のデンマークと教科書で習ったが、)、養鶏業をしていたらしく、父親は鶏肉にはうるさかったので、子供の頃から名古屋コーチンで育った。

東京に来て、砂のように味のないブロイラーの鶏肉を食べてびっくりして一挙に鳥嫌いになってしまったが、最近は鶏肉の質も良くなったし、扁炉のような食べ方をすれば、十分に美味しいと思うようになった

もう一つ、鳥を使った美味しい得意の鍋料理がある。

出所はNHKの「男の食彩」の中での映画監督崔洋一氏の自慢料理である。

が、それはまたの機会にしよう。

 

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