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南青山の魚介のフレンチ「アビス」のランチとディナー

「カンテサンス」のスーシェフだった川手寛康氏が南青山の奥まったところに「フロリレージュ」を開き、瞬く間に超人気店になり、間もなく神宮前に移転した。その跡に、一昨年の3月に同じカンテサンス出身の後輩目黒浩太郎氏がAbysseを開いた。

フロリレージュの移転先は、昔「マノアールダスティン」の五十嵐氏が勝どきの「クラブNYX」から銀座で開業する前のほんの短い間、初めてのオーナシェフとしてお店(名前は忘れたが)をやっていた場所の、あのカツサンドの「まい泉」のすぐ近くである。もう30年近くも前のことであるが、その店では、熱海の「蓬莱」の女将だったか、修善寺の「あさば」の先代だったか、粋な熟女が一人で食事をするのにしばしば会ったことがあった。五十嵐氏は熱海大月ホテルの「ルイ・ラツール」に居たことがあるからその関係もあったのだろう。小生は静岡にあった割烹「西堀」が「四季の味」の仲間であった関係で紹介されしばしば通ったものだった。
五十嵐氏は弟子を育てるのが上手く、赤坂の「シュマン」や六本木の「ル・ブルギニオン」など名店が生まれた。

年を取ると、未だ若くて食にも貪欲だった昔の思い出が走馬灯のようによみがえったりするものだ。諸兄も年齢を重ねればきっと分かると思う。

さて、アビスの目黒シェフはマルセイユの三ツ星「ル・プチ・ニース」で修業し帰国後カンテサンスには入って、しばらくして開業したそうで、年齢はまだ20代にも見える若者である。おそらく、どちらかと言うと泥臭いマルセイユの魚介料理をカンテサンス風に洗練させ、日本のフレンチに少ない魚介料理で勝負したかったのかも知れないが、そのもくろみは見事に成功したようである。
8月にランチに行き、気に入ったので9月に改めてディナーに行ってみた。
料理はコース料理一本で、ランチは4500円、ディナーは9000円であった。
写真はディナーコースである。 ランチは主菜一皿とデザート一皿が少ないだけで、質量ともに十分であった。無論、味に遜色はない。

ウエルカムプレート

ロゴ


キャビアとクリームチーズのアミューズ

オタテ、マコモダケ、
梨のピクルス、レモンのバジルソース


剣先イカときゅうりのヌイユ,
セルフィーユソース

車エビのソテーとレッドフィーユのへ
ベスコンソメソース


ムール貝、ホオズキ、
生ピーナッツ、ひまわりの葉のトマトのスープ

秋刀魚とブータンノワールのグリル、
ジャガイモのピューレ添え


キンキのソテー、万願寺、
クレソン、ヘーゲルナッツ、
ハイビスカスの味噌ソース

柑橘類のクズきり風ゼリー


数種のフルーツを
ホワイトチーズのパウダーで

ホワイトチョコレートを
パウダー仕立てと


アベスの代表料理は、残念ながら夏の時期でコースには入っていなかったが
「スープ・ド・ポアソン」である。昔むかしマルセイユの二つ星でブイヤベースを食べたことがあるが、基本は野太い漁師料理である。スープ・ド・ポアソンとはおそらくブイヤベースの前半で出されるスープのことであろう。ブイヤベースはヌーベルキジーヌの懐石料理風とはおよそ違い、山でいえば猟師のポトフであり、いわばアメリカのステーキのようなものである。黒船ステーキのウルフギャングやロウリーズの肉は確かに旨いが、洗練とは程遠いものである。
そんなフレンチ魚介料理をアートとしてもっとも繊細に昇華させカンテサンス風フレンチにしたのがアベスの料理であると思う。研ぎ澄まされた美意識の上に重層的な味の創造とオリジナリティも抜きんでている。

ソムリエ氏の話では、日本ではスープ・ド・ポアソンを得意とするところは少ないが、しいていえば「ヌ・キッテ・パ」かと言うが、小生は伊豆山のヴィラ・デル・ソルがお薦めであると思うと話しておいた。後は伊勢の志摩観光ホテルの伊勢海老のスープ・ビスクくらいだろうか。

Abysseのインテリアのブルーを基調としたのも名前(深海魚と言う意味らしい)によく合っているし、お店のロゴもお洒落である。クチポールのカテトラリーも繊細で使い勝手が良い。

秋も深まった頃、次回は是非スープ・ド・ポアソンを食べに行こうと今連れを探している最中である。どなたか立候補されませんか?

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