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グルマンライフ

天ぷら楽亭ー20年の時が流れて

嫁が3週間の入院生活の末、無事退院したので、お疲れさんということで、家人の好きな赤坂の天ぷら屋、楽亭に行った。

楽亭はおよそ20年前に、すぐ近くで旬香亭という洋食屋をやっていた斎藤元子郎氏の紹介で行ったのが最初であり、年に数回ではあるが長い年月の間にはいろいろな思い出もある。

数年のことであったが、お店の真ん前にあるマンションの1室を所有していたことがあり、そこをN’s Barと称して医局の若い連中との食事会、飲み会の二次会に使っていたことがある。

隣には赤坂教会があり、クリスマスのイルミネーションであったり、氷川神社の大みそか、元旦の初詣など、あるいはかつては近くにコルドンブルーという外人のトップレスショーをやるクラブがあったりした。

何もかも私が枯淡の境地に入る前の、まだ多少はアブラギッッシュの名残があった頃のコトデス。

さて楽亭であるが、もっとも象徴的なのはご亭主である。

寡黙で淡々と仕事をする。

決して偏屈で気難しい訳ではないが、とにかく無駄口は一切叩かず、奥方と絶妙な呼吸で仕事が流れていく。

20年通った今でも、一見の客と全く変わらない接遇である。これは見事というべきではありませんか、中々出来ないことである。

一時間間隔で予約をとり、その人数がそろうと開始になるから、遅刻する客がいると待たされることになる。

それでも15分位過ぎてしまうと見切り発車になる。

遅れてきた客は、約一時間何も食べさせてもらえない。

罰としてひたすら一コースが終わるのを待つしかないのである。

事情がわかる人なら、バツの悪い思いをするのである。

そして、たとえ一人前でも一コースが終わると、鍋の揚げ油を全部取り替える。

愛知県蒲群の竹中油脂の太白ごま油である。

まだまだ十分使えるあの油はどうなるのでしょうか?といつも疑問に思うのであるが。

天ぷらは、掛け値なしに美味しいのだが、実は他の有名店のてんぷらを殆ど知らないので、比較してどれほどおいしいのかはお話する事は出来ない。

ソラマメのかき揚げを知ったのは楽亭で、以来私の好物になっているのですが、今回は少し時期が遅かったのか出ずに残念であった。

家で真似をして作ったことがあるが、初めはソラマメの薄皮を剥かずに揚げて失敗した。

薄皮は面倒でも一つ一つ剥いて揚げてください。

そうすれば家で作ってもかなり美味しく出来ます。

海老、野菜は塩で、キス、メゴチとかアナゴは大根おろしをたっぷり入れたおつゆにしっかりつけて食べるのが僕は好きです。

そして〆のご飯は絶対に天茶がお勧めです。

天茶というものを知ったのも楽亭です。

最近の心配は、天ぷらの揚がり具合にムラが見えるようになったことです。

ご主人はおそらく70歳は過ぎているでしょうから、通い始めた頃の、50歳前後の隙のない完成された技と比較しても仕方ないと言えばないのですが、これから先どうなるかいささか気になります。

職人に限らず誰でも、いつまでも自分のピークが続くと思いがちですが、身の引き時が難しいものです。

赤坂の鮨屋、喜久好の清水喜久雄氏は特段衰えを感じさせなかったが、昨年、気力体力の限界と言って店を閉めた。関係はないが、僕も3年前に手術から一切手を引いたが、案外、大正解だったかもしれないと、今では思っている。

多分、端の者は皆そう思っているのではと思いますが。

ま、楽亭とのお付き合いは、筆おろしをした女性とずぅ?っと付き合っているようなものと言えるのかもしれませんが、それでもいつかは終わりが来るのでしょうね。

最後にご忠告を。

楽亭にお出かけの際は、遅刻はご法度です。

皆に迷惑をかけるし、自分もバツの悪い思いをしますよ。

もし僕がその場に居あわせれば、必ずや鋭く睨みつけますぞ。

楽亭

楽亭入口

 

ヘイフンテラスで中国茶ディナー

ペニンシュラホテルの中国料理に行った。

土曜の午後、駒沢の病院に息子の連れ合い(お嫁さん)の見舞いに行って、家人が看病疲れか、なんだかとても疲れた風であったので、夕飯は外でとることにし、車が停められるところという条件で探し、ペニンシュラホテルの中華料理、ヘイフンテラスに初めて行った。

今まで、何度か行こうとしたことがあったが、席が取れずそのままになっていたのだ。

今回は急に思い立ってのことであったが、運よく席が取れたので行くことになった。

ペニンシュラは車を玄関前に乗り捨てが出来るのがとても便利で良い(バレットサービスというらしい)。

香港のペニンシュラといえば、ロールスロイスでの送迎と中華料理の旨さが有名だが、東京のホテルでそれをしているかどうかは知らない。

中華料理は初めてのことで、期待はしたが、以前メインレストランのpeterに行った事があるが、ダメだったので不安はあった。

思いついて出かけたので、カメラの持ち合わせがなく写真は無いが、お店のインテリアは入り口からして古い中国の民家風で、とても落ち着いていて気に入った。

春秋とか、紅虎の際グループの奇をてらったインテリアのこけおどし風のチープさは無い。

テーブル席はテラスを模したスペースの上に置かれ、テラスらしく鳥籠がいくつもぶら下がっていた。

テラスの端には手すりがあり、一段下がって道がありその外側は隣家か、塀で囲まれている設定になっているようだった。

手すりの外、つまりは道路上にもテーブルが2卓ほどあり、ソファが置かれ、普段はウエイティングスペースに使うように見受けられた。

私たちが案内されたのはそのテラスから外れた席であった。

多分テラスの席は予約で満席であったのだろうが、行ったときはまだガラガラで奇妙な気がしたが、1時間前の予約では文句は言えないだろうと納得した。

料理はコースメニュウが基本のようであったが、一人分でも受けるという気遣いがあり、私は普通のディナ?コースを、家人は本日より始めたという中国茶ディナーコースを頼んだ。

お蔭で、一度に12種類くらいの料理を味わうことが出来た。

サービスは、今は普通になったフランス料理風に一皿づつ供され(一人前しか頼んでいないから当然ではあるが)、熱い皿はクロッシュ(シルバーの丸い釣鐘状の蓋)を目の前で、同時に取るという演出付であった。

味は、概していえば、台湾の高級中華料理店によくある、薄味だがこくがしっかりある上品な味付けであった。

私にはかなり美味しいと感じられた。

ノンアルコールのビール(オールフリー)が置いてあり、嬉しかった。

水やお茶ではやはリ情けない。

家人の中国茶ディナーは料理に各種のお茶が入っているばかりでなく、料理に合わせて、それぞれ違うお茶が出され、お茶好きの彼女はいたく気に入ったようだった。

カメラが無かったので、メニューの隠し撮りが出来なかったので、もらって帰れるかと、尋ねると、快くくれたので中国茶ディナーのメニューはお見せできます。

ペニンシュラはロビーが狭いのが最大の欠点。

狭いところにティラウンジがあり、あれでは冬の風が入ってきたらどうするのだろうか、いつも心配になる。

新潟行形亭?元禄創業の老舗料理を謎の美女と味わう

縁あって新潟市の行形亭(いきなりや)に行った。
目的は、表向き仕事のような、遊びのような。
日頃、仕事ででもなければ一人で泊りがけで出かけることはないから、やはり仕事であったに違いない、と思う。
新潟は、これまでほとんど縁がなく、医者になりたての頃、新潟大学が形成外科学会をやり参加したことがあったが、所詮、学会というものに慣れておらず、街で遊ぶ余裕もなかったので、ほとんど記憶にない。
あとはアデランスの顧問をしていた時期(モデルではありませんよ、技術顧問です。)があり、新潟村上に工場があるということで、工場見学と称して、村上温泉に招待されたことがあった。海の波涛が押し寄せるような露天風呂に雪の降る中で入った思い出がある。また古い料理屋で鮭料理をごちそうになり、鮭は新潟でも採れるのだと感心した覚えがある。その後、加島屋の鮭茶漬けが世に出て、すっかり馴染みにはなりましたが。(但し、加島屋の鮭は新潟産ではありませんよ、瓶にそう書いてあります。)

そう言えば、ちょうどその頃、ブラジルからの留学生が慶応の形成外科教室に来ており、一緒に連れて行った覚えがある。温泉と料亭というところが初めての経験で、ずいぶん喜んでいたなあ。彼は帰国後出世して、10年後位にブラジルで国際学会があって行った時には空港に出迎えてくれたり、自宅に招いてくれたりと、ずいぶん歓待してくれた。形成外科時代の懐かしくも、いい思い出である。

さて今回は、新潟のもっとも名のある料理屋をということで行形亭に行った。
門をくぐると、右手に茶店風の建物があり、まずはそこで一休み、お茶が供される。
客の人数がそろうまでここで待つという手筈のようであり(いわゆるウエイティングバーのようなもの)、お蔭で写真のような美女としばらくの間二人の時間を持つことができた。

門をくぐるとレセプションの建物があります

まずはお茶を一服頂きます

 

この建物には人力車が置いてあり、かつては客や芸者がここで身支度を整えて乗ったのであろうと想像するだけでも楽しい。座敷には囲炉裏が切ってあり、お点前のお道具が置かれていた。

さて人数がそろうと、庭に出て、一画に設えられた流しそうめんの仕掛けで、そうめんをほんの少し食べる。ひとり2回分だけ。初夏の花が咲き誇る、歴史の重みを感じる庭を楽しんでから、部屋に案内されるという寸法なのである。

元禄創業の風格

流しそうめんの風流を味わってから

部屋は離れ風に独立しており、私たちが通されたのは、東郷平八郎が好んで使ったという、目の真ん前に樹木が迫る2階の間であった。
輪島塗の丸い欅の大きなテーブルであったが、テーブルの脚が短くて足が窮屈
であったが、テーブルが重すぎて持ち上げられない?から容易には足を足せないとの説明であった。
献立表には菖蒲月17日とあり、毎日書くようである。

献立表

コースターCIMG1392

 

お酒は私は地元のワイン、Fermierのchardonnayの白で、お嬢様方は新潟っ子らしく〆張り鶴吟醸を注文した。
最初に枝豆が出された。当地では有名な弥彦娘という銘柄の初物で、本当に本日からとのことであった。
静岡清水の枝豆や茶豆に比べるとやや豆の味わいが弱いように思えたが、場の雰囲気がいいだけにそんなことはどうでも良く美味しかった。

お料理は八寸、吸い物、お造り、焼き物、煮物、酢の物、と型通りの運びであるが、名物は吸い物の“鳥もち”とのこと。

名物とりもち

もちを鴨肉で巻いたものが、ごぼうや三つ葉の椀仕立てになっており、やや濃いめの鴨の出汁が印象に残った。
もう一つの行形亭の名物料理は“かしわのみそ漬け”で、みそ風味の味付けをした雛鳥を油で揚げた一品であった。
刺身は南蛮海老があり、焼き物はのど黒と、魚のこだわりは新潟らしかったが、渡り蟹はボソボソでダメだった。個体の運が悪かっただけかもしれないが、季節がどうなんだろうか。

大女将と

姫は東郷平八郎の席で凱旋将軍の気分。実は右側が社長です

 

食事が終わると、また入り口の茶店風の建物に移動してタクシーが来るのを待つという段取り。帰りは囲炉裏の傍に座ってみた。美女が隣に座ってくれるというサービス付であった。美女は性格も優しいのである。

タクシー待ちのひと時

さて、諸兄は、ユング心理学のアニス、アニムスという無意識の原型の話をご存じだろうか。
男は無意識領域では女性であり、自分に欠けるものを補償するかのような女性のイメージを無意識下で持つそうだが、それにぴったりの女性が目の前に現れると、それが意識下で心像として浮かび、相手に投影され、強いインパクトを受けて恋におちいるそうであり、いわゆる一目惚れになるという。
この短い時間の内に、この謎の美女は僕のアニスであるのかと反芻し、ユング理論を復習しながら、とうとう僕はアニスを見つけたゾと、何度も何度も確信したのである。
しかし、たとえそれが真実であったとしても、話はそれ以上に進展しようもないのが自分の現実なのだと、また何度も何度も確信したのでありました。

行形亭の料理は概していえば、グルナビの評価が低かったせいもあってか、期待以上に良かったと思う。
今回食べたのは松コースであったが、正直をいえば、CP(コストパフォーマンス。クロルプロマジンChlorpromazineではありません、ましてや口蓋裂Cleft Palateでもありません。)は東京赤坂の菊の井の方がかなり良い。
しかし広大な庭や重要文化財指定の建物や、300年の歴史に触れるのも食事のうちと考えれば、納得のいくものではありました。

ましてや、今回は食事のお伴が良かった。きっとお店が、たとえファミレスであっても同じように満足したのではないかと思われるほどに。

この体たらくでは行形亭の〆になりませんね。いやいや今回ばかりはご容赦のほどを、平に平に。

LA BOMBANCE 創作日本料理で誕生会

“ごちそう”という意味らしい、割烹らしくない名前が目を引いたので、数年前開店早々に出かけたことがあるが、今回は息子夫婦が私達夫婦の誕生会で招待してくれ2度目の訪問となりました。西麻布の交差点の利庵の前を渋谷方面に上がったところの入り口の分かりにくいところと思って出掛けたが、やはりわかりにくく少し迷った。

アプローチもインテリアもおよそ和食屋らしくないモダンなデザインになっており、今回は個室が予約されていたが、個室も木をうまくあしらった和モダンで、チープではなく、なかなか趣味が良い。それに今風を装っている割には従業員のマナーはきちんとした料理屋のようで、気持ちが良い応接であった。

お店のカード

メニュー

前回の食事はあまり印象に残っていなかったが、改めて食べてレベルの高さに正直驚いた。何より仕事が丁寧である。料理は創作というだけあり、基本を踏まえた上で、一工夫してあり、それ以上に料理の名前が創造的?である。トンチをきかせて、考えながら料理を予想して待つという楽しみがサービスになっているのだが、心に余裕がないと楽しめないであろうから、そういう状況の客には来てほしくないというメッセージでもあるのだろう。面倒なら考えなければ良いだけであるが、やはり素直に相手の手に乗った方が料理も酒もおいしく楽しめるに違いない。

たとえば“29unきもマキ”とある。鮟肝を肉で巻いてあるのだが(逆だったかもしれない)、肝は一つという訳である。あとは料理の写真に名前を付けておきますので、考えて楽しんでください。

七つ道具を持っている魚と上手ーふかひれ入りあんこう鍋

2義理44?にぎり寿司2個

ワカメちゃんとにょきにょき春君たちーワカメと筍の炊き合わせ


キンカンそのままーキンカンのコンポート

難しくて書けません

02910-0831-お肉とお野菜


7item rice-7穀米の雑炊

誕生日プレートのデザート

白いコーヒー、ゴマのシャーベット


いずれも、名前の軽さとは違いしっかりとした一皿になっており、料理人の修行の成果が見て取れ、きっとそれなりのキャリアの方ではないかとうかがわれた。
よくある居酒屋に毛が生えたような、〇〇ダイニングの創作料理とは一線を画すものでしたよ。
今回は美味しかったばかりでなく、財布も傷まず誠に結構な晩餐になりました。
次は誰と来ようかなとヨコシマな考えを隠しつつ、しおらしく帰途についたのでした。

PRISMAー敬愛する料理人斎藤智史氏夫妻の至高のリストランテ

修善寺のあさば以来久しぶりにY氏夫妻と食事をすることになり、互いになじみの青山PRISMAプリズマに行ったので、プリズマのご紹介をしようと思います。

プリズマファンは多分広尾にあったぺルゴラ時代からの方が多いかと思いますが、ここは限られたリピーターで持っているようなお店で、あまり派手にメディアには出てこないし、場所も探していくような所にあって、ミシュランの星好きのような方はあまり来られないようです。

場所は根津美術館から骨董通りに向って歩いて数分、フェラーリとイタリアモダン家具のB&Bの間の階段を下りていくと、テラスが付いた大きなガラス窓で囲まれたスペースのお店がまさにひっそりと佇んでいます。

入り口

左に回り込むと入り口があり、ドアの取っ手にささやかにPRISMAとお店の名前が刻印されてあります。

プリスマ入り口ドア

この辺りは新しい中華料理スタイルを創ったダイニーズテーブル、ジャズライブのブルーノートやジルサンダーの旗艦店が以前からあり、ある種の人種にはなじみ深い場所ですが、最近になってフェラーリやB&Bが出来たりしてイタリアの高級ブランド通りの体をなし、根津美術館も新しくなったことで、すっかりハイセンスな、いい感じ通りになりました。

かつては、岡本太郎美術館の隣に創作家具、インテリア小物、アジアン家具の元祖のイデーの本店がありましたが、数年前に移転して行きました。どこかに書きましたがイデーは商売がスマートではなかったので、個人的にはすっきりした思いです。

プリズマは表通りからは外れていますが、立地的にはお店によく合ったセンスのいいところに来て良かったと思っています。

ため息の出るような車や家具を横目に見ながら食事に行くのも悪いものではありませんから。

さてリストランテの紹介ですから、料理の話になるところですが、料理をどんなに言葉で表現し、褒めたところで結局のところは食べてみるにしくは無しなので、ここでは、私の体験した、いくつかのプリスマにまつわるエピソードをご紹介して、そこからプリスマの料理の真髄を想像して頂きたいと思います。

広尾にあったぺルゴラからこちらに移る時は発展的展開であった訳ですから、普通はお店を大きくしてそれ以上にテーブル数を増やすのが当たり前に考えるところですが、オーナーシェフの斎藤氏は、確かにお店の総面積は3,4倍位にはなり厨房スペースはさらに大きくなりましたが、なんとテーブル数、席数ともに減らしたのです。

自分が自信をも持って料理を供せる人数にこだわったのです。

お蔭で他店では経験できないような、ゆったりとしたテーブル間隔でプライバシーに臆することなく食事を楽しめます。

余裕の配置、奥がキッチン

彼がしたかったのは、料理の質にこだわり、席数を減らし、その分料金を上げてもやっていけるかの挑戦だったのです。

斎藤氏は元来、車が好きでマセラッティが欲しくて欲しくて仕方なかったんですが、お店が軌道に乗って、ようやくマダムのお許しが出て、移転直前には、Y氏と一緒にあちこち物色し歩いていたらしいのですが、新しいお店の厨房システムが予算オーバーしそうになると、きっぱり車をあきらめて厨房を優先させたのでした。

車好きの心境から見るとかなり苦汁の選択であったろうと、気持ちがわかるだけに、料理に向かう彼の真摯な姿勢に感心しました。

これはある料理雑誌に出ていた話ですが、ふつう仏、伊系の料理人は魚介を築地から仕入れるにしろ、すし屋の後でいいや位に考えているそうですが、彼はすし屋に負けない魚介の質にこだわって毎日自ら早い時間に築地に買い出しに行くそうです。

客から見れば、その心意気が嬉しいではないですか。

プリズマは見事なまでにオープンキッチンになっており、誰が今何をしているかが一目瞭然です。

厨房

調理は基本的に斎藤氏が一人で全部作っていますが、今回訪ねたときは、弟子がいなく全くの一人で調理し、出来あがると、手前のカウンターでマダムが手伝いながら皿に盛りつけをし、それをすぐにマダムが客席に運ぶという手筈で流れていました。

斎藤シェフー修行僧のような顔つき

ぺルゴラ時代からそうでしたが、斎藤氏が厨房にいないという事態はあり得ませんでした。

ちょっと売れてくると、客席をうろうろして愛想を振りまいていたり、ひどいのになると遊ぶのに忙しく店に殆どは居ないなんて本来、料理人の資質に欠けるシェフはざらで、あるいは店舗数の拡大に走り、もとより料理人である自覚に欠けるオーナーシェフが多い中で、斎藤氏の求道的な一途さは気持ちの良いものです。

また食材へのこだわり、誇りも高く、例えば日本中のどこのリストランテを探しても白トリュフが置いてなかったとしても、プリズマに来れば必ずやアルバ産の白トリュフが賞味出来るでしょう。

必要なもの、客のためにあるべきものは妥協せず、どんなことをしても手に入れるという料理人としての矜持が見てとれます。

これらのエピソードからプリズマの料理の質の高さは自ずと想像つくとは思いますが、今回のメニューと料理の写真を載せますのでご覧ください。

まずはお出かけになってみてください。

それが一番です。

 

バッカラ・マンテカートとじゃがいものスフレ

ヤリイカと生うにのインサラータ

フランス産ホワイトアスパラのフォンドォータ

トマトのタリオリーニ

 

青首鴨のトルテッリーニインブロード

丹波篠山熟成牛のビステッカ

マダムの心遣いー家人の誕生日を覚えていて

最後のお茶菓子ーホホズキが名物です

ごちそうさま

シェフ夫妻と記念写真

かって修善寺あさばに一緒に旅行した時のもの

 

 

 

 

修善寺あさばの夕ご飯

修善寺の‘あさば’の夕ご飯についてご紹介します。(旅館のハードウエアについてはCASA―AF2012.12.03に 書きましたのでご覧ください。)

あさばの料理は旅館料理では日本一ともいわれ、つとに評判であり、改めて言うのもはばかれますが、今回初めて有名な‘天城しゃものたたき鍋’にありつけましたのでその供され方も含め、ご紹介したいと思います。

最初にお断りしておきますが、私は、一介の客として泊まったのであり、
記事を書くフードジャーナリストや旅館の評論家ではありませんので、
ご飯をおいしく食べるのがまず先決で、写真を撮るのは二の次ですので、料理の写真の漏れはありますが、そこのところはどうぞご寛容に読み流してください。

食事に用意された部屋は、サロンの上階に当たる、能舞台に横から対峙する2階のテーブルの間でした。

まず、献立は写真にある通りです。

献立

一番目のゆば蒸しは、最初の一皿でしたので、まずは箸が走ってしまい
写真は撮り忘れました。

二番目の香箱蟹は、ご存じのように松葉ガニの雌で珍味として評価の高いものですが、小さな木の箱にぎっしり並べた供され方の美しさに我を忘れて即食べてしまい、やはり写真を取るのを忘れてしまいました。

次は八寸で、九谷の須田青華の丸皿に、からすみ、蒸しアワビなど絵にかいたような珍味が美しく盛られていました。ここいらでようやく余裕が出て
写真が撮れました。

八寸

次いでは沢煮椀で、ごぼうやウドの千切り野菜のしゃきしゃき感が胡椒の効いたお澄まし味で引き立ち、見事な輪島の椀に負けないしっかりした
一品になっていました。

沢煮椀

お造りは平目と赤いかで、少量ながら、ねっとりと旨みがいっぱいの盛り合わせで、

お造り

焼き物は鰆でしたが、飛騨コンロで目の前で焼きが仕上がる演出になっていました。

焼き物

次いで菊の花の酢の物の小鉢が出され、揚げ物は、伊勢海老を素揚げにし、だし汁で煮びたしにしスープ仕立てになっており、揚げることでエビの
甘みが凝縮され、だし汁に通すことで油が抜け食べやすく、豪快な一皿になっていました。

揚げ物

口直しで定番の黒米のあなご寿司です。(家人はこの黒米あなご寿司と朝食の卵焼きがあれば、あさばに来た甲斐があると常々申しております。)

黒米の穴子寿司

最後に、あさばの冬の看板料理の軍鶏(しゃも)のたたき鍋が登場しました。

しゃもの叩き鍋

この料理は仲居さんが目の前で作って取り分けて供されます。(夏の名物、鯵のたたき鍋も同様です。)

Y氏夫人は、池波正太郎のファンで、軍鶏というだけで 鬼平犯下帳が目に浮かび、舌がうずくようで早くも興奮気味でした。

しゃも鍋では上野池之端の鳥栄がダントツですが、それに比べると、叩き方はかなり荒めで、つくね団子は男っぽい仕立てです。

しゃもの叩き鍋、つくね団子

ここに至って、今回の目玉、シャトーラトゥールは抜群の相性をみせてくれました。

シャトーラトゥール86年

最後はご飯ですが、窯で炊かれたご飯が頃合いよく運ばれ、

釜だきご飯

新米が美味しい

 

雑炊を作るかと思いきや、鍋に、とき卵だけを入れ半熟にして、卵のお汁を作り、

玉どんの準備

卵のお汁

 

それをご飯にかけて丼風にして食べます。

これはご飯そのものの味わいがよく残り、さらさら感もあってとてもおいしい食感でした。

つゆだくの吉牛のようにといっては申し訳ないか。

玉丼

(そういえば鳥栄では卵なしで汁だけかけてお茶漬けのようにして、べったらと共に食べますが、ここでは丼の風情が、飾らず、またよろしい。)

テーブルがリセットされて甘味とフルーツが運ばれ、残りのワインを頂き、これであさばの夕食はめでたく大満腹、大満足でfiniとなりました。

大満足でした。

旅館の朝ごはんは、また楽しみの一つで、いい旅館はこぞって朝ご飯に力をいれます。

あさばの朝ごはんもとても美味しいのですが、それはまた次にお邪魔した時にご紹介したいと思います。

ちなみに私もY氏も立派な糖尿病患者です。

主治医の先生ごめんなさい。

でも、あさばに御出でになれば、きっと不良患者の気持ちもご理解いただけるものと思います。

カニと鉛筆―親父のこと

友人、先にラシェットの食事会でご登場いただいたワイン通のS夫人から、島根の御実家で調達していただいた極上の松葉ガニを送って頂き、久方ぶりにカニといえるカニを頂きました。

僕の蟹歴の最後は、かれこれ10年ほど前に、あの三ツ星拒否の‘京味’で大枚はたいて松葉ガニづくしを食べたのが最後のような気がします。

松葉ガニ特有の銀色に輝く身が、10代の女の子の脚のように、はち切れんばかりに詰まっている、脚一本丸ごとを、恭しくも天井を向いて喉に放り込む贅沢は、こんなご縁でもなければ体験できるものではなく、まことに感謝しております。

大きな松葉 カニ

はち切れんばかりの身

ぷりぷりの身

 

土曜日の16時以降必着を聞きつけた息子夫婦が我が家に居残っていましたが、体よく帰して、約束通り、老年夫婦二人で我欲を張ってお腹いっぱいになるまで頂戴しました。

カニは沈黙をもたらすといいますが、まさに静逸な美味なる時間でした。

美少女の脚も嫌いではありませんが、もうこの年になると、夢を見ている
暇よりも、よりリアルな現実を優先します。

カニの思い出といえば、僕の田舎では三河湾で採れるワタリガニをよく
食べました。

生きたカニをグラグラに煮立った大きな釜に何匹もぶち込んで、飛びはねるのを厚い木の蓋で抑え込んで茹であげ、熱いうちにバリバリ割ってご飯がわりに食べます。

あれも本当にうまかった。

さて、松葉ガニを食べると、実は僕には、妙に切なくなる、密かなほろ苦い思い出があります。

僕の父親は愛知の地方都市で零細企業を経営しながら息子3人を育ててくれました。

僕は18才の頃、京都で浪人生活をしていましたが、ちょうど今頃の季節、京都も紅葉が終わり、枯葉舞い、日暮れも早くなり、寒さが身にしみ、
心細い気持ちになった頃、僕は下がった成績も上がらず、かなり沈み込んでいました。

そんな折、親父が松葉ガニをもって京都の6畳一間の下宿に訪ねて来てくれたのです。

その頃、何かの拍子で親父は一山あてたのか、その勢いで社員一同連れて、山陰にカニを食べに社員旅行をし、その帰りに京都駅で降り、寄ってくれたのです。

その時食べた蟹の味は忘れてしまいましたが、その時の下宿の光景は
体外離脱して俯瞰してみた写真を見るように思い出されます。

その時、僕が余程元気が無かったのか、しばらくして父親から生まれて
初めて手紙をもらいました。

高野川の土手に座って、比叡山を見ながら何度も読みました。

何度読んでも、大した内容ではありませんでしたが、文章が稚拙なだけに、親父の子を思う気持ちは痛いほど、伝わってきました。

手紙は鉛筆で丁寧に書かれていました。

そのせいか、その後、僕にとって鉛筆は特別の意味を持つようになりました。

鉛筆と紙は仕事の必須アイテムになり、特に形成外科時代は、常にアイデアを考えるのが習慣になっており、僕の仕事はすべて紙に鉛筆で考えやデザインを書いて生まれたものです。

また、個人的な膨大な量の手術記録はすべて鉛筆で書いてあります。

その癖は、精神科に移ってからも続いており、2Bの鉛筆と再生紙の小型ノートに現在の仕事のすべてを記録しています。

そんな思い出があり、僕は松葉カニを食べると、脳動脈瘤破裂で突然亡くなって、もう30年にもなる親父を強く思い出します。

はて、我が息子は、僕が死んだ後も、何かで僕とつながっていてくれるだろうか。

僕は自分の父親のように、不器用だけど優しい昔の親父ではなかったから、それは無理だろうなあと今になって自省、自責しても、遅いですよねえ。

それでも、親父の優しさのDNAが孫の息子に伝わっていてくれればと、
親バカとしては思ってしまうわけなのです。

里の蕎麦処“職人館”?地産地消を実践する

蓼科山の肩、大河原峠を下りたところにある里山、
春日には、知る人ぞ知る蕎麦屋職人館があります。

職人館栞

近くにゴルフ場がいくつもあり、またテレビで紹介された事もあってか
県外にも知れ渡り、そのためか、駐車場には県外ナンバーが多かったようです。

職人館

信州らしい白漆喰の民家で、入り口は障子の引き戸になっています。

風情のある入口

中は板張りの部屋に大きな座卓と、和室にテーブル、椅子というしつらえ、囲炉裏の部屋もあるそうですが、今は使用していないとのことでした。

メニューは写真にあるとおりですが、

献立表

食材は、蕎麦をはじめ、すべて春日の里で採れたものを使って作られているそうです。

当日は一番お安いランチメニューを注文しました。

まず、突き出しに大豆の煮たものが小鉢で出ました。

上品なうす味で、豆の味が際立っていました。

大豆の煮たもの

続いて、村の豆豆腐。

大き目な豆腐を2種類の塩で頂きます。

一口食べて、すぐに、水分を絞った、あの佐賀の唐津豆腐を思い起こしましたが、それによく似た、いやそれ以上の味わいで、多分先に出たのと同じ豆で作ったと思わせる豆の風味が舌に残る秀逸な豆腐でした。

村の豆豆腐

次は、“蕎麦のほかに何かが欲しい人の一皿”で、当日は地の採れたての野菜のサラダでした。キャベツ、芯の青いのと赤いのとの2種類の大根、青りんごのスライスが上品な和風ドレッシングで和えられ、菊の花弁が上に散らしてある、シャキシャキ、パリパリのサラダで、今までに体験したことのない感覚のご馳走サラダでした。

採れたて野菜のパリパリサラダ

最後に10割手打ちそばです。

丁度、今は新そばとのこと。そば粉もこの里で採れたもの。

これまた蕎麦の香りが強いもちっと腰の強い個性的な田舎そばで、
私のベスト5に入れてもいいくらいの出来です。

つけ汁がもう少し濃い目ほうが個人的には良かったと思いましたが、
それは好みの話で。

地産そば粉の10割そば

周辺が温泉地とは言え、ほとんど無名に近い里山で、これだけの料理を出して来るとは、と不思議な感覚に襲われました。

どこでこのセンスを身に着けたのだろうか、と。

帰り際、靴を履いていると、どこからともなく主人が現れ何やら声をかけてきました。

突如現れた、ご主人

尋ねると、夜の予約制のコースメニューは、客の要望によって考えるそうで、イノシシや山鳥も出たりするそうな。

使っている器の趣味の良さを褒めると、焼き物の話になり、この辺りには一時、100人近い陶工がいて窯があちこちにあったそうだが、残念ながら今は、案内できるようなところはないとの返事。

何かいわくありげな郷でした。

近くにはこんな美しい池もありました。

雰囲気のある池

ご主人は駐車場まで見送ってくれ、別れ際に、魔除けになるといって、真っ赤に実った唐辛子の枝をくれました。

頂いた唐辛子

その時、漸く理解で来ました。

多分誰かと勘違いされているなあと。

この髯面のせいで、それなりの方と間違えて主人がお出ましになったに違いないと。

ま、とにかく丸で仲間のように、親しみを込めて大事に扱っていただき、当方は嬉しかったです。

次回はただの馬の骨とバレてもいいから、また来ます。

ありがとうございました。

帰り道に、農家がやっている農産物の店に寄ると、芯が緑ではないかと思わせる大根があったので、買って帰ってサラダに入れて食べてみましたが、なかなかいけましたよ。

芯の赤いのは紅芯大根とのことでしたので、これは多分、緑(青)芯大根とでもいうのかも知れません。

緑芯大根

唐辛子は今、高崎の部屋の飾り棚に魔よけとして立派にぶら下がって
存在感を示しています。

魔除けとして

ワイン通との晩餐、また楽しからずや・・・                   Merci-beaucoup, L`Assette Blanche !

さて、以前、白金四之橋のフレンチレストランを匿名で御紹介しましたが、今回は堂々と名乗りを上げての登場です。

形の部屋でご登場願った銀座ヴェリテクリニックの福田慶三先生をお招きしての晩餐です。

この間の事情はブログの形の部屋10月6日をお読みください。 彼と同伴されたS夫人は、福田先生と揃ってのワイン通で、彼等は日頃、京橋のシェ・I を贔屓にしているので、少し心配しながらのご招待でしたが、結果として大変喜んで頂けたので、ラシェット ブロンシェは評価を格上げしての再登場になります。

S夫人(旧姓 E 嬢)は、私とも共通の友人であり。
私も認めるの美容外科の女性医師でもあり、かつソムリエールの資格を持ち、毎年フランスにワインの出来具合を視察に行くほどのワイン通です。

福田先生も名古屋時代からソムリエの資格を持つ形成外科業界ではつとに知られたワイン通であります。

かつて、私が東京にいた頃は年に何回となく食事とワインの会にご一緒させて頂いたものですが、私が『パスタの街?―高崎』に来てからは初めての食事会になります。

料理の選択は、私と家人、福田先生とS夫人がペアを組んでのチョイスになりましたが、結果は見事に全く同じ選択になりました。

前菜は、セップ茸のリゾットとフォアグラと黒いちじくのポアレの2皿。 リゾットは米の硬さが絶妙で、セップ茸はフランスの松茸といわれるだけに香りが素晴らしい出来。

フォアグラは、田舎者好みと言われようが、あれば必ず注文する好物だけに文句のつけようがありません。

主菜は、蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼きと仔鴨のローストの2皿。
すべてを2人でシェアして頂きますが、一人分でも十分以上の量があるのがこのお店の凄いところ。
多分作り手の方もこの方がやり易いのかもしれませんが、仔鳩は内臓もたっぷり付き、期待のべガスは無かったものの、ジビエ気分を十分味わえた満足のいく料理でした。

ワインの選択はS夫人が福田先生と相談されながら選んでくれました。

最初はサントネイ98年
2本目はポマールプルミエ96年
3本目はシャトーピュイゲロー99年のデュミ。

S夫人のベストチョイスワイン

 

私のブルゴーニュ好みを知ってか、さすがにすべて美味しかった。

美味しいが特別に高価というわけではない。 値段ではなくモノを熟知していて、その場の状況に合わせて(誰がスポンサーかの気遣いを含めて)ベストを選ぶ所がさすがというところです。

ここぞとばかりに自分では決して飲まない様な高級ワインを注文する人が、たまにはいますが、私は心が狭いので、かような方は、知花くらら、 宮崎葵、蒼井悠,剛力彩芽かマサコちゃんかアイちゃんでもない限り友達リストには入れません。

ご存知のように、フレンチやイタリアンの食事代はワイン代で大きく左右されますので、賢いワイン選びは財政にも直結します。

私は、肉の話では、値段ではないよと言いながらも、ワインは日頃、つい値段で選んでしまう。

知識がなくては、そうせざるを得ないだけの話なのですが。 その意味でもお店に歓待される客になることが大事です。

そうすればソムリエがすべて承知の助で巧くやってくれます。 よく、このブドウの品種は〇〇で、採れる〇〇畑は北側斜面の水はけがどうの....と言う蘊蓄を耳にすると、そんなことを覚える暇があるなら、1本でも多く飲めば、なんて思っていましたが、考え方を正しました。

知識は蘊蓄だけではなく、食事を効率良く楽しむための、重要な財産であり教養であると改めて思い知りました。

そうかと言って、この先自分で勉強するかどうかは怪しいものです。

それより、お勉強した人を友人にした方が早いと、早速言い訳しておきます。

前回登場の友人のY氏夫人も現在ワインの猛勉強中と聞きます。

是非とも、登校拒否にならずに一層の御精進を期待いたしております。

ところで、ラシェットはヴァン・ドゥ・ラ・メゾンが十分おいしいので、いつもはグラスワインで通してしまうのですが、改めてワインリストを見ると、素人目にも店の品格が出ている品揃えと値付けになっています。

昨今は、料理の値段は下げて、その代わりに高級ワインを置いて何倍にも値付けして利ざやを稼ごうとする所も少なくありませんが、それは品格に欠けるというものであります。

今や日本のフランス料理界のある意味でトップになった、あの‘ひらまつ’が、御時勢が変わってからワインを一律30%下げて、客を呼ぼうとしていますが、ナニそれで普通に戻っただけですよ。

いつぞや、日本の有名シェフ達の対談を読んだことがあったが、日本の客は高いワインを飲まないと言って、バカにしていたようだが、読んでいて不愉快であった。

ワインは料理一人分位(二人で1本飲むとして)というのが世界の常識、常道ですよ。 
5千円の料理で1万円以上のワインを飲めというなら、1万払ってもいいとゆう気にさせるような料理を作りなはれと言いたい。

その点、ラシェットはよく心得ていて、料理もいいがワイン揃えも良くバランスがとれている。

決して超有名高級ブランドワインなどは置いてないし、全体に価格設定も良心的である。それに飲み頃の年がそろえてある(らしい。あとで聞いたところによるとですが。) オーナーシェフ、ソムリエの矜持の高さが見てとれ、アッパレと言うべきでしょう。

きっと彼らの自律機能がうまく働いているのだろうと思う。(未だプラチナ勧めてなかったなあ、飲めばもっと良くなって困るかな)

食事の終わりころには、客は僕達だけになりましたので、今宵の素晴らしい晩餐の記念写真を撮ってきました。

お畏れ多くも皆さまにおかれましては、“満ち足りた食事が人をいかに幸せに穏やかにさせるか”を、これらの写真の表情から感じ取って頂ければ私のグルマンライフのブログの目的も半ば達したことになります。

福田先生とS夫人。ご夫婦ではありません

こちらは夫婦。結婚式以来の揃っての写真です。

美味しかった、ごちそうさま

川井シェフを囲んで感謝

 

ポルチーニピッツアの季節が来た。                     友人と至福の金曜日の夕べ


今回は噂のピッツェリア、イルペンティートが満を持しての登場である。

それと私のグルマンライフを支えてくれる相棒にして最も親しく大切な
友人、Y氏夫妻の初お披露目でもあります。

秋めいた10月の金曜日の夜、私と家人、Y氏夫妻と4人で旬のピッツアを食べて、そのあとホテルのバーで大人の時間を楽しんできました。

ピッツェリア、イルペンティートについて。

まずは、何といっても強烈な旨さ。

最初に訪れた時、空前絶後、一瞬にして今までのピザ観が変った。

それにも負けない強烈なオーナーの個性。

この二つにたじろいていたら通い続ける事は出来ないだろう。 

お店は、JR代々木駅西口を出て、代ゼミの通りを5分ほど下って、
小田急の鉄橋をくぐって直ぐの右側、辺りは薄暗くちょっと分かりにくいが、店内の活況が外に伝わってくるので見逃すことは無い。

お店の外観

外に椅子が並んでいるが、これは開店前に客を待たせるためと、
営業中の喫煙者の為の心遣いらしい。

最初の頃、こんな事があった。

7時開店なのに、10分程早く着いてしまった事があり、肌寒い時期で、
あいにく雨が降っていて、立って傘をさしながら震えて待っているのに、
ドアは鍵がかかっていて7時きっかりまで開けてくれないのである。

中で待たせてくれてもいいであろうにと腹立たしく思ったものである。

店内は煤けた壁にローマ法王のお言葉やローマゆかりの絵や写真なんぞが掛かっていて、ローマのピッツェリアを模したものらしいが、私は本場に行ったことが無いので実際は分かりません。

お店の内観

店内のスペースの半分がピザ窯と調理場で、作り手の主張の強さ、
一生懸命さが伝わってくる構造になっている。

厨房から店内を見る

大理石の調理台

イタリアから職人を呼び寄せて作らせたピザ窯

オーナーシェフの生田氏は大阪の生田神社の出自で、氏素性は正しいのだが、元はアパレル関係の仕事をし、イタリアに通う内にローマピッツアに魅せられ、この道に入った遊び人で、共に車好きで、Y氏のアウディR8を狙っているらしい。

ちなみに我が息子はGTRを狙っている。

時折、彼の怒号が店内を揺るがすのだが、それは、1秒を争う焼き加減こそがピザの命と思う氏の思い入れの強さの表れであり、手術も気迫と思い入れが勝負と思う私は良くその気持ちが良く理解できる。

ただ生田夫人には同情しますが。

記念撮影

さてピザについて。

よくある周辺が盛り上がったナポリピザではなく。

端まで薄くてカリカリに焼けた日本では比較的珍しいローマピザである。

旨さについては、筆舌に尽くし難し、一度味わってもらうしかないだろう。

マルゲリータ始めどれもうまいが、とどめは今が旬のポルチーニピッツアというのが、私がお連れした数多の友人たちの意見の一致するところか。

店の名前にもなっているペンティートも濃厚な味でお薦め。

〆は4種類のチーズのクアトロフロマージュといきたいところ。

さて今夜の食事の内容は、まずは突き出しの特大オリーブの実。

前菜は、オリーブの実の種を抜いて生ハムのミンチをつめてパン粉をつけて揚げたもの(優に100回は食べただろうに認知症のせいか名前が覚えられません。)。

オリーブのコロッケ

これを自宅で真似をして作ってみようと大きなオリーブを探してきて試みるも、まずは種が抜けず失敗した。

聞くと種の抜けたものをイタリアでは売っているんだそうだ。

次いで大判の色々なサラミソーセージの上にったっぷりのルッコラを乗せた一皿(写真無し)、ポテトサラダ(ピスタチオのふりかけ風なものがかかっていて風味が香ばしい。)、

ホテトサラダ

それにシェフのサービスで特別メニュのパプリカのマリネ、

パプリカのマリネ

ここらで定番の微発泡赤ワインは空いたので、本日の隠しワインを所望すると、トレンティーノのサン・レオナルド2003年がでた。

サンレオナルド2003年

オーナーはオリーブオイルやワインの輸入卸もしており、何でもこれは
日本にある残り9本の1本であるという。

メルローのタンニンの癖のある渋みが鼻孔を刺激する、いかにも高級そうな味わいであり、一瞬お会計が頭をよぎったが、飲むうちに渋みもまろやかにフルーティな香りさえ漂い、すっかり不安は消えてしまった。(ここがワインの魔力の強さというか危うさです。銀座あたりの美女は時間がたつと不安が増すことがあっても、消えることはありませんです。)

いよいよお目当てのピッツアを。

ポルチーニと

ポルチーニピザ

ペンティートを頂きました。

ピザペンティート

デザートもしっかり食べて、ディジェスティブ(消化=食後酒)は友人Y氏のお好みサッシカイアのグラッパと流れはいつものように順調でした。

グラッパ

私にとって、人生において最も大切な時間とは、結局のところ、ごく数少ない、いたってシンプルなことに帰着するのではないかと思っています。

とてもシンプルなこと、その一つは、何より良い人間関係を持てること。

そしてその人と関係を持つこと自体をエンジョイできることではないかと
思います。

出来れば仕事を離れた友人であるのが望ましく、さらには気の置けない
関係である事が重要な要素です。

それには例え思想、信条が違っていても、生活の趣向(ライフスタイル)が合っている事がまずは大切かと思います。

どんなに経済的に余裕があっても、そんな事には使いたくないと、
使い方の考えが違えば、何をするにも気遣いしなければなりません。

それでは気を抜いて心から楽しむことはできないというものです。

その点Y氏ご夫妻は(本来は私共と比べ、すべてにおいて比べるべくもなく棲む世界が違う方なのですが、格差で例えるならthe1%とthe99%の様に。)、ま、私達に合わせて頂いているのでしょうが、食事でも旅行でもその時の気分次第で、三ツ星からB級まで、気楽に、誘い、誘われる関係で、今の私の高崎のストレスフルな生活をヒーリングするのにかけがいのない友人なのです。

さて、イルペンティートの後は、タクシーでワンメーターのパークハイアットホテルのニューヨークバーに行きました。

先月、赤坂の天麩羅や『楽亭』にご一緒した時、帰りにニューオータニの
バーカプリにお連れ頂き、(Y氏ご夫妻はシガ―がお好きで、食事の後は
シガーバーに行かれることが多い様です。)そのバーでホテル自慢の
スイーツ、SATSUKI とPIERRE HERMEピエールエルメのお菓子を取り寄せて頂き御馳走になったこともあり、今回は私が慣れないホテルのバーにご案内しました。

ニューヨークバ―

今宵のボーカリスト嬢

不景気知らず

Y氏はシガ―を

Y氏夫人の持参細巻きシガ―

 

前に行ったのはもう記憶がないほど昔のことで、まるで初めて行ったようなものでしたが、ライブのジャズヴォーカが流れ、天空の夜景も素晴らしく、すっかり寛ぐことが出来、久しぶりにゆっくりと東京の夜を味わい、
満ち足りた、よいご機嫌で帰途につきました。

さて、良き友人とは何か、持ち前の自律機能主義から見てみようかと思います。

良き友人は、まず馬が合わなければ成り立ちませんが、
その理由を要素還元的に求めるのは無理というものでしょう。

それはつまるところ、よりよく生きようとする双方の自律機能の波長、
リズムが良く合い、共振し共鳴する関系ではないかと思うのです。

そのような関系があれば、片方の波動のエネルギーが弱っている時、
会えば共振し増幅することでエネルギーをもらうことが出来るものと思われます。

その前提として、弱った波動でも、リズムは整えておくこと、調律しておくことが共振するためには必要で、そのために私は、日ごろからナノプラチナコロイドを飲用し、細胞の内外の水の波動のリズムを整え、スタンバイ状態を保つことにしています。(その理由はこのホームページのプラチノロンゲルの説明文を是非ともお読みください。)

皆様も自立機能を共振できるご友人と素敵なひと時を大切になさってください。

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