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グルマンライフ

何が起きたのか?天下の「竹やぶ」ー店も蕎麦も一変していた

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かれこれもう30年近くも前になるだろうか、「ひらまつ」の平松宏之氏に誘われて、彼の友人の建築家と小生の3人で柏の蕎麦屋「竹やぶ」に行ったことがあった。
竹やぶの主人,阿部孝雄氏は「ひらまつ」の常連、友人であり、小生もパーティなどでよくお会いし面識はあったのである。
道中、与太を飛ばしながらの楽しいドライブの思い出である。

竹やぶに囲まれた小高い山の上に洒落た和風の建物があり、何よりもそのアプローチが洒落ていた。門は茅葺で、林の中を行く坂道は鉄の曲がった手すりと足元灯が、何とも言えない味わいを出していた。それはロートアイアン作家の松岡信夫氏の作品であった。
蕎麦は、店主の阿部孝雄氏が自ら石臼でそば粉を引くところから全てやってくれて、竹やぶ至高の蕎麦を味わったのである。
その後竹やぶは人気を博し恵比寿に支店を出したが、そこも同じ松岡氏がインテリアを担当しアイアンの手水が店の中央に置いてあったりして、とても粋であった。蕎麦も本店の味を上手く引き継いでおり、気に入って小生も恵比寿店にはしばしば通ったものであった。恵比寿店は六本木ヒルズが出来た時にそこに移ってしまい無くなったが、その頃、箱根のオーミラドーの奥の山中にも出店した。箱根店のインテリアは松岡氏の担当ではなく店の雰囲気も変わってしまい、同時に蕎麦の味も少し変わったと感じた。

そしてこの4月の上旬に、安孫子にある松岡さんの自宅と工房を尋ねる機会があり、チャンスとばかりに竹やぶに案内していただいたのである。

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まず驚いたのは店構えの変貌ぶりであった。かつての入り口の門の茅葺屋根も、アプローチのロートアイアンの手すりも足元灯もすべて無くなり、コンクリートにタイルやビー玉や皿を埋め込んだモザイクのようなものに一変していたのである。かなり長い坂道のアプローチもすべて同じモザイクタイル風の作品で埋め尽くされたのである。作者は店主阿部孝雄氏である。キノコ風のオブジェがあったり、塀や壁には皿が埋め込まれていて、ちょっとしたアジアンテイストのテーマパークの雰囲気であるが、フランスのシェバルの城をモチーフにし、阿部氏が数年かけて、コツコツを作りあげた作品とのことであった。
これらが蕎麦屋の雰囲気に良くマッチしているかどうかは別にして、ダリ並みのセンスで見事に統一された作品群は相当な美意識が無いと出来ないだろうと心底脱帽したのであった。
しかし、自分の作品を完膚なきまで壊された松岡氏はさすがに怒り、10年以上も絶交状態になったそうであるが、やはり竹やぶのそばの味が忘れがたくよりを戻したそうで、そのお蔭もあって、今回私達を案内して下さる手筈になったのである。

しかし変わったのは店構えばかりではなかったのである。

蕎麦もすっかり変わっていたのである。

田舎蕎麦

田舎蕎麦


田舎蕎麦は、こしが全く無くなり、風味も弱く、かつての竹やぶの蕎麦の面影を感じることが出来なかったのである。聞くところでは、阿部氏は庭づくりに専念し始めた頃から蕎麦を作ることから手を引いて、子息や弟子に任せっぱなしにしているそうである。
阿部氏は蕎麦が変わっている事に気付いていないのか、あるいは阿部氏の考える蕎麦の進化形が今の味と言うことなのかもしれないが、なんせ相手は蕎麦の神様であるから真偽をただすことは出来なかったのである。

蕎麦がき

蕎麦がき


蕎麦がきは、蕎麦の実を粒状に砕いたものを蕎麦粉に混ぜて作られており、こちらは風味がさらに豊かになり、確かに蕎麦がきの進化形であると理解出来た。

にしん蕎麦

にしん蕎麦


にしん蕎麦を最後に食べたが、にしんは奥方である女将によれば、醤油一升瓶を20数本使い2週間かけて仕上げる渾身の品だそうで、たしかに崩れるように柔らかく美味かったが、蕎麦の方はやはりぴんと来なかった。

竹やぶの蕎麦は、蕎麦と言う食材が、ここまで香り高く、のど越しを楽しむ滋味あふれる奥の深いものであることを教えてくれ、その後の小生の蕎麦のスタンダードになった。以来東京の伝統を誇る蕎麦の老舗でも、蕎麦の美味いという地方の名店でもなかなか感動するそばに出会うことは少なかったのであるが、依拠してきたスタンダードの味がここまで変わってしまうと、永年の人生の価値基準を失ってしまったようなもので、大袈裟に言えば依って立っていた処を失った自我喪失の思いであった。

竹やぶ出身で、白金から広尾に移った「三合庵」は今でもかつての竹やぶの味を守っており、小生も永年のフアンであるが、現在の阿部氏にその評価を伺いたいものである。

右が阿部氏、左が松岡夫妻

右が阿部氏、左が松岡夫妻


帰りは阿部氏が駐車場まで送ってくれ、記念写真を撮ったりしたが、まるで高僧のように温和なお人柄が風貌に現れているのである。

人は何かを極めることで美意識が変わり、やがて味覚の基準も変わっていくものなのだろうか?
脳科学的にも興味深い体験の一日であった。

天ぷら「成生」

店内風景、泥付野菜

店内風景、泥付野菜


昨年の夏頃に、静岡にとんでもなく予約の取れないいい天ぷら屋があるらしいが、「料理マスターズガイド」(2017.8.1グルマンライフ参照)の発行人をしているY.T.氏が席をとるから行ってみないかというお誘いがあった。7席のカウンターのみの「成生(なるせ」」という店を尋ねる総勢7名のグルメツアーの誘いであった。
7名の中には、超有名人も何名か入っており、超一般人の小生には少々気が重いところもあったが、しかし、この正月に全著作を読破した友里征耶のブログ「友里征耶の辛口日記・行っていい店悪い店」の2017.12.30号「今年のベスト店」に「成生」が載っていたこともあって、やがて俄然その気が増したのであった。

覆面自腹を原則とした、「一般客の一般客による一般客のための外食評論家」を自認する「トモサト」と、彼が蛇蝎のごとく嫌う、ただ飯お車代つきの馴れ合いフード・レストランジャーナリストや、高額な授業料で暴利を貪る、味の分からない金満料理学校経営者や、知識と権威だけのエセグルメ知識人、昨日までロケ弁しか食べられなかった成り上がりの若手放送作家(以上はすべてトモサト氏の表現です)、などが審査委員を務める「料理マスターズガイド」が、同じ店を推薦しているのも面白いとも思ったし、一体何処に共通点を見出だしたのか興味もあった。

そして昨年12月某日夕方7時過ぎに、新幹線静岡駅改札口に7名が落ち合ったのである。4か月を経てとうとう幕は切って落とされたという感じであった。

「成生」は、駅からタクシーでワンメータと近いところの裏通りの一角にある、目立たないただずまいの割烹、鮨屋という風情の白木作りの小奇麗な構えであった。40代前半と思しき亭主と女将さん、使用人が2,3人という小回りの利く布陣であった。訪ねた時は先客が済んでおらず、少々待たされたが、7人が座って待つスペースはなく男性陣は通路に所在なげに立って待つことになった。

浜名湖のサイマキ

浜名湖のサイマキ

 

 

さて、天ぷらであるが、一言で言うと、意表を突かれたというのが小生の正直な感想であった。
天麩羅には、特に東京では一定のパターンがある。出される食材も季節により多少の変化はあれ、ほぼ教科書通りである。揚げ方こそ、天一系、山の上系、みかわ系、天政系と流儀はあるが、東京の天ぷらには天ぷらの共通の概念がある。
成生は、そう言う天ぷらの既存のシキタリを越えた天ぷらである。理屈っぽく言えば、天ぷらという料理の体系の中で進歩し昇華するのを目指したのではなく、天ぷらという調理法を極めようとしているのではないかと思えたのである。つまり食材に衣をつけて油で揚げるという調理法でどんな料理が作れるかという探究心である。そして食材の拘りも地産に拘るというかテロワールの息づく食材にとことんこだわるのである。特に野菜は、もともと駿河の土地に馴染んだ品種を再び蘇らせた若い生産者のものを選んで使うし、魚介も静岡焼津の契約漁師のものしか使わないのである。その漁法による魚の味に拘るのである。

従ってサイマキ海老、キス、メゴチ、穴子という江戸前天ぷらの定番はまずは出ないという。

白魚

白魚

鯵

甘鯛白皮

甘鯛白皮

鰆

太刀魚

太刀魚

当日は、浜名湖の良質な海老が手に入ったということでサイマキ海老が出されたが、何回も来ているY.T.氏は、えっ、海老が出るんだ、と驚いていたくらいである。当日出されたものは、あとは白魚を大葉でくるんで揚げたもの、アジフライのように鯵を開いたもの、白皮の甘鯛の切り身、鰆の切り身の天麩羅であり、〆は穴子の代わりに大きな駿河湾の太刀魚を大根おろし満載の天つゆの中にジュと音を立てて入れてくれたのである。鰆はよく西京漬けで見るあの形の切り身が天麩羅になっているのである。火は通ってはいるが、中心は生に近く、肉のレアの焼き方にも似ていて、決して脱水を目指していないようである。

成生の天麩羅の特徴は、なんと言っても野菜の美味さにあるのではないかと思う

牛蒡

牛蒡

人参

人参

しばらく蒸らす

しばらく蒸らす

筍

手渡しで食べる

手渡しで食べる

蓮根

蓮根

店の壁際の棚の上に泥のついた何ともたくましい牛蒡や人参、レンコンが籠に盛ってあるのが目に入る。牛蒡も人参も大人の腕の太さほどの大きさで驚くのであるが、これらは皆近くの農家で若い生産者が昔の地の品種を蘇らせたものだという。これらを大きめの拍子木形に切って揚げるが、しばらくカウンターの上に置かれたままで供されることはない。冷めないかと気になったが、火を通しているのだから冷めやしないと言うが、その通りであった。筍も牛蒡も人参もレンコンもサツマイモもホクホクと焼き芋のように甘いのであった。

天バラご飯

天バラご飯

デザートの葛もち

デザートの葛もち

成生の天ぷらの特徴は、江戸前の天ぷらの常識、シキタリに縛られない。そして土地、風土に合った食材に徹底的に拘るのである。天ぷらに合うと思えば鯵でも鰆でも切り身にして揚げてしまう。亭主は「揚げること」に専念し、種の下ごしらえは二番手に任せている。温度の違う天麩羅鍋を二つ同時に使い分けて揚げる。大ぶりな野菜や切り身の種は揚げた後、蒸らして火を通す方法を使う。肉を焼く時のように焼き過ぎて(揚げすぎて)脱水してしまわないように、蒸らして火入れをする、ことなどであろう。つまり衣をつけて油で揚げるという調理法を極めることで天ぷらの新しい境地を開こうとしているのであろう。
従って、従来の天ぷらの概念で臨んで、旧「楽亭」や「近藤」「みかわ」や「いわ井」と比べて、どうのこうのと言ったところで、評価のステージが違うように小生は思うのである。

結論、自腹族の小生でも、一度は新幹線に乗ってでも訪ねても良い店であると、思ったのであった。

フレンチの逸品―マリアカラス

名前は知っていても、なかなか巡り会えないことはあるものだ。
京橋のフレンチの名店「シェ・イノ」の「マリアカラス」がそうであった。
伝説の料理人井上旭氏の名前も、弟子への鉄拳教育の噂も、マリアカラスという料理のことも知っていたが、シェイノに縁が無く、初めて食べたのは、常連の友人に連れられて行った約10年前のことであった。
子羊料理は元来嫌いではなかったが、イノのマリアカラスを食べて、目からうろこが落ちたというか、その火入れの絶妙さに目と舌を奪われた思い出がある。

衆知のように、マリアカラスは伝説的なオペラ歌手の名前であるが、彼女はパリのマキシム・ド・パリの常連であったが、ある時、マキシムの名物料理の「仔牛のパイ包み焼き」の肉を子羊にして欲しいとリクエストした。その時それに応えて絶賛されたのが、当時マキシム・ド・パリで修業中であった井上旭シェフであった。彼は帰国後、銀座レカンでもそれを作り評判を呼び、独立後はシェ・イノの不動の看板料理になった。

現在ではシェ・イノの他、井上シェフ夫人が主催する青山のマノワールディノでも食べられる。そこでは井上シェフの高弟の阿部彰シェフが腕を振るっている。

ある日、馴染のオー・プロバンソーに行った時、イノといえばプロバンソーの中野シェフもそこの出身であったことを思い出し、
「マリアカラスは作れるか?」と聞くと、よくぞ聞いてくれたとばかりに、自信満々に「任せてください」、との返事であった

マリアカラス

マリアカラス

マリアカラス

 

そんなことがあって、二度ほどマリアカラスを予約して食べに行った。
マリアカラスは、仔羊の真ん中にフォアグラを入れてパイで包んで焼くというフランス料理の伝統的な料理法だが、パイの焼き加減と子羊、フォアグラの火入れの加減が難しく、誰もが手を出せる料理ではないらしい。
最初は8月のことで、美女と行ったせいもあるかもしれないが、その美味さに驚愕した。子羊は見事なロゼでフォアグラとトリフのペリグーソースとの相性も抜群であった。
すでに記憶はおぼろげであったが、シェ・イノ以上ではないかと思った。つまりこれ以上に子羊を焼くことは不可能だと思ったのだ。

10月のマリアカラス

10月のマリアカラス

 

 

その感動もあって、10月に再び訪れたが、今度は火入れがちょっと甘かったような気がした。誤差範囲であろうが、料理は生き物であるし、状況で味覚も変わるから微妙な違いはいたし方ないというものだろう。

今年のクリスマスメニュー

今年のクリスマスメニュー

蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼き

蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼き

そして、先日オー・プロバンソーにクリスマスディナーを食べに行く機会があったが、なんとメインディッシュは「蝦夷鹿とフォアグラのパイ包み焼き」となっていた。
シェフは「仔羊のパイ包み焼き」を毎日焼いていたシェ・イノ時代を思い出し懐かしんだのだろうか。
そして子羊を鹿に変えてクリスマスメニューにしたのだろうが、小生にはフォアグラにはやはり子羊の方が良く似合うように思えた。

麹町「オー・プロバンソー」にお行になる機会があれば、時にはマリアカラスを予約してお出かけになることをお勧めします。

富麗華の上海蟹


新しい職場の忘年会で東麻布の中国飯店「富麗華」の上海蟹を食べる機会があった。
富麗華の上海蟹は数年ぶり二度目の経験であったが、今回の方が蟹も大きく、味噌も内子も濃厚、豊潤な味わいで食べごたえがあったような気がした。
訪ねた時期の微妙な違いもあろうが、やはり一般客として行く時と、オーナーにコネがあって行く時では多少の違いも出るのかもしれないと思ったりした。

バチカン宮殿のシャンパンと共に

バチカン宮殿のシャンパンと共に

東京は世界に冠たる食の都と言われるが、他国の食の文化を取り入れて自国の風物詩、イベントのようにしてしまうのは日本くらいではなかろうか。ボジョレヌーボーのバカ騒ぎは最近はひと段落したが、今でも秋になればポルチーニは食べたか、今年の白トリフはどうだとか外国の食材が話題になる。上海蟹もその一つであろうか、秋も深まってくると上海蟹が話題になるのである。

小生は季節のものを食べないと年が越せないほど食に拘りはないが、それでも季節になって、その季節にしか食べられないものを食するのは嬉しいものだ。とくに現代のように、魚介や野菜・きのこの人工栽培が当り前になり、食べ物の季節性と言うか、旬がハッキリしなくなってくると、季節と強く結びついた食べ物は、残された食する機会の有限性を思うと、有難さも一層増してくるのである。

蟹が養殖栽培されているかどうかは定かではないが、未だに季節限定の高級品であることに変わりはない。山陰境港や北陸金沢、三国の松葉蟹(ズワイガニ)、北海道の毛ガニや花咲蟹は無論のこと、西伊豆の高足蟹、浜名湖の幻のドウマンガニは別格にしても三河湾のワタリガニでさえ、それぞれに思い出があり、その頃はまたいつでも食べに来られると大して感慨も無かったが、今はもう一度その機会があるとは思えなく希少な舌の記憶を懐かしむ心境になってしまった。

上海蟹の食べ方は基本は渡り蟹と同じである。

子どもの頃の夏休みの記憶である。
オヤジが思い立つと、早朝にスクーターに小生を乗せて三河湾に面した蒲郡や一色の港に魚や蟹を買いに行く。台所で羽根つきの大鍋に湯を沸かし、生きた渡り蟹を鍋一杯投げ込んで、暴れるのを蓋で抑えて茹で上げる。甲羅を剥がして、まずは甲羅にへばりついた味噌と内子(卵)を食べる。次いで脚の方は根元のところで二つに割って、現れた筋肉にかぶりつき、さらに薄い殻に囲まれた筋肉をほじって食べる。ここが一番旨いのである。最期に惜しむかのように足の節や爪を食べるがここはさほど旨くはない。田舎では蟹酢などは使わずそのまま食べたものである。お腹いっぱいになるまで食べ、それが昼ご飯の代わりであった。

まずは味噌と内子

まずは味噌と内子

次いで身(筋肉)が。

次いで身(筋肉)が。


富麗華の上海蟹の供され方も、上品ではあるが同じである。まずは味噌と内子が黒酢と共に出てくる。次いで脚の根ものと筋肉が出され、最後の脚の節が出されるという3ステップである。

上海蟹はモズク蟹の類で、モズク蟹は日本では川の漁師が生業にしていて、大して高級なものではない。美味ではあるが、泥臭く扱いが面倒なのと、所詮は小さく、食べる身が少ないからである。上海蟹も小さく食べる筋肉も少ないので、自分でさばいて食べるなら、小生は味に遜色のないワタリガニの方が断然好きであるが、富麗華のように綺麗にさばいて出されるなら味に集中でき上海蟹のうま味が堪能でき、また高価ゆえ一層美味なのである。

上海蟹は秋になれば東京の多くの店で食べられるから、格別なそれほどの思いも無いが、かといって隠居同然の身となった今では気楽にいつでも富麗華の上海蟹が食べられるわけでもなく、この度は久方ぶりの好事、幸運であり転職に感謝であった。

一年ぶりのプリズマ賛歌

秋になって街中のレストランでセップ茸が、リストランテでポリチーニが出回ってくると、南青山のリストランテ、「プリズマ」の白トリュフが無性に恋しくなる。
今年は少し遅くなったが、11月中旬にプリズマを尋ねた。
実に一年ぶりであったが、考えてみれば去年もおそらく1年くらいのインターバルであったから、白トリュフ目当てのプリズマ行は私達の年に一度の年中行事になってしまったようだ。
気に入ったお店には、すぐに裏を返し顔を覚えてもらい、その後は少なくとも数か月に一度は通い、忘れられないように様に努めるが、プリズマはぺルゴラ時代から数えれば15年近くになるから、もうその心配はなかろうと安心しているのかもしれない。
今は遠い親戚に会いに行くような、あるいは高校か大学の教師が教え子に会いに行くような心情に近いものかもしれない。
そうは言っても斎藤シェフ夫妻に小生が何かを教えたなどと言うことではサラサラないのではあるが。
元気にやっていれば、それだけで良いし、成長し発展していればなお嬉しいのである。

料理は変わらず築地で厳選した素材に工夫を施したものが中心で、優れて個性的であった。行けば、必ず味覚に新境地を開いてくれる新しいお皿が常にある。
今回は、以下のようなお皿であった。

本日のメニュ

本日のメニュ

テスト

 

佐渡島産黒イチジクとプロシュート

佐渡島産黒イチジクとプロシュート

白いかのグリリア

白いかのグリリア

寒ブリのアフミカート

寒ブリのアフミカート

真鱈の白子のインパデッラ

真鱈の白子のインパデッラ

アルバ産白トリフのタリオリーニ

アルバ産白トリフのタリオリーニ

フルーツトマトとリコッタチーズのラビオリとイワシのポルペッティ

フルーツトマトとリコッタチーズのラビオリとイワシのポルペッティ

⑨長崎産クエのアロスト

長崎産クエのアロスト

大雪さん小鹿のアロスト・バローロビネガーソース

大雪さん小鹿のアロスト・バローロビネガーソース

焼き栗の白トリフカケ

焼き栗の白トリフカケ

⑫お馴染みのプチフール

お馴染みのプチフール

斎藤シェフ夫妻と記念写真

斎藤シェフ夫妻と記念写真

斎藤夫妻はぺルゴラ時代から理想に向かって一途に駆け上がって来て、今は自分達の立ち位置を築きあげ、一息というところだろう。次なる高みを見つけそれに向かって野心を燃やしている最中なのかもしれないし、次なるステップを見つけあぐねているのかもしれないが、斎藤夫妻には自分達の料理の原点を決して忘れて欲しくはないものだ。

食材には妥協しない、一流の鮨屋に負けない魚を使う。客数の増加に合わせてテーブルを増やさない。多店舗展開をしない。多くの弟子や使用人を雇うことで生じる無駄なエネルギーを避ける、などなど。
これらを貫くことで、三ツ星のグランメゾンに決して引けを取らない料理の味とサービスを維持してきたのだ。名店の常であるように、マダムの力も大きいが、なんといってシェフの料理に対する真摯な姿勢が原点であることに疑いはない。

人には、その人なりの生き方がある。料理人の生き方も千差万別であるから他人が口をはさむことでは決してないが、プリズマのようなスタイルのレストランがあり続けることは日本料理の名店劣らず日本の誇るべき文化遺産であろうと思う。

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お土産に頂いた佐渡島産黒イチゴ

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南青山の魚介のフレンチ「アビス」のランチとディナー

「カンテサンス」のスーシェフだった川手寛康氏が南青山の奥まったところに「フロリレージュ」を開き、瞬く間に超人気店になり、間もなく神宮前に移転した。その跡に、一昨年の3月に同じカンテサンス出身の後輩目黒浩太郎氏がAbysseを開いた。

フロリレージュの移転先は、昔「マノアールダスティン」の五十嵐氏が勝どきの「クラブNYX」から銀座で開業する前のほんの短い間、初めてのオーナシェフとしてお店(名前は忘れたが)をやっていた場所の、あのカツサンドの「まい泉」のすぐ近くである。もう30年近くも前のことであるが、その店では、熱海の「蓬莱」の女将だったか、修善寺の「あさば」の先代だったか、粋な熟女が一人で食事をするのにしばしば会ったことがあった。五十嵐氏は熱海大月ホテルの「ルイ・ラツール」に居たことがあるからその関係もあったのだろう。小生は静岡にあった割烹「西堀」が「四季の味」の仲間であった関係で紹介されしばしば通ったものだった。
五十嵐氏は弟子を育てるのが上手く、赤坂の「シュマン」や六本木の「ル・ブルギニオン」など名店が生まれた。

年を取ると、未だ若くて食にも貪欲だった昔の思い出が走馬灯のようによみがえったりするものだ。諸兄も年齢を重ねればきっと分かると思う。

さて、アビスの目黒シェフはマルセイユの三ツ星「ル・プチ・ニース」で修業し帰国後カンテサンスには入って、しばらくして開業したそうで、年齢はまだ20代にも見える若者である。おそらく、どちらかと言うと泥臭いマルセイユの魚介料理をカンテサンス風に洗練させ、日本のフレンチに少ない魚介料理で勝負したかったのかも知れないが、そのもくろみは見事に成功したようである。
8月にランチに行き、気に入ったので9月に改めてディナーに行ってみた。
料理はコース料理一本で、ランチは4500円、ディナーは9000円であった。
写真はディナーコースである。 ランチは主菜一皿とデザート一皿が少ないだけで、質量ともに十分であった。無論、味に遜色はない。

ウエルカムプレート

ロゴ


キャビアとクリームチーズのアミューズ

オタテ、マコモダケ、
梨のピクルス、レモンのバジルソース


剣先イカときゅうりのヌイユ,
セルフィーユソース

車エビのソテーとレッドフィーユのへ
ベスコンソメソース


ムール貝、ホオズキ、
生ピーナッツ、ひまわりの葉のトマトのスープ

秋刀魚とブータンノワールのグリル、
ジャガイモのピューレ添え


キンキのソテー、万願寺、
クレソン、ヘーゲルナッツ、
ハイビスカスの味噌ソース

柑橘類のクズきり風ゼリー


数種のフルーツを
ホワイトチーズのパウダーで

ホワイトチョコレートを
パウダー仕立てと


アベスの代表料理は、残念ながら夏の時期でコースには入っていなかったが
「スープ・ド・ポアソン」である。昔むかしマルセイユの二つ星でブイヤベースを食べたことがあるが、基本は野太い漁師料理である。スープ・ド・ポアソンとはおそらくブイヤベースの前半で出されるスープのことであろう。ブイヤベースはヌーベルキジーヌの懐石料理風とはおよそ違い、山でいえば猟師のポトフであり、いわばアメリカのステーキのようなものである。黒船ステーキのウルフギャングやロウリーズの肉は確かに旨いが、洗練とは程遠いものである。
そんなフレンチ魚介料理をアートとしてもっとも繊細に昇華させカンテサンス風フレンチにしたのがアベスの料理であると思う。研ぎ澄まされた美意識の上に重層的な味の創造とオリジナリティも抜きんでている。

ソムリエ氏の話では、日本ではスープ・ド・ポアソンを得意とするところは少ないが、しいていえば「ヌ・キッテ・パ」かと言うが、小生は伊豆山のヴィラ・デル・ソルがお薦めであると思うと話しておいた。後は伊勢の志摩観光ホテルの伊勢海老のスープ・ビスクくらいだろうか。

Abysseのインテリアのブルーを基調としたのも名前(深海魚と言う意味らしい)によく合っているし、お店のロゴもお洒落である。クチポールのカテトラリーも繊細で使い勝手が良い。

秋も深まった頃、次回は是非スープ・ド・ポアソンを食べに行こうと今連れを探している最中である。どなたか立候補されませんか?

環七外の梅ヶ丘の『瑞雪』-ミシュラン星つき中華6店の一つ

小田急線豪徳寺・梅ヶ丘地域のタウン情報誌誌に載っていた中華料理屋と天ぷら屋がよさそうだったので、土曜日の夕飯に空いてる方に予約することにし、空いていた梅ヶ丘の中華料理店『瑞雪』に行った。

行く前にネットで調べてみると、瑞雪はなんとミシュランの一つ星であった。
梅ヶ丘近辺にはかれこれ20年ほど住んでいたので、そんな店があるとは意外であった。梅ヶ丘と言えば「美登利寿司」が唯一都内に知られた有名店で、それとてネタの大きいだけが取り柄のような鮨屋であるから、とても味でうならせるような店が梅ヶ丘にあるとも思えず、大して期待もせず出かけてみた。
駅から数分の商店街の外れの旧いビルの2階にあり、初めてではちょっと迷うような立地であり、お店も商店街の中にあるごく普通の食べ物屋の風情であった。

料理は魚中心の広東料理と言うことで、ディナーはお任せ料理のみ3コースで、真ん中のお店のおすすめコース6500円を頂いた。家からは歩くには少々あるので、車で出掛け時間貸し駐車場に停めたので、アルコールは飲めず、ノンアルコールビールと中国茶で始まった。
お茶はプーアール茶と何かのブレンドで、まるでハーブティのような味わいで、大き目のティーポットで出され、言わずともお湯を何度でも注ぎ足ししてくれた。不思議に最後まで味、香りが無くなることはなかった。

メニュ

最初の一皿、島豆腐の中華風冷奴


島根県益田市直送カンパチの中華風刺身

錦糸瓜と蟹肉のフカヒレスープ


大根モチ

特製もっちり豆腐


車海老のフワフワ揚げと
アボカドのレモンソース

豚の三枚肉のトーチ風味


島根県益田市直送の
キハタの姿蒸しネギ油がけ

冷やし麺
 

杏仁豆腐


料理は特に斬新でもないが、いずれも食材は良く吟味されたもので、主人の人柄が伝わってくるかのように丁寧に作られていたし、ハタの姿蒸しなどは奥方が、それに応えるかのように無駄なくさばいてサーブしてくれて、店全体に料理人のスピリッツと言うか誇りのようなものが漂っているかのようであり、客としてはとても幸せないい気分になった。一皿一皿がバランス良くまとまっていて、料理には老成感すら感じられる隙のないものであった。

一言で評するなら、梅ヶ丘と言うより日比谷のハイフンテラスのような所でこそ似合う品性豊かなものであった。

ミシュランに話しを戻すと、なぜかミシュランには中華の星付は少ない。2015年ではフレンチ約70店、鮨40店に対して中華はわずか6店のみである。2016年には3倍増の19店になり、今年はさらに2店増え21店であるが、瑞雪は2015年から3年連続一つ星を得ておりその評価は高い。
中華の最高峰は二つ星の三田慶応大学近くの「桃の木」であり、他はすべて一つ星である。どうやらミシュランは我国の中華料理には点数が厳しいようだ。
同じ一つ星でも、マンダリンの「センス」や中国飯店の「富麗華」はそれなりの構えを持って風格があるが、瑞雪はお世辞にもインテリア、サニタリーが際立っているとは言えないので、正直ミシュランの拘る「料理以外の選考基準」がよく分からないと思ったりした。
確かに料理は一頭地抜きん出てる感じはするが、それくらいの感動なら、他にもいくつもあるではないかと思ってしまう。たとえば桃の木出身の荒木町「の弥七」や王道の銀座「福臨門」になぜ星が付かないのか、などと。

全く予備知識なしで来て味わえば、思わね拾いものをした気になるであろうが、東京のベスト20店に入るミシュラン一つ星の先入観で来ると、少々違和感を持つ人もいるかもしれないと思う。

しかし我が家に限れば、至近の距離で、この値段でこれだけの中華を食べさせてくれる店があるのは幸運であることに違いはない。

例え少々遠方の方でも、中華の伝統的な店構えで中華らしい中華料理を求めて来なければ、またヌーベルシノワのお洒落な中華を求めて来なければ、瑞雪は瑞雪の個性があり、十分に満たされた気分にしてくれるので、近くに来られた時に寄ってみる価値は十分にあると約束できる。

灯台下暗し、下高井戸の居酒屋「おふろ」―環七外のビブグルマン侮るべからず

ご多分にもれず、小生も遠い方に目が行きがちで、遠くにはもっと美人がいるのではないかと、身近な麗人を軽んじる傾向があるようだ。
グルメを同様で、やれ青山だ、麻布だ銀座だと、ブランドエリアに目が行きがちである。

自宅に近いので、知らない訳ではなかったが、そのような理由で縁遠かった近場のミシュラン・ビブグルマン店に行く機会が最近たまたま続き、そのコスパの良さに驚いたのでいくつかをご紹介しようと思う。
初っ端は、住所は世田谷区赤堤、駅は京王線・下高井戸から数分のところにある居酒屋「おふろ」である。
以前、豪徳寺の蕎麦屋「アメコヤ」をご紹介したが、「おふろ」も同様にミシュラン・ビブグルマンの初めからの常連で、オーナー同士も仲が良い。
おふろという名前の由来は聞いていないから知らないが、オーナーの白い上っ張りには温泉マークが刺繍してあるのがご愛嬌である。

居酒屋というのはちょっと謙遜なのだろうが、酒も料理も相当なレベルである。主人、スタッフ共に日本酒、ワインの造詣は深く、銘柄揃えも根性が入っていて半端ではない。食事はいわゆる無国籍に入るのかもしれないが、一皿一皿は由緒由来のはっきりしたものである。時にフレンチであり、時に和食、時にイアリアンという具合で変幻自在に供されるのである。決して中途半端な無国籍料理ではないのだ。

ビブグルマンというのは、一応3500円以内で食べられるがとても美味くて、要するに非常にコストパフォーマンスが良いお店に与えられる星らしいが、実際に行ってみると、とてもそれでは済まないところが多いのが現実である。尤もラーメン店などでは、きっちり守られてはいるが。
おふろは、4人以上の注文に限定されるが、2900円のお任せコースがある。先日は4人で出掛けたので、主人からそのコース料理を勧められ食べてみたが、これは掛け値なしにコスパが最高であった。以下写真は4人分であるが、10皿以上も出てヴォリュームも満点であった。





ワインは主として新世界のものが中心に幅広く揃えてあり、ブドウの好みの品種を言えば、料理に合わせて、数種類が提示される。各ボトルのラベルの上に、バイザグラスの値段がマジックで書いてあるので、フトコロの計算がし易く安心して飲めるというわけである。


小生は日本酒には全く無知なのでよく分からないが、相当な日本酒マニアが通うことからもレベルの高さは想像がつく。そもそも日本酒が得意のお店らしい。
料理人は奥に隠れていて見えないので、人となりは分からないが、一人で全部こなしているところから、只者ではない筈だ。

ミシュラン風に言えば、ついでというより、わざわざ出かける価値があるお店であるのは間違いないが、宿を取ってまでして来る価値があるかどうかは小生には判断がつかない。

噂のイタリアン、銀座『リストランテ エッフェ』小手調べ

10数年前の中目黒の知る人ぞ知る「フォリオリーナ デッラポルタ フォルトゥ―ナ」といえば、一日一組限定でこだわりと気難しさで有名な小林幸司シェフの高級隠れ家イアリアンとして数々のグルメ本で取り上げられ、一種羨望のイタリアンであった。
シェフの気難しそうな強面な風貌と一対一ではと、少々気後れしたのと、予約が極めて取り難かったこともあって、結局行かずじまいでいたのだが、その後余り噂を聞かなくなったと思っていたら、5,6年前には軽井沢に移転していたらしい。
そして一昨年に銀座に「リストランテ エッフェ」として戻ってきたのだが、その経緯を、詳細は忘れたがテレビのドキュメント番組で取り上げられ、それをたまたま見てことの次第を知ったのである。
その記憶があって、7月の某休日に、何処か昼ご飯でも食べに行こうかと思い立った時に、「エッフェ」のことを思い出し、行ってみようと思った。
休日のランチとあって、あいにく満席であったが、カウンター席ならと言うので、偵察のつもりで行ってみることにした。

ネットによれば、基本はアラカルトで、それもアンティパストを中心に20数種の料理を出すとのことであったが、予約時に、カウンター席は決まったコースメニュが一コースと言われので、ちょっと躊躇われたが、面倒がなくてそれもいいかと思った。
ハウスワインと同じで、店が決めたものなら、店の矜持から、それなりの料理を出すだろうと考えたからである。

お店は銀座2丁目の銀座通りから2本西銀座寄り、ブティックや飲食店がゴチャゴチャという感じで入っている余り洗練されているとは言えない雰囲気の商業ビルの8階にあった。
エッフェも特別な門構えも無く、ハッキリしたドアさえもあったかどうかという位の印象で、先入観からすると意外な程カジュアルな店構えであった。
カウンター席は厨房の裏手で、前はガラスで仕切られ、後ろは壁という余り快適とは言えないスペースになっていた。何となくスタッフの賄い用かと思わせたと言っては言い過ぎかもしれないが、妙な設計だと感じた。

料理はメニュにあるとおりであったが、全体の印象は、さすがに、、、とか強く感動したというものではなかったが、やはり他とは違う何かがあった。

1)パンはイタリアのソウルフードのピアディーナとカラサウ

地方の豊かではない普通の家庭で焼くというソウルフードの素朴なパンが2種類が直ぐに出された。小生には知らない素朴な味わいであった。


2)一番目のアンティパストは「タコとひよこ豆のサラダ」

蛸のぶつ切りをオリーブオイルで炒め揚げしたものをひよこ豆とバジル風味で和えたもの。
蛸に歯ごたえがあり味わい深く、なんだか瀬戸内海の蛸料理としても名物になりそうな感じがした。


3)二番目のアンティパストは、「ホロホロ鳥の胸肉とペペロナータのマリネ」

ペペロナータはパプリカを焼いて皮をむいてオリーブオイルでマリネしてアンチョビを散らす料理。
我が家の夏のパーティ料理の定番でもあったので懐かしくもあったが、実はこれは簡単で美味く見場も良いのでお勧めものだが、パプリカの皮を剥くには網で真っ黒になるまで焼くのがコツである。トマトの湯剥きの感覚では駄目で、何かに書いてあった電子レンジではうまく剥けないのである。
ホロホロ鳥は、小生の経験知では、鶏程は旨味が強くないし、それも胸肉ではさらパサパサかと思いきや、しっとりとしていて、かつて味わった事のないような滋味深い味であり、ホロホロ鳥の認識が変わった一皿であった。


4)スープは「赤パプリカとバジリコの冷製スープ」

夏の太陽がスープに溶け込んだかのようなイタリアを感じさせるスープで、チコリが薬味のように乗っていて、混ぜると歯触りとなっていい感じであった。


5)パスタは「アグー豚のラグーのタリアッテレ、丁子風味」

沖縄島豚のミートソースで、グローブ風味の男性的な野趣溢れる味になっていた。
タリアテッレはかなり硬めで小麦粉の味が残る、まとわりつくようなモチモチ感の強い仕上げになっていて、今までに食べたことのない食感のパスタであった。
この感覚は病みつきになるかもしれないと思った。


6)主菜は「仔牛のスペッツァティーノ」

仔牛を角切りにした煮込み料理。仔牛の乳臭さはなく、不思議なほど柔らかい仕上げ。
付け合せはカラサウのミルフィーユ仕立て。


7)デザートは、「マチェドニア」

パションフルーツのフルーツポンチであった。


イタリア料理、ましてやその郷土料理ともなると小生には想像の域を出ないので、間違っているかもしれないが、その日のどの皿も、味がハッキリしていて個性的で飾りっ気のないものであり、おそらくイタリアの地方の郷土料理、家庭料理の味が原点かと思わせるものであった。
昨今のデザイン的にも美しい懐石まがいの女性的なイタリアンとははっきりと一線を画すもので、まるで「そういうヌーベルイタリアンは俺は作らないぞ」と言うシェフの意思がはっきりと伝わってくるものであった。
一言でいうなら、力強い骨太で野趣味溢れるものだが、しかしどこか洗練されているイタリアンと言うところか。

当日は車で出かけたので、呑めなかったが、トスカーナかピエモンテの赤があれば文句無しにさらに味が上がったに違いあるまい。

スタッフは可もなく不可もなくという感じで、インテリアはモダンでもクラッシックでも田舎や風でもなく、どちらかといえばトラットリア、ファミレス風で、レセプションスペースも無いから、ハレの日の食事としては盛り上がりに欠けるかもしれない、というのが正直な感想であった。
料理は、未だ直球のところを食べていないから何とも言えないが、おそらく日頃行くようなイタリアンではない、これが「イタリアの昔からの味だよ」という郷土料理風なものをベースに小林流にアレンジして、これでもかという風に出てくるのではないかと予想させ、今風ではないが故に逆に新鮮さを期待させるものであった。

帰りがけにエレベーターまで歩いて行くと、赤坂の特級中国料理人のいる中華の「カイメンホウ」があった。そこが移転して来たものなのか、支店なのかは知らないが、この建物も中々個性派を揃えているなあ、と妙に感心したりもした。

ビルを出るとすぐ近くに、未だひと気のない、夜は通い慣れた?「白いバラ」があったが、僅か数時間の違いで我が身の置かれた立場と周りの雰囲気の違いの落差に多少複雑な思いを抱きつつ帰路についたのであった。

紀尾井町「オー・プロヴァンソ-」ー夏のスペッシャリテメニュ

職場の近くにあって、とても使い勝手のいいビストロ「オ―・プロヴァンソー」から夏の特別コースの案内が来たので、夏の一夜、友人を誘って出かけてみた。

普段お気に入りの丸テーブルの席が空いていなくて、久しぶりにビストロの証でもある壁一列のベンチシートに座った。女性同伴ならともかく、男性とでは横並びではないほうが落ち着いて話ができるというものだ。

オー・プロヴァンソーのオーナーシェフ中野寿雄氏は、普段は客の我儘な注文にも融通無碍に気楽に応えてくれるが、年に何回かは、例えば、春はアスパラ、秋はキノコ、クリスマスはそれようにと季節ごとにシェフの力量を誇示するかのようなスペッシャリテのコースを提供する。それらは小生のブログ「グルマンライフ」の常連にもなっているが、彼の並々ならぬ料理人としての矜持を示すものとなっていて、小生は、期待を裏切られたことは一度もない。

さて今年の夏のメニュであるが、食材は、海のものは、例年の鮑主体ではなく車エビ、サザエに鱧(はも)、鯒(こち)、穴子が加わり、いくつかの夏野菜にサマートリュフ、ジロール茸、セープ茸とはしりのキノコに、フォアグラとシェフこだわりのスッポンを加えた豪華揃い踏みであった。




有名な料理人はよく、‘素材が良ければ、その味を引き出すだけで余分なことはしない方が良い‘とか言うが、小生は、素材はもちろん良くなければだめだが、それにいかに手を加えて、次元の違う美味さを表現するかがプロの料理というものではないか、と思う。
それはフレンチ、イタリアンに限らず和食、鮨においても同じだと思う。
その意味において、オー・プロヴァンソ―中野シェフはテロワールを生かして巧みに料理するアルチストとして超一流の料理人であると思う。

プロヴァンソーからの季節のスペッシャリテの案内は、小生には今や季節の風物詩のような愉しみになっているのだが、おそらく多くの常連も同じではないかと思う。

一度訪ねたことのある旅館やレストラン・料理店から、同じような再訪を誘う案内を貰うことは決して珍しいことではなく、その多くは営業本位の広告にすぎないものだが、プロヴァンソーのものは、シェフとスタッフが、「▲▲の季節になりましよ、美味いものを作りますから食べに来て下さい」との声が聞こえて来るかのようであり、つい、いそいそと喜んで出かけてしまうのである。

レストラン・料理店と客の関係性、付き合い方、距離感の取り方は意外と難しいものである。旨いから、安いから、便利だからというだけの関係であれば、ホンのちょっとした違和感で行かなくなってしまうし、近づき過ぎれば僅かな感情の気まずさで疎遠になってしまうこともある。
所詮、店と客の関係ではあるが、デパートやコンビニで買い物をするのとはどこか根本的に違うような気がする。
おそらく、そこには金銭の授受を超えた人と人の関係性が関与するからではないだろうか。客の方はお店に対して、主人の料理人としての力量と彼の経歴とポリシー、人間性に尊敬の念を持ち、店の方は客に、ただ金を払ってくれる人以上の存在性を認め敬意を払う、そんな思いが共有出来て、うまく距離感が持てれば、「俺の贔屓の・・」と自信を持って人を連れて行ける店が持てるのではないかと思う。

小生は、自分にとってかけがいのない行きつけのレストラン・料理屋や常宿を持つことは、伴侶を見つけるのと同じように、人生で最も大事なことの一つであると信じて疑わないが、ただその決定的な違いは、諸兄も良く認識されているように、伴侶はそうそう簡単には駄目出しが出来ないところである。

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