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グルマンライフ

ゴールデンウィークにした事、その①一「男のだいどこ」を再読

東京から疎開してきている本達

東京から疎開してきている本達

 GWは、長野県の立科の山荘開きに行くのが恒例であり、今年も5泊6日で出かけた。
三日もすると、持ち込んだ本にも飽きが来て、家から昔疎開してきていた本棚を覗いてみると、古いグルメ本が何冊もあった。
中でも映画評論家の故荻昌弘の「男のだいどこ」は若い頃読んで、もっとも啓発された印象深い本であったので、暇つぶしに再読してみた。

男の台どこ 単行本

男の台どこ 単行本

 かつて、この本を読んでからというもの、小生も、京都に行けば錦市場、札幌に行けば二条市場、金沢に行けば近江町市場を徘徊するようになったし、合羽橋で厨房用品を探す楽しみも覚えたのである。

 この本は昭和47年6月が初版であり、僕が持っているのは昭和48年3月の第6刷であるから、なんと9か月の間に6冊を重ねたベストセラーであったのである。
昭和48年は僕が大学を卒業した年であるが、小生もそうであるが、既に今のダンチュウ族の元祖たちが啓蟄を待つ蟹のようにうごめいていたことになる。
 その後バブルの到来でグルメブームは爆発したのであるが、当時と昨今のグルメの決定的な違いは、当時は料理を自分で作ることが基本的関心事であり、そのための情報収集に食べ歩き、食材や器、盛り付けなど、プロの美学を自分で再現しようとしたのであって、決して高級店へ出入りする自慢や、新規開業の店の太鼓持ちなどはしなかったのである。
 バブルは男のグルメを、単なる食通気取りに変えたのである。
 荻は食通と言われることを本気で嫌がっていたそうである。

男のだいどこ文庫本

男のだいどこ文庫本

 荻の文章は、高い知性と深い教養を伺わせるだけではなくユーモアに溢れており、珠玉のエッセイ集になっている。
 食一般に興味のある方には、これは必見の書であることは断じて保証出来る。
「男のだいどこ」は、まもなく文春文庫にもなったが、今は光文社からも文庫本になっているので簡単に手に入る。
 後ひとつ必読の書を上げるなら、壇一雄の「壇流クッキング」をお薦めしたい。これも文庫本になっている。

 男のだいどこの冒頭の「君子厨房に入る」では、男が食うを語るはみっともないか、と問いかけ、男が買い物籠を下げて商店街を歩く快感を言い、男の食い意地でみっともないのは、通ぶって有名店の顔であることや、店の評判を自分の手柄のように自慢し威張る輩であると断じている。

 そして、京都の大市のすっぽんは「世界でこれ以上旨いものはない」宣言されても、否定する根拠は見つからないといいながらも、美味珍味はたまに食べるからこそ旨いのであるとし、大市のすっぽんでも3日と続けては食べたくはないと言っている。

 そして戦後の社会が獲得した「特権の市民化」は「名品」の規格量産化につながり、千葉のいわしのみりんぼしや白と青の缶のクッキー(泉屋のことか?)の大衆化と、その変質を皮肉っている。
 その対称的な存在として、麹町のクッキーのローザとか、日本橋のアラレの枡久、京都の干菓子の亀屋伊織をあげて、利に走らない頑固さを賞賛し、さらに全国の地方で見つけた埋もれた逸品を、余すことなく見事な語り口で紹介し見聞の広さを見せている。

 当時の、食を書かせて優れた名文家は、獅子文禄、吉田健一、開高健、丸谷才一、石毛直道、渡辺文雄、伊丹十三など食を職業としない人に多いが、食と性という二大本能をうまくかみ合わせ巧みなジョークに組み立てる才能は荻の独壇場であるし、味覚を語る語彙と表現力の豊かさは、今日の食を語るグルメ評論家の遠く及ばないところである。
 試しに「鍋物大全」の章をお読みになれば、小生のいわんとする意味がお分かりいただけよう。

 昨今のメディアのグルメ番組に登場し、「軟らかーい,甘ーい」と目をつむり、のけ反るだけの芸能人の表現力の乏しさは、慣れっこになったが、一方で車好き向けの「ノーカーノーライフ」というテレビ番組で、ゲストと共に登場する車を毎回、「カッコイー」としか表現しないMCを務める芸人はどうにかならんものだろうかといつも思う。これらの番組は生放送ではないのだから、台詞として誰かが教え込めばいいだろうにと思うのだが、番組制作者にも、もはやその力もないということなのだろうか。

 当時、荻は50歳そこそこであるのに、バー、クラブという女子の居る店から足を洗ったいい、その言い草は「女を口説くには酒はあったほうがいいが、酒を飲むときは女は要らないサカナである」といっているが、小生は60をはるかに過ぎても、うまい食事には、テーブルに美しい花があったほうが更においしくなると思うし、銀座の超庶民的キャバレー「白いバラ」へ行って、娘の年より若い女子(小生には実娘はいないが)と、でたらめな嘘のつきっこをして、もてたようにだまされた振りをするのが、また楽しくなった。要は、小生は、女を口説く楽しみがある時以外は酒は飲まないということになるのであろうか。
 

この本は、小生には、まだまだ修行が足りないゾと、色々教えてくれる教科書にもなっている

 そしてあとがきで、著者の主題は二つであるとし、一つは、食を語り、台所に入って食の実作に手を染めることが男にとって恥でも何でもないではないかという提言であり、もう一つは最近の(注昭和47年頃)日常の市販食品の胡散臭さは何とかならぬかという問いかけ対する同意である。
その最も酷い例として鶏のブロイラーを上げ、人間が作ったあれほど無味で虚無的な食品もないだろうから、さすがにブロイラーの運命もあと10年だろうと予言している。
 これは卓見であった。現在では、あの数十年前には鶏の代名詞であったブロイラーも、さすがにまともなスーパーからは姿を消したように見えるし、男の料理は、今では恥でも何でもなく、持て男の一つの要素にすらなっていると聞く。

 しかし芸能人が料理をして見せる番組は、どうも胡散臭くていけない。料理は、それを職業としない限りは男にとって、趣味道楽のものであり、お足を稼ぐものであっては本道を外れると思うからである。

 もっとも僕にとっては、料理は生活の手段にもなっている。なぜなら、ここ蓼科生活では全食作るのが、昔から小生の義務になっているからである。

年期の入ったダッジオーブン

年期の入ったダッジオーブン

Dancyu最新の永久保存版

Dancyu最新の永久保存版

 今回は久しぶりに、ダッジオーブンなんぞを持ち出して、オー・プロバンソーの中野シェフのレシピでブッフ・ブルギニオン(彼はハヤシライスと言っているが。)なぞ作ってみましたが、いざソースの仕上げに入るや、フォンド・ボーの缶が無いことに気付き、味は半端なものになってしまいましたが、「ここは山中にてやむを得ない、第一、美味しいいちぼ肉が手元にあるだけで有難いではないか」と諦めることが出来る心境に小生もあいなりました。この心境こそは、中村天風師の説く安定打座(あんじょうだざ)の教えが導きたもうたかもしれぬと、中村天風を教え、薦めてくれたN.Y.君に感謝したのである。

 そう、今年の山籠もりは精神修養の場でもあったのです。

 

すっぽん大市―京都で最高に贅沢な昼ごはん

 いつの頃からか、京都に行くと必ず一度は大市で昼ご飯を食べるようになった。

 良くは覚えていないが、若い頃読んだ映画評論家の故萩昌弘の「男のだいどこ」か俳優の故渡辺文雄の沢山のグルメ本の何かに載っていて、これは食べるしかないと決めたものの、時代はバブルに向かっていて、なかなか予約が取れず、しばらくお預け状態であったが、やがてバブルが終焉して、普通に予約が取れるようになったので、通うようになったのである。

 昼ごはんにしては随分値が張るのだが、晩御飯に食べるにはコース内容が余りにそっけないので、せっかく京都に来たからには夜はもっと色んなものが出る京割烹が優先してしまうから、たまのことだからと、こんな贅沢もいいだろうと昼ごはんに奮発してしまうのである

 ちなみに予約が取れないときは祇園の「いずう」の鯖寿司を食べに行くか、あるいは「平八」か「美云卯」のうどんすき、はたまた、「権兵衛」か「おかる」の狐うどんにします。

 今回は学会に合わせて行ったので、予定は一年前から分かっていたので、早めに予約して無事大市にありつくことが出来ました。

北野天満宮お守り

北野天満宮お守り

 予約時間の20分前には千本通りに着いてしまったので、時間つぶしに近くの北野天満宮に寄ってみた。
 修学旅行の中学生に交じって、頭がよくなりますようにと、石の牛の頭を撫ぜたり、帰りに「学業成就」のお守りを買うと、
「お兄さん、まだ勉強しはりますの?」と連れが呆れて言いました。
「はい、男は死ぬまで勉強どすがな」と訳の分からない京都弁?で返事をしておいた。

 大市は創業300年以上の老舗で、建物も京都でもひときわ旧く、ちょっと前までは上七軒の花街とともに西陣の旦那衆で賑わったそうである。また、すっぽん料理は、いかにも田舎者の成り上がり侍が好きそうでもあり、そのためか玄関口の天井も鴨居も低く、刀が振り回せないようになっているが、それでも鴨居には新選組の刀傷が残っている。

丸鍋

丸鍋

 何と言っても有名なのはすっぽん鍋に使う丸鍋で、信楽焼きの底の浅い平鍋で、今では亀甲鍋の名で売られているものであるが、丸鍋は、刀鍛冶のフイゴよろしく、コークスを燃やすクドに空気を送り2000度にもなる火にかけるので、さすがに一年は持たないそうで、年中窯元が焼いて補充するという。

すっぽん時雨れ煮

すっぽん時雨れ煮

スープ

スープ

 さて料理であるが、まずは突出しとして「すっぽんの時雨れ煮」が出され、ビールで一杯やっていると、丸鍋が運ばれてくる。鍋の底は未だ赤い状態である。まずはスープのみが供される。これを日本酒で割るのを薦められるが今回は遠慮しておいた。うま過ぎて1杯では終わらないし、数時間後には夜の席が待っているのでここで酔ってしまう訳にはいかなかったからである。

すっぽん

すっぽん

 次にすっぽんのぶつ切りが2,3度に分けて取分けられ、鍋は底ザライされ完全に無の状態になる。
 そこで、一旦鍋が下げられ、しばらくすると、又同じように丸鍋が運ばれてくる。
二度に分けて出されるのが大市の定石であるが、一人で来ても同じようにされるかは、一人では来たことはないし、聞かなかったので分からない。

雑炊

雑炊

雑炊

雑炊

 鍋が終わると、次が私にとっての本命の雑炊が運ばれてくる。雑炊は鍋とは別のスープで作られる。スープが程よく染み込んだ状態のお米の上に生卵が二個乗っている。客の目の前で卵をほぐし、かき混ぜて茶碗によそってくれる。

 一般に雑炊は、汁っ気を米にからめて、ほとんどとってしまう作り方と、汁の中に米が泳いでいるような作り方の2種類があるが、河豚やすっぽんのように旨味が濃く汁が澄んだ鍋ものでは、雑炊は断然前者の方が旨いと個人的には信じている。

 これほど美味いのなら、雑炊のお代りを言う客もいるだろう、と尋ねてみると、それは可であるとのことであった。無論丸鍋の追加注文もありである。
 しかし、たったこれだけのコースでありながら、通常は満腹感も満足感も十分なのである。

アンコール

アンコール

 あとは果物が出てお終いである。今回はアンコールという柑橘であったが、
果肉は味が濃くて美味いのだが、種が多く女性が品よく食べるのは難しそうで、さすがの振る舞いの美しさを誇る京女も、やや勝手が違うように見受けられたのである。

坪庭

坪庭

 最後に一緒に行った連れの紹介をしておきます。そうでないと、誤解が元で家庭の平穏が乱れても困ります。

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 連れは、最近現役を引退した宮川町の元売れっ子の芸妓,年00さんです。以前のブログ(CASA=AF2012.7.7.)で嵐山の鵜飼や貴船の川床でも一緒にいましたおねえさんで,小生の花街唯一の知り合いです。
 かつては、京踊りでセンター?をとっていたほど島田髷の似合う京女です。ご紹介はここまで、以上です。

その夜は現役の宮川町の綺麗どころとご一緒しました。それはまた続編で。

 

春はお皿からーオ・プロバンソーのアスパラづくし

前回、プリズマの‘アスパラと蛤のフォンドゥータ‘というスープ仕立ての、春らしい和風なイタリアンのお皿をご紹介しましたが、先日、紀尾井町オ・プロバンソーを尋ねたら、正統フレンチのアスパラづくしのコースがありましたので、少々感動を込めてご紹介したいと思います。

メニュー

メニュー

このメニューは3月一杯とのことでしたので、皆さまにもぜひ味わっていただきたいとの思いから、2週続けてグルマンライフの更新になります。

 アスパラガスはもちろん白のフランスはロワール産(フランスにグリーンアスパラがあるかどうかは知りませんが。)でしたが、和の食材と同じ様に、やはり季節の早目のものが喜ばれるのでしょうか?パリでは、初夏の頃になると、ビストロで大きなアスパラガスの料理が出回りますが、3月ではやはり高級食材なのでしょうね。

アミューズ

アミューズ

 まずアミューズではアスパラのムースに赤ワインとバルサミコのソースがかかり、その上にコッパ(頭?)という生ハムが乗ったものでした。

白と緑のアスパラガス マセトドワンヌ レモンジュレ エストラゴン

白と緑のアスパラガス マセトドワンヌ レモンジュレ エストラゴン

 オントレは、 ‘白と緑のアスパラガス マセトドワンヌ レモンジュレ エストラゴン‘で、
マセドワンヌと野菜の賽の目切りですが、ここではアスパラを斜めに小口切したものと、スキャンピエビの茹でたものにゼリー状になったレモンソースが乗せられたサラダ仕立ての、春のお花畑を連想させるような見た目も美しい一皿でした。下にパスタの生地のようなものが敷いてありましたが、何か聞き忘れました。

アスパラのラビオリ コンソメスープとコンテ

アスパラのラビオリ コンソメスープとコンテ

 ‘次いでアスパラのラビオリ コンソメスープとコンテ‘
コンソメはテーブルでかけてくれるという演出つきでしたが、まあ手の込んだ洋風ワンタンスープという感じでしょうか。

ホワイトアスパラガス 茹でたてをオランディーヌソース

ホワイトアスパラガス 茹でたてをオランディーヌソース

 ‘ホワイトアスパラガス 茹でたてをオランディーヌソース‘
 熱々のアスパラに定番のオランディーズソースで食べますが、湯で加減が絶妙で文句のない一品でしたが、個人的にはソースは、もっと酸味があった方がアスパラには合うような気がしており、ビネガーソースの方が好きです。それにラギヨールのナイフでなくとも切れる位、言えば缶詰のアスパラのように柔らかくゆでて、ハーブビネガーでマリネしたような、初夏のパリのビストロのテラスで食べたアスパラの味が忘れられませんです。まあ、初めて行ったパリで、食べたという心象が強いのでしょうが。あくまでも個人的な意見です。

ホワイトアスパラガス

ホワイトアスパラガス

ビネガーソース

ビネガーソース

実は5日後に、裏を返して再びこのコースを食べに行ったのですが、その時はシェフがビネガソースにしてくれました。別に初めてでも、客の注文は聞いてくれますからお好みな方をどうぞ。

鱈のオレンジ風味、ホワイトアスパラガスのサヴァイヨンとロワイヤル

鮃のオレンジ風味、ホワイトアスパラガスのサヴァイヨンとロワイヤル

次は魚料理で、’鮃のオレンジ風味、ホワイトアスパラガスのサヴァイヨンとロワイヤル‘
オレンジを入れたオリーブオイルでマリネした鮃の切り身にサヴァイヨンソースをかけてオーブンで焼き、ロワイヤルソースで頂くという一品でした、濃厚な2種類のソースが楽しめる、最近はあまり見ないフレンチらしい、ソースで勝負というシェフの自信作でした。

仔牛ひれ肉のパイ包み焼き<ウエリントン>

仔牛ひれ肉のパイ包み焼き<ウエリントン>

メインディッシュは、仔牛ひれ肉のパイ包み焼き<ウエリントン>
文字どおりのお料理ですが、ウエリントンの意味はよくわかりませんでした。
ソースはポートワインとトリュフのソースで、やや匂いのある仔牛のひれ肉にはよくマッチしていました。

レモンのクリームブリュレとベルベーヌのシャーベットとキイチゴのマリネ

レモンのクリームブリュレとベルベーヌのシャーベットとキイチゴのマリネ

デザートはレモンのクリームブリュレとベルベーヌのソルベとキイチゴのマリネでした。いずれも丁寧に作られており美味しかったですが、レモンのスライスがこんがり焼けたのは新鮮な味で楽しめまました。東京の名物に野菜のおせんべいがありますが、あれの暖かいものを想像されると、当たらずとも、遠からずです。

 春はいろんなところからやってきます。花粉症で春到来を知る方もおられるでしょうし、毎朝のウォーキングで、風の匂いで季節が変わったと気が付くこともあるでしょう。
 それになんといっても春の食材が出回り始めると本当に春が来たと実感します。
 和食なら、タケノコや山ウド、あいなめやホタルイカ、タイのお刺身もいいですね。 大きな浅蜊や蛤、そしてフキノトウから始まってウルカ、コゴミ、タラの芽、アブラナと山菜の天然ものが出てきます。そしてイタリアンならなんといってもフルールトマトのパスタでしょう。今は高知だけではなく愛知をはじめあちこちでいいものが出ています。
 

そして木々も芽吹き、日に日に緑が増していくのは、生命力を感じていくつになっても良いものです。
 冬至が済んで、暗く寒い夜長がピークを過ぎて、やがて春分が来ると、みるみる日が長くなっていきます。これから夏至に向かう間が何か希望があって一番いいですね。
 この気持ちだけは、いくつになって変わりませんですねえ。もう希望を持つ年でもないとは思いつつ、気持ちが前向きになります。
 春が来ても、もうさすがに気持ちが浮き浮きするってことはありませんが、これって、体のほうがもう枯れてしまっているのでしょうかねえ。(?)

 

誕生日あれこれーところでミシュランって何?

今年も誕生日が巡ってきて、「また一つ年を取ってしまった。」、というより、「今年も誕生日を迎えられた。」という方が実感に近いという年になってしまいました。
フェイスブックにブログが掲載されるためか、見ず知らずの多くの方からお祝いのメッセージを頂き、年甲斐もなく嬉しい気分になりました。皆さん、お気に掛けて頂き本当にありがとうございました。
また今年は、色々な心のこもったお祝いを頂きました。

しろたえのチーズケーキ

しろたえのチーズケーキ

まずは私のクリニックのスタッフが、昼休みに話題にしたことのある赤坂の‘しろたえ’のチーズケーキを買ってきてくれ、ろうそくに火をつけハッピーバースデーを歌ってお祝いしてくれました。私が鈍いのか、本当にサプライズでした。
‘しろたえ’をご存知の方には、その価値がお分かりのことと思いますが、クリニックから徒歩10分以上はかかると思うのですが、探し当てて買って来てくれたのには、少々感激しました。

ジョージ氏のアールデコのアンティークグラスボトル

ジョージ氏のアールデコのアンティークグラスボトル

私のクリニックと同じ建物の一階にある、美容室イエス・ジョージの畏友ジョージ氏が、しばらく前に自分のためにチェコで買って封を切らずに愛蔵していたウイスキーを入れるガラスのボトルをプレゼントしてくれました。アンティークガラスで、アールデコのシャープなデザインが素晴らしく素敵なもので、早速クリニックのサイドボードの上に飾ってあり、毎日眺めては満足感に浸っています。美しいものはいつまでも美しいのは人と同じですねえ。

隣は山梨の遊び人です。

隣は山梨の遊び人です。

そして、さて、これはどこでしょう?銀座の、今や女子供でも知っている戦前からある大人の花園ですが、誕生日を知ってかどうか、ショーのダンサーたちがフロアーに招き記念撮影をしてくれました。突然のことで、小生の茫然自失の様子が良くお分かりかと思います。

バースデーケーキ、斎藤シェフ作

バースデーケーキ、斎藤シェフ作

最後は誕生日の食事に青山のプリズマ(グルマン2013.5.10,CASA-AF2013.6.18)に行ったら、斎藤シェフがバースデイケーキを作ってくれていて、心のこもったお祝をしてくれました。

どれもこれも嬉しく心に残るものでした。

そこで今回はプリズマの近況を綴ります。

一年ぶりの訪問だったので、シェフとマダムのお二人でお出迎えをしてくれ、ちょっと懐かしい親戚におよばれしたような気分になりました。相変わらずお二人で切り盛りされていましたが、料理のタイミングも私達の早いペースに見事に合わせてくれ、少しも手持ち無沙汰など感じさせない見事なコンビネーションプレイを見せてくれました。

キッチンではコンロの上に3つも4つものフライパンに火が入り、オーブンでは絶えず何かを焼きながら、鍋ではパスタを茹でるという離れ業は、料理人の職人芸というより、サーカスの曲芸を見るような思いで、思わず見とれてしまう程でした。

プリズマのメニューa

プリズマのメニューa

プリズマのメニューb

プリズマのメニューb

鯵のパンタネッラ

鯵のパンタネッラ

リードボーのラビオリ春のトリフと

リードボーのラビオリ春のトリフと

アスパラとハマグリのフォンドゥータ

アスパラとハマグリのフォンドゥータ

料理の完成度は、益々円熟の域に入ってきており、今回は‘鯵のパンツァネッラ’と‘春トリフがのったリードボーのトルテッリ(ラビオリ)’が新鮮なお皿でした。
また‘ホワイトアスパラと蛤のフォンドゥータ(スープ仕立て)’はプリズマならではの春を告げる幸せな一皿でした。
鯵は鮨屋で板前が目の前でさばいてくれるものと同じような新鮮さであり、僅かにスモークされた香りが魚介を得意とするシェフのセンスの良さを見せており、パンツァネラという家庭の冷やご飯のような料理を洗練された一皿に仕上げていました。

キャビアと赤ワインソースのタリオリーニ

キャビアと赤ワインソースのタリオリーニ

タリオリーニは十八番であるからもちろん美味いのですが、今回はキャビアがしっかり驕られていて、私には久ぶりということもあってか、目がくらむような味わいでありました。赤ワインソースも隠し味が何処かイカ墨のような味わいを出しており、イタリアンの技の渋さが光った一品でした。

小鳩のサルサぺヴェラーダ

小鳩のサルサぺヴェラーダ

メインは小鳩のローストでソースはぺヴェラーダという胡椒の効いた肝系の濃厚なものですが、よくある血のソースより、僕はズーとこちらの方が好ましく感じました。血の匂いもジビエ好きにはたまらないらしいが、僕は元の商売柄、手術中に顔にかかる血の匂いが連想されてあまり好きではありません。この鳩のローストは絶妙な火加減で、正直言えば、トゥールダルジャンの鴨より美味しいと思えました。

とにかくプリズマの料理は、私の味覚では超一級ですが、なぜかミシュランでは無視されたままであります。一方文芸春秋が4、50年前から出している日本のミシュラン「東京いい店うまい店」では☆5つの最高峰であります。筆者の論評もべた褒めになっています。

私のグルマンライフで取り上げた、ラ・ボンバンス(2013.5.30.)は一つ星,イルペンティート(2012.11.2.)アメコヤ(2014.3.5.)はビブグルマン(5000円以内であがる美味い店)で星をとっているが、ペンティートが5000円で上がると思って行ったら、初めての人は、びっくりするだろうと思いますよ。
私のお薦めの白金のラシエット(2012.7.18.)や紀尾井町のプロバンソー(2014.12.3.)は無冠である。

この格差は何か?

というかグルメ本というのはこういう程度のものと思った方が良いということかもしれませんね。ミシュランに載ったからといって驕ってみても滑稽でしかないし、載らなかったと言って嘆くのも無駄な気苦労というものでしょう。

評価本の評価を必要以上に高めたのは他ならぬ巷の自称グルメたちだと思います。
聞くのと実際の違いは、誰もが食べログで経験していることと思います。
ミシュランはそれと同じか、それ以上と思った方がいいのだろうと思います。

要は、人の評価など当てにしないで、自分の足で自分の舌に合う店を探すしかないと言うことなのでしょうか。
元々ドライブ旅行でガソリンスタンドに寄る客のために、ホテルと地元のレストランのガイド本としてタイヤ会社がサービスで始めたのが、いつの間にかとんでもない権威を持ってしまって、当のミシュラン社自身が一番驚いているのではないでしょうか。

右がそば粉のガレット

右がそば粉のガレット

ところで、プリズマでは最後の飲み物でお茶菓子が出ますが、今回の注目はそば粉のガレットでした。
なんと静岡県島田市の‘藪宮本’(関連記事2012.8.1.)のそば粉で出来ていました。
それで、どれほどの味の差が出ているのかは良くは分かりませんが、その心意気が良いではないですか。

食材は少しでも質の高いものを求める、それこそプリズマの信条であり、真骨頂でもあります。
斎藤シェフご夫妻!今のまま精進されるのが一番だと信じています。

 

赤坂の洋食屋、東洋軒を初訪問ーエビフライの真髄は何か?

かつては宮内庁御用達であった三田の洋食屋、東洋軒が赤坂に復活したとニュースになった時は、むしろ青山一丁目のNARISAWAの成沢良浩シェフがプロデュースした店として驚きと共に伝えられた。

 東洋軒の名前は、明治、大正時代のかつての名門とはいえ、戦後生まれの小生が知る由もないが、ナリサワは有名すぎるシェフだから小生も小田原早川港に店があった時から知っているだけに関心があった。

 赤坂に仕事場を持って、より身近になったのだが、なかなか行く機会が無くようやく先日、観劇の後に早めの夕食で寄ってみた。

 場所は赤坂豊川稲荷の裏手にある赤坂Kタワーの一階にある。駐車場は地下の有料駐車場を使うが、お店の人が予約してくれるので、平置きが確保できた。エレベーターで昇って降りたところが入り口であった。
 お店は高い天井と茶系でカラーコーディネイトされたシックでスタイリッシュなインテリアであった。開店早々に入ったので他に客もいず、写真を自由に撮ることが出来た。

お店の空間

お店の空間

カトラリー

カトラリー

 メニュ―はアラカルトと2種類のプリフィクスメニューがあったので、お安い方の5800円のコースを選んだ。前菜2種とメインⅠ種を選んで、後は名物ブラックカレーかハヤシライスの2択となっており、それにデザートとお茶が数種類の中から選べた。  

 前菜は牡蠣フライとオニオングラタンスープにして、メインはメンチカツと海老フライとコロッケを頼んだ。それとカレーとハヤシライスを頼んだので、大方のお皿は網羅してしまったようなものであった。

カキフライ

カキフライ

オニオングラタンスープ

オニオングラタンスープ

メンチカツ

メンチカツ

フライ3種

フライ3種

ブラックカレー

ブラックカレー

デザート―モンブラン

デザート―モンブラン

コーヒーのプチガトー

コーヒーのプチガトー

 いずれも非常に美味しかった。とにかく丁寧に料理されているなあ、という印象であった。
 小生は愛知の出身なのでエビフライには一家言があります。エビフライは、デカければいいという名古屋の田舎者の発想を諸兄は予想をされるでしょうが、実は全く違うのですよ。
 愛知県と静岡県の境界にある浜名湖では知る人ぞ知る絶品のサイマキ海老が採れ、浜名湖の湖畔にある(あった?)寸座ビレッジというリゾートホテルではそれをエビフライにして供されたのですが、それが僕の人生のエビフライのスタンダードになっています。要するに、エビフライは海老の香りが命なのです。でかくとも冷凍ではエビフライになりません。
 香りの強い食材はいずれもフライにすると美味しいのは、松茸のフライをご存知の方にはよくお分かりの事と思います。
 東洋軒のエビフライは、パン粉も揚げ方も最高クラスでしたが、海老の香りとなると、愛知県人には今一つでした。
 しかし小生は東京での洋食の外食経験があまりないので正しい比較は来ませんが、東洋軒はグリル満点星のような庶民派ではないし、また、かつての斎藤元志郎氏の旬香亭やフリッツのように味にこだわり過ぎた押し付け感もなく、粛々とお皿が出され、淡々と食べた感じでした。ところが食べ終わると、言いようのない満足感で満たされたのです。それもノンアルコールビールでそれだけの気分にさせてくれたのだから、立派なものだと思います。

 ちなみに手元にあるグルメ評価本で東洋軒の評価を比較してみると、「東京いい店うまい店」では5つ星で最高の評価、「東京ミシュラン」ではビブグルマンでスプーンフォークが二つであった。「東京最高のレストラン」では4人の評者が王冠4ツを、1人が3ツと最高ランクの評価でした。
 3冊が揃って高い評価をすることはかなり珍しいので、東洋軒は本当に価値のあるレストランなのでしょう。その評価に、僕も別に異論はありませんし、又行きたいお店であることにも異論はありません。

 今は静岡に戻った旬香亭(現在は神田ポンチ軒、ごく最近は目白にステーキ屋旬香亭を開いたそうな。)の斎藤氏も、元は有名フレンチの出であるから、成沢氏との肌合いの違いが洋食にもよく出ていて面白い。両者のフライは甲乙つけがたいから、東洋軒も“とんかつ”を出してくれると、その違いが良く分かると思うし、フリッツの裏メニューにあった“ラーメン”まで行ってくれると、もっと良く分かるような気がするが、ナリサワにラーメン作らせたら一風堂からテロにあうかもしれないから、この話はやめておきましょう。

 

‘修善寺あさば’のお正月―「たまの贅沢の価値」を伝承する。

 今年のお正月は、海外に赴任中の息子夫婦が帰国したので、久しぶりに家族そろっての正月を過ごすことになった。
 彼等のたっての希望が温泉だったので、たまには贅沢を経験させるのもいいだろうと、間違いの無いところで修善寺のあさばに行くことにした。12月中旬に入ってからの予約であったが、運が良いことに2日に部屋が取れたので、奮発して行くことにした。部屋は能観劇の前回と同じ‘雨月’であった。仲居さんもお馴染みの人が担当であり、すっかりリラックスでき、良い骨休みになった。

 息子たちは初めてのあさば体験であり、私達もあさばの正月は初めてであり、大変優雅で贅沢な正月を体験出来た。

正月のロビー

正月のロビー

床の間の正月設え

床の間の正月設え

 立派な門松が飾られた、あさばを象徴する古い門をくぐると、いつもにも増して華やいだロビーが迎えてくれた。今回は若女将も若主人も玄関におられ、久しぶりにお会いできた。若女将は二児の母親となり、落ち着きと艶やかさが増し、さらに美しさが磨かれたかのように見受けられた。

正月の能舞台

正月の能舞台

 お正月は、能舞台で雅楽と舞が行われるとのことで、それは予想もしていなかったので、春先から幸運であった。今回は能と違って、浴衣のままの観劇でよいとのことであったが、写真を撮るのは懲りたので、目だけでしっかり眼福を楽しんだ。
 雅楽の奏者は3人で、笙とヒチリキと横笛を演奏し、横笛では鈴を持った巫女さんが登場し舞を舞った。黒田節のようなメロディから始まったので、おそらく最初の雅曲は越天楽であり、後はその編曲であったのかもしれないが、よくは分からなかった。
 雅楽をきちんと聞いたのも初めてで、西洋楽器と違って音階も不安定で、ハーモニーもとれていないように聞こえ、何とも奇妙な音色に違和感はあったが演奏する風情は抜群で、巫女さんの舞も美しかった。
 家の近所の大宮神社の巫女さんの舞とは、だいぶ違っていた。

 まるで平安時代の貴族になったかのようで、正月気分も盛り上がったところで夕飯になった。

正月の献立

正月の献立

3段重

3段重

 献立はお正月メニューでいつもとすっかり感じが変わっていた。まず、数の子から始まり、3段重のお節が出され、あさばでは、いつもは出ない鮪の刺身がヒラメと紅白で出された。恒例の黒米アナゴ鮨と鍋物は無く、ご飯はとろろであった。
 3段重は山海の珍味がこれでもかと言うくらい並んでいて、これでは我が家でお重を作ることはなかったと、悔やまれたのであった。種類も量も多く、女性たちはお重でもはや満腹の体であった。

からすみの飯蒸し

からすみの飯蒸し

鮪と平目

鮪と平目

蟹の真薯椀

蟹の真薯椀

伊賀牛いちぼの炭火焼

伊賀牛いちぼの炭火焼

ご飯は大間の鮪に自然薯

ご飯は大間の鮪に自然薯

 個人的には、初めて美味しいと思えた伊達巻というものに出会えたし、田作りも自作のものより口に合ったというのも初めての経験であった。料理人の仕事の深さを感じた。

シャトームートンロートシルト95年

シャトームートンロートシルト95年

デキャンタージュ

デキャンタージュ

記念のエチケット

記念のエチケット

 それに今回は友人から開院祝いに頂いたシャトームートン・ロートシルト95年を持ち込んでいたので、これ以上は無い贅沢な祝い膳になった。
 あさばには葡萄のエンブレムを着けたソムリエが居り、きちんとワインの世話をしてくれるからワインも安心である。
 ちなみにあさばのワインリストにはロートシルトもラトゥールもあった。
 参考までに言えば、開栓料は税込3500円でした。

京都風の雑煮

京都風の雑煮

サロンのコーヒー

サロンのコーヒー

 翌朝の雑煮は丸餅白みそ仕立てと切り餅澄まし仕立ての選択が出来た。サロンでのコーヒーも、凛とした正月の空気であった。

 まだ学生の頃、父親が何の風の吹き回しか、家族全員を引き連れて京都の俵屋で正月を過ごしたことがあった。5つ星の高級旅館に泊まるのも初めての経験であり、初詣に行った八坂神社で縄に火をつけて、くるくる回しながら旅館に帰ったことや、京都の丸もちの白味噌仕立ての甘い雑煮や、俵屋の設えの完璧さなど,細事にわたって良く記憶しているのは、それだけ感激も深かったのであろう。
 その鮮烈な記憶が、今、自分が親になって子供に同じようなことをする動機になっているのかもしれないなあと、風呂に入りながら亡き父親を思い起こした。

 白状すれば、私はまぎれもないファザコンであり、オヤジの背中を見て育ち、オヤジの背中を追いながら今日まで来、結果、超えるどころか丸で追いつく事すら出来ず、ただ徒に年を重ねてしまいました。

 僕は、息子には父親として誇らしいことは何も残せていないから、失敗続きだったけど、最後まで常に新しいことに挑戦し続けたという姿勢だけは貫いておこうと、思いを新にし、30年前の老いた父親を自分に重ねてしみじみとし、両手でお湯を掬い、何度も顔を拭ったのでした。

 帰路は、息子夫婦を新幹線三島駅で降ろすことになり、三島に来たからにはお昼は“桜やの鰻”にしようと電話してみると、予約待ち250名というので諦めた。
 250名という数字にはびっくりしたが、これは三島市民の正月行事?になっているのか、それともアベノミクスの効果なのでしょうか?

狩野川から見た富士

狩野川から見た富士

 三島からの帰りは、東名が大渋滞だったので、熱函道路、ターンパイクから厚木インターの迂回コースをとったのが大正解で、渋滞にもあわず、おまけに狩野川べりからの美しい富士山も見ることが出来ました。

 このところのあさばは、何かしら安定感が薄らぎ、どこかに不安が感じられたが、今回の訪問では盤石で、再びためらいもなく、あさばファンを名乗れる自信を回復する旅となりました。

 

 

「中野食堂、Aux Provencaux」ー紀尾井町の秀逸なフレンチ、ビストロというよりプチレストラン

地下鉄麹町駅から1分の紀尾井町の交叉点から徒歩一分くらいにある自称ネオビストロ、オー・プロバンソーに行った。
一度目はジョージ氏に薦められてクリニックのスタッフの誕生日会に行って、予想外に良かったので、5日後に裏を返し、その後、最近もう一度しっかり行ってみたので、このお店の様子は大体つかめた。

外観

外観

店構えはいかにもビストロ風で、中に入ると、インテリアもベンチシートになっており、パリのビストロを思いおこさせるが、(赤坂サカスのマキシムの色のように)、あちらでよくある真っ赤なビロードのクッションではなく、シックな茶系でまとめられている。それに、お店のお客の風景は猥雑なビストロ風ではなく落ち着いたプチレストランといったところだ。
 名前からはプロバンス料理を想起させるが、料理はニンニク、オリーブ、トマトを使った、いわゆるプロバンス地方のメニュは一つも無く、ブイヤベースやスープ:ドゥ・ポアソンなど南仏の料理も数日前の予約が必要とのことであった。プロバンスに拘って見るなら、せいぜい料理に黒トリュフソースが多いかなと感じさせるくらいであったので、店名の由来には他の理由があるのだろうが、まだ聞いていない。

 料理のサービスのスタイルはプリフィクスメニュが3種類だが、多彩なアラカルトメニュの前菜、魚料理、肉料理の中から自由に2品、3品、4品のチョイスで分けられており、使い勝手は非常に良い。お腹の具合で皿数も、内容も選択できることになる。

 グラスワインの選択も良く、お店のレベルの高さをうかがわせる。

 料理そのものはクラシックなフレンチで、味のメリハリのある上級なもので、コートドールの系統かと一瞬思ったが、メートルドテルの話では、シェフは溜池のビストロ、ボンファムの出身らしい。

 直近で食べた料理をご紹介する。
 前菜その1の「香ばしく焼き上げたタラバガニと根菜のサラダ柚子の香り」は、タラバガニに紅芯大根、青カブのスライスにコンソメのジュレがかかった一品で、柚子の香りも程良く、肉を主菜にするなら格好の前菜であった。

前菜ー1蟹と根菜のサラダ

前菜ー1蟹と根菜のサラダ

 前菜のもう一皿は「セップダ茸のポワレとヴルーテ、フォアグラのコンフィ」を頼んだのだが、ヴルーテとは小麦粉のルーをフォンで伸ばしたポタージュのようなもので、それにセップ茸とフォアグラを蒸し焼きのようにしたものが真ん中に鎮座する皿であったが、キノコの歯ごたえとフォアグラの濃厚さがよく合い美味しかったが、ヴルーテという手法は個人的には珍しい料理であった。

前菜ー2セップ茸のヴルーテ

前菜ー2セップ茸のヴルーテ

 連れは「鮑と若いポロネギのシフォナード、肝のソース」を注文した。これは私は食していないので、味は分からないが見た目には、鮑の肝のソースも鮮やかでいかにも旨そうであった。蒸しアワビに若いポロネギのみじん切りを散らした肝ソースをかけた、どこか和風に通じる、間違いのないお皿のようであった。

鮑の肝ソース

鮑の肝ソース

 主菜は「京都中勢以さんの熟成但馬牛純米酒煮、グリ-ンペッパーソース」を頼んだ。
中勢以といえば、田園調布の赤身熟成肉とピンとくるが、聞くと中勢以は元々は京都伏見の肉屋が始まりのようである。しかもこの皿は赤身肉ではなくバラ肉のように油脂の多い部分が使われており、その熟成肉は初めての体験であったが、油のしっつこさが抜けて旨味だけは残したような芳醇な味わいでありながら、口中の油キレの良いとても洗練されたお皿でしたが、日本酒がどのように奏功しているのかは僕の舌では分からなかった。
 とにかく、珍しい味わいの深い一品でした。

熟成牛の純米酒煮

熟成牛の純米酒煮

 連れは「はたをふっくらと蒸しあげて、九条ネギのポテとロワイヤル」と、かなり込みいった料理を頼んだ。ポテとは豚と野菜の煮込み料理で、ロワイヤルとは卵とブイヨンで蒸し上げた卵豆腐のようなものを言うから、はたを卵とブイヨンで蒸し上げたものに九条ネギをフォンで煮込んだものを添えたもののようだ。
 はたの旨味が良く出ていてとても美味しかったということでした。

はたのポテロワイヤル

はたのポテロワイヤル

 デザートは洋ナシと柿のコンポ―ネントとフォンダンショコラで、フルーツは今が旬で、外しようがないが、洋ナシの方は、今の僕達の舌には、少し甘みが強すぎるようにも思えました。

洋ナシのコンポ―ネント

洋ナシのコンポ―ネント

柿のコンポーネントにフォンダンショコラ

柿のコンポーネントにフォンダンショコラ

 デザートプレートは、前に来た時に、誕生日のサプライズでシェフからプレゼントされたお皿があまりにきれいな出来ばえだったので、ここでついでに紹介しておきたいと思います。誕生日が二人だったので、メッセージもフランス語と日本語の2種類が用意されました。

誕生日プレートー1

誕生日プレートー1

誕生日プレート―2

誕生日プレート―2

オー・プロバンソーの中野シェフは、かようにフランスの伝統的な技法を使ったいわばクラシックなフレンチを正統的に提供していますが、それは今の時代にはかえって新鮮で、逆にヌーベルキュジンヌのようにさえ見えます。

 チーズも種類は多くはないが、良く熟成されたものが、ウオッシュもハードも、牛も山羊も揃っており、もう一杯の赤ワインと共に食後の愉悦が堪能できます。

オー・プロバンソーは、パリのビストロを上品にしたような、かと言って、グランメゾンのように構えるのでもなく、現在の日本には少なくなったフレンチらしい料理とサービスを伝える貴重なお店でした。

 メートルドテルは勉強家で矜持を持って接し、ギャルソンもマドモアゼルもマナーは優れて良く、マダムは出しゃばることもなく、全体に目配りがきいていて安定感を醸し出し、お店の雰囲気はとても落ち着いていて、安心して心ゆくまで食事が楽しめる感じでした。

それに、コスパも大変良いです。

最近での久しぶりの☆三つ~です。

 僕の美容整心クリニックからも歩いて数分の場所にあります。
 いつでもお連れしますので、どうぞ皆さん、患者さんになって、(笑)お遊びにいらして下さい。

 

 

バーラジオのエルメスの皿

 雑誌BRUTUSの、「暮らしの手帳」の編集長松浦弥太郎の「男の一流品カタログ」という特集号を読んでいたら、バ―ラジオの尾崎浩司氏が載っていた。その前後に雑誌GOETHEにも載っていた。いずれも尾崎氏が京都の上賀茂の里山に建てた家を紹介するものであった。松浦は家というより尾崎の人となりが一流であることによるものであった。

「暮らしの手帳」は、かの花森安治が創った、広告を一切のせないことで、メーカーに遠慮のない辛辣かつ客観的な商品評価で評判をとった個性の強い雑誌であったので、花森が亡くなって、もう随分になるので、とっくに廃刊になっているだろうと勝手に思っていた。あの後を継げる編集者はそうはいないと思っていたからだ。

 かつては、そういう個性の強い雑誌が幾つもあった。山本夏彦の「室内」、森須滋郎の「四季の味」、鈴木正文の「CAR-NAVI」などだ。室内は山本亡き後、廃刊となったが、四季の味は鎌倉書房からニューサイエンス社に代わって最近までは存続していたが、今はどうなっているかは知らない。CAR-NAVIの顛末は既に述べた。(2012.8.1グルマンライフ

 そのようなわけで、松浦氏はそれなりの個性的な力量のある人物なんだろうと思い、BURUTASを読んだのであるが、彼の敬愛する人物として3人が取り上げられていて、その最初が尾崎氏であったということなのだ。

 その家は、総なら材で出来た簡素ながらも意匠と材には凝った尾崎氏の人物像を彷彿とさせるものであった。

 尾崎氏は、バーラジオのオーナーで、青山辺りで青春時代を遊んだ団塊の世代には忘れがたい人であろう。

 今や伝説の店になりつつあるが、最初は40年ほど前に、神宮前に、デザイナーの杉本貴志が内装をした斬新な店を出し、戦後生まれの新物好きでお洒落な若者を引き付け、やがて青山3丁目のビルの地下に、何とも妖しい雰囲気のセカンドラジオを作って見せた。

 木の重いドアを開けると薄暗い中に、アンティークのグラスの並んだ飾り棚が浮かび上がっており、既にそこには別世界があった。階段をゆっくりと下りて行く時の、あの高揚感は、いつも入り口に置かれていた、とてつもなく大きくて見るものを圧倒する見事な生け花の感動と共に、今でもはっきりと覚えている。

 やがてそのビルの事情で、今の青山2丁目のサードラジオに移った。今度はオールドブリティッシュスタイルの田舎家風の、今までとは丸で違う雰囲気だが、今話題になっている京都の自邸に通じるものを感じるから、お茶や花を良くする彼の基本的な好みはサードラジオにあったのかも知れない。

 バーラジオでは、突き出しとして、季節のフルーツと練り込んだチーズが、趣味のいい洋皿に載せられて出てくるのが定番である。
カウンタ―には随所に小ぶりのフラワーアレンジメントが置かれ、
連れの彼女を気に入ると、そこから小さなブーケを作りプレゼントしてくれたりしたものだった。これは彼女が、彼のお眼鏡にかなったという証拠でもあった。

 使っている花屋はキラー通りにあるフーガという、茶花も置く、主に商業施設が相手の、とても個性的な花屋で、紹介されて、その後僕も時々使うようになった。

 彼は、独特の所作、振る舞いで店の空気にある種の緊張感を持たせていたが、物事すべてに対して、美しく一流でありたいとする彼の哲学があり、また、それを客に強いるようなところもあった。

 彼は、礼儀を欠き雰囲気を壊していると判断した客には退散を願ったりした。
 結構な有名人がバツの悪い顔をして出て行ったのを何度も目撃したが、大体その手の人は、テレビによく出ている評論家、有識者と呼ばれる類の人であった。
 日頃、身についていない教養を傘に着て疲れていて、ついアルコールが入ると、地が出てしまうのか、態度が傲慢、横柄になり、マナーに欠けたのである。

 従業員に対するしつけも半端ではないようであった。多分彼の何かのコンプレクスがそうさせたのかもしれないが、彼の出自もバーテンダーとしての履歴も公にされていないから、真実は分からない。
 とにかく店で働くバーテンダーの入れ替わりは激しかったように思う。
 というか、セカンドラジオの全盛期はバブル崩壊前だったので、どんどん独立して店が持てたという事情もあったのだろう。
 従って、ラジオそっくりなバーが西麻布とか、地方にも乱立したもので、地方のバーでは尾崎浩司箸「バーラジオのカクテルブック」はバイブルのような存在になっていたように思う。

 ある時、尾崎氏と焼き物の話をしていたら、時々パリのパラディ通りにカトラリーの買い出しに行くというので、僕も好きで留学時代はよく見に行ったよ、と言う具合で意気投合したことがあった。

エルメスのデザート皿

エルメスのデザート皿

 その時に、店ではもう使えなくなった皿で、家庭なら十分使えるのがあるが持って行くかと、数枚くれたことがあった。

 それはエルメスの犬シリーズのデザート皿3枚であった。使えないと言っても数ミリの傷である。いかにも尾崎氏らしいと思いながら、ありがたく頂戴した。

これが問題の傷

これが問題の傷

 それからもう20年は経っているだろうが、未だに我が家では健在である。
その皿を見ると、思い出したかのように、時にはサードラジオに行ってみるのだが、今はもう尾崎氏は京都に隠棲したかのように、店には居ない。
いささか行儀の悪くなった昔ながらのバーテンダーがいるばかりである。

 段々、個性のある店が減っていると嘆くのはジジーの愚痴なんだろうね。

 個性の強い、気概のある店のオーナーも雑誌の編集者も減っているが、店や雑誌を育てる客も読者も減っているのである。

 昨今の若年層の家めし、家酒の引きこもり現象と倹約傾向こそ、諸悪の根源ではないかと、密かにジジーは思うのである。

 若者は雑誌も本も読まなくなったのか、雑誌の衰退も激しいし、一般に出版界は青息吐息である。

 若者よ、スマホを捨てて街に出よう。

 こんな風では、東京はつまらない街になってしまうよ。

 

 

 

「飲み放題ダルマット」健在なり。―密かに「喜び組」の復活をたくらむ。

 私が大学病院に勤務していた頃は、なにかと大勢で飲み食いする機会が多かった。医局の後輩であったり、職場のスタッフであったり、はたまた、何処の縁で集まったか分からないような、若いご婦人達のグループとよく食事に行った。当時は私も体力的には若く酒量も多かったし、最近の女子はお酒に強いのでワイン代に音をあげ、飲み放題の店を探していくようになった。
 しかし食事の質の最低ラインはしっかり守っていたので、該当する店はそんなには無かった。
 その中で最もよく行ったのが、西麻布のOGGI DARMATオッジ・ダルマットであった。

 ダルマットは恵比寿が最初で、今は恵比寿と西麻布に2軒あるが、オッジ・ダルマットは系列ではあるが、別経営と聞く。お店の雰囲気と料理とワインとお値段のバランスの良さから私はオッジが好きであった。
 最大の欠点は、当日の朝10時でないと予約が取れない事であり、大人数の集まりの時は万が一予約が取れないことを考えると選択肢には入れることは出来なかったのである。
 2010年から群馬に3年半程の間住んでいたので、その間にすっかり縁遠くなった。
 大体、群馬では女子を引き連れて食事に行くという行為自体をすっかり忘れていた。
 前にも書いたが、そのような行為は、彼の地ではインモラルなのである。というか、チクリを警戒して女子が出てこないのである。信じがたいことであるが、この年寄りとですら一緒に食べ歩くということは御法度であった。

 東京に戻り、またぞろ昔のくせが出てきたようで、「喜び組」の再結成をたくらんでいるのだが、無職の身では、集めるのはそう簡単ではない。

 そんな状況の中で、最近3度ほど、ようやくそんな食事会の機会があった。

 最初は、恵比寿の「アベス」というビストロで、SJUのOB女子2名に僕とN君の4名であった。
 N君は、見せ球というか、オトリのようなもので、彼を目当てに女子が集まるように仕掛けるのであるが、N君の条件が良すぎるのも考えものである。オトリは、もう少し身近な存在の方が有効なのかもしれない。

 N君は、息子と同級生であるが、T大経済卒の独身弁護士で、背も高くスタイルもいいし、勘九郎似のイケメンで、家人が大フアンでもあるのだが、エリートぶらず誰とでも話を合わせることが出来る、類稀な優良な性格の持ち主である。おまけに資産家の子弟である。

 話していて、ふと思ったのは、僕の知り合いのT大法卒の賢女が、彼と同じ雰囲気を持っていたなあと。それは、山ほどの案件をものすごいスピードでわけもなくこなしてしまう知能と、いわゆる高次脳機能がダントツに発達した人が醸し出す特有の匂い、雰囲気なのかもしれない。

アベスでの食事会

アベスでの食事会

 ま、そんなことは良いにして、アベスでは、この女子達は酒量はざる状態であることが判明したので、次回は、飲み放題かなあ、と思い、オッジダルマットを思い出したのである。

 そして一か月後、オッジダルマットに同じメンバー+1名で行った。4年ぶりの訪問であったが、場所も雰囲気も変わらず、相変わらず満席で繁盛していた。それでも、最近は当日前から予約が可能になっていた。という事は、昔ほど突っ張ってはおれないという事なんだろうね、今のご時世では。そうなると、そろそろOGGI(当日、突然、思い立って、という意味らしい)の名前も変えないとね。

 ダルマットでは、僕が剛力あやめフアンであることを前回に知ってか、ゴウリキさんのそっくりさん女子が1名追加された。(このようにして僕の喜び組も陣容が整っていくのである。)
 料理は名物のフルーツのパスタ(今回は桃)も健在で、最後にパスタ食べ放題というシステムも残っていたし、味も進歩が無いと言えばそれまでだが、まあ、レベルを下げずに頑張っているという印象であった。

ダルマットの前菜①

ダルマットの前菜①

前菜②

前菜②

肉料理

肉料理

 ワインは一人1500円で白、赤飲み放題であるが、シャンパンは別である。当然白から始めたのだが、以前は店の人に、まずシャンパンはどうかと勧められ、その策にはまったものであったが、今回はそれは無かった。店も多少は進歩しているのである。白のキャラフを何度もお代りして、そして赤のキャラフを何度かお代りしていたら、キャラフに半分しか入れて来なくなったので、これ以上の飲み過ぎは体に良くないというサインかと,好意的には思ったが、「約束だからもっと豪快に入れて来てよ」と、契約遵守を盾に飲み続けた。(なんせ法律家が一緒である。)
 

店は、進歩ではなく学習しては狡猾になる性質を持つものである。
 

さすがにワインは、とても美味しいとは言えないものではあったが、量的には満足し過ぎるほどまで飲んだ。

 三度目は、ビアガーデンに行く約束だったのが、当日嵐になって急遽、小生の地元の豪徳寺の蕎麦屋Amecoyaに変更して開催となったものである。ここでは、さすがに、数十メートル先でクリニックを開いている家人を無視する訳にもいかず、家人も参加しての食事会となった。その分N君は参加しなかった。家人がタカラズカフアンであることがわかると、近くの上原に住むタカラズカ命の同級生を呼んでくれ、5人での食事会になった。二人はタカラズカで意気投合したのは言うまでもないことである。

 アメコヤは以前にここに登場しているので、店の情報は書かないが、丁寧な仕事には定評がある。今回、いつもと違ったのはお酒の量である。最後は獺祭まで行って、ようやく満足して頂いた。

アメコヤでポーズ

アメコヤでポーズ

 次回は、学生時代に食べに行ったポルチーニピザが忘れられないと言うので、代々木のイル・ペンティートで、ということになった。

 ま、それもN君次第だろうけど、、、。

 このように、月に一回程度の若い女性たちとの食事会は、高齢者の心身の健康維持には必要不可欠であると、私は精神医学的に思うのですが、皆さまのご意見はいかがなものでしょうか。

 幸い家人は、いつも気持ちよく送り出してくれ、その上小遣いの心配までしてくれるという度量の大きさです。

 ま、当方も、何事も限度というものを心得ていなければならないのは当然のことと了解しているし、またそれは紳士の嗜みでもあると、心得ているのであります。

 ま、大人の男というものは仏の手のひらで遊ぶものですよ。

 

 

 

辻静雄のこと―食を文化にした、フランス料理の伝道者

 もう30~40年ほど前になるが、TBSで「料理天国」という料理番組をやっていた。出演していた講師陣がちょっと変わっていた。使う用語がきちんと定義されており説明にぶれがなく、料理をするにあたっては、極めて論理的に料理を作ってみせるのである。料理が体系化され学問化されているのである。彼等の肩書が阿倍野辻調理師学校00料理教授とある。
それが僕が辻静雄を知り、関心を持つきっかけになり、その後いくつかの彼の著書を読むようになった。

 彼が60才で急逝してから20年経ち、追悼記念文集のような本(「辻静雄」河出書房夢ムック、河出書房、2014)が発刊されたので読んでみた。

 辻静雄は日本にフランス料理を紹介し、定着させ、日本料理を世界に認めさせた最大の功労者であり、フランス政府からMOF,シュバリエ章、オフィシエ章を授与されている。現在、大阪、東京、リヨンに辻調グループは14校、卒業生は13万人、辻調グループ学術出版部がかかわった出版物は700冊を超えるという。

 何より、料理というものを文化の一つとして認めさせ、学問のように体系化させた功績は余人を持って代えがたいと言える。

 辻静雄は、貴族趣味で独特のオーラを発散していた稀有な魅力を持った人物であったらしい。見聞する限りではどこか吉田茂、白洲次郎、伊丹十三に通じるところが感じられる。

 東京の生まれで、早稲田の仏文を出るまでは平凡な男だったらしいが、マスコミ志望で、唯一受かった大阪読売新聞社に就職して、大阪に移住し人生が変わった。
取材で訪れた市井の料理学校で、ある女性と運命的な出会いをし、彼女と電撃的に結婚し、やがて夫人の実家の料理学校を継ぐことになった。
義父は、進歩的な意識の高い度量の大きい人物で、料理に繋がることならいくら散財しても許したため、夫婦は、アメリカの料理研究家チェンバレン(MIT教授)、フィッシャー女史(カルフォルニア大)教授)の紹介状を持って、数か月かけて、ヨーロッパの名だたるレストランを食べ歩き、フランス料理界の巨人やトップシェフたちの知己を得た。
帰国後、花嫁修業の域を出なかった割烹学校を、一流の料理人を育成する辻調理師学校にかえ、ポールボキューズはじめヨーロッパの一流シェフ80名ほどを日本に招き、日本にフランス料理の基盤を作った。学校は質量とも日本一を誇り、フランス、リオンなど海外にも分校を作り、世界に誇る料理専門学校に発展させた。

彼は経営者として非凡なだけではなく、フランス料理を文化として育てた功績も大きい。ブリアーサヴァランの「美味礼賛」を始め多くの古典を日本に紹介し、また本人も大著『フランス料理研究』を始め、数十冊の著書も書いており、その中には今や料理人のバイブルといわれる本も多い。

 料理の器材、食材はすべて一級品でないと許さず、それは学校の生徒たちの実習においてもそうであったという。

 趣味嗜好はすべて一流好みであり、マナーとデリカシーの無い人間を忌み嫌い、従って政治家とは付き合わなかったが、文化人、経済人とは広く付き合い、貴族を装うような生活を自ら実践し、またそうなろうと努力しているようであった。

 彼の周りには一流の文化人が集まり、サロンが出来、自邸では自校の教授クラスの料理人を呼んで、食材には糸目を付けずに贅を尽くした食事会がしばしば行われたそうである。

 開高健、小松左京、丸谷才一など文壇グルメのうるさ方が嬉々として集まったそうで、そこに招かれるのが大きな誉れであったという。
玉村豊雄も最後の方は常連に加わり、その様子を今回の刊行本の中で書いている。
その本に寄稿している人達には、他にも大岡信、木村尚三郎、阿川弘之、伊丹十三、鹿島茂と多士彩々である。

 皆が一様に、辻静雄は、財力と知力を兼ね備え、音楽から文学、あらゆる芸術に通じ、仏語とクイーンズイングリッシュを話し、教養と品格に満ちた振る舞いとその生活ぶりから、日本で貴族と呼ぶにふさわしい、国際的に通用する唯一の日本人であると称賛している。

 ただ、包容力のある人格と才媛の誉れが高い辻勝子夫人が、夫人だからこそ知る辻静雄の実像を語っていて面白い。

 独身時代の彼は、一冊の本も一枚のレコードも持っていなかったと言うし、食べ物も好き嫌いが激しく、およそグルメとは程遠かったらしい。
 ヨーロッパで、気どったジビエ料理を頼んでも、ほとんど夫人に回し、自分は牛肉か白身の魚かスモークサーモンをいつも食べていたという。ワインも飲めず、レストランではいつも失敗しないように緊張しっぱなしであったという。

 見栄っ張りで、何でも一番のものでないとだめで、出先で急に料理の写真を撮るとなった場合でも、カメラはリンホフ、ハッセルブラッド,ライカでないとおさまらないような、我儘な子供じみたところもあったという。

 これは、彼のどの本だったか忘れたが、文中で、渋谷のH料理学校(今はどこにあるかは知りませんが。)の2代目の無能ぶりを露骨に揶揄していたことがあった。真摯に料理を勉強しようと努力をしない、料理を文化として捉えて教養を深めようとしない同世代の軽薄な二代目同業者がいることが腹に据えかねているようだった。

 当の渋谷のボンボンは、辻亡き後は顔が売れ、今やマスコミでは料理界の重鎮扱いだが、かつてのテレビ人気番組「料理の鉄人」の解説では、確かにプロとは思えないような頓馬な発言を繰り返していて、腑に落ちたものだった。

辻は、自宅や別荘での食事会では、辻調出身の一流の料理人を並べて、贅を極めた当代随一の各種料理を作らせたが、火の通し具合などがちょっとでも気にいらないと声を荒げて叱り、作り直しを命じたという。

 それでも本人は殆どそれらの料理は口にしないのが常で、一人だけ握り寿司のようなものを食べながら、センスのいい軽妙な会話に興じていたという。

つまり彼もそこそこ「虚」の人であったわけだが、人前では「真」を演じ切ってしまったところが、彼が偉大で、広く愛され、尊敬されたた所以だろう。

 現在、経営的には優れたセンスの料理人は洋の東西を問わず沢山いるが、料理を文化、教養の一つとして位置付け、学問的に深化させるよう切磋琢磨しているような人は、辻静雄亡き後どこにも見当たらない。

 

 

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